箕輪町東箕輪長岡神社境内「第六天」
かつて下諏訪町の第六天について触れた。とりわけその第六天は「大六天」と刻まれていたが、男根の形をした「道祖神」と並んでいた。道祖神の威力を、第六天によってさらにパワーアップしようというようにも見えた。まだこの日記を始めて間もない2006年にも「大六天」と題してここに記している。その際、「あちこちでこうした信仰の対象物をみてきたが、第六天の碑は、ここでしかわたしは見ていない。」と記しているが、あれから20年、第六天の石碑はある程度確認してきた。しかし、それらはほぼ上伊那でしか目にしていない。この辺りに多いということになるのだろう。Wikipediaの「第六天神社」には、全国にある主だった第六天神社が一覧化されている。関東に多いようだが、長野県内の第六天神社は5社あげられているが、諏訪から伊那市あたりの神社である。やはりこのあたりに第六天への信仰が篤いということになるのだろう。
写真は箕輪町東箕輪の長岡神社に祀られている「第六天」である。彫りの深い見事な「第六天」である。伊那市の「信濃錦」醸造元である宮島酒店で「信濃錦」の純米酒として「第六天」という酒を出している。そのページに、そもそもこの酒を出すきっかけにもなったと思われる伊那市上戸にある第六天神社について説明している。
仏教では、生死を繰り返して輪廻する世界を三つに分けており、それを三界(欲界・色界・無色界)と呼びます。さらに、欲界は六欲天と呼ばれる6つの天界に分類されます。
第六天とは、六欲天における最高位の場所であり、そこは魔王または天魔の住処でもあるとされています。
第六天神社とは、第六天魔王を祀っている神社の総称ではなく、第六天の住まう天神を祀っている神社もあります。地域によっては、水神や竜神などに習合(いくつかの教義が取り合わさること)されて祀られているケースもあります。
武家社会の間で信仰の対象の一つとして浸透し、現在の関東地方を中心に第六天神社は広がったとされています。
その後、明治期の神仏分離令により、第六天を祀る神社の多くは祭神を変更しており、現在も第六天を祀る独立神社は全国に36社程度しか残っておらが、そのうち長野県内には5社が残っています。
伊那市西箕輪にある第六天西山神社は、五穀豊穣と農民の安全を守るため1405年(応永12年)に創建された、現在も第六天を祀る神社です。
1615年大阪夏の陣に、飯田城主小笠原秀政について従軍した鈴木源三郎が、天守閣の瓦礫の中から持ち帰ったとされる黄金に輝く御幣には柄に「第六天」と書いてあり、その御幣を巫女のお告げに従って丁重に扱うとともに、より高い場所に祀りなおすと、大豊作になったという伝説が残っています。
また、安政の大干ばつの際に祈願したところ大雨が降ったことなどから、人々の篤い信仰を集めたとされています。
特別な力をここに求めたわけではなく、ふつうの氏神様として祀られてきたことがわかる。ただ、あえて「第六天」というところを意識すればその力は無限のようにも見える。過去の「大六天」の記事を紐解くと、わたし的にはよく書けていると思うがどうだろう。
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