Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

誰が弁当を洗うか

2017-03-07 23:40:53 | つぶやき

 我が家でよくもめるのは、持ち帰った弁当箱を誰が洗うか、というあたり。義父が亡くなって以降、妻は家へ帰ってくることが以前よりは多くはなったが、今も週に2日ほどは実家泊まり。ということで、妻が帰ってこない日は、わたしより遅く帰ってくる息子が翌日のご飯をしかける。と同時に、自分の持ち帰った弁当はもちろんのこと、わたしの持ち帰った弁当も洗ってくれる。以前は弁当箱を持ち帰ってもそのままで、流しへ浸けることもしなかった。というより自分の部屋まで持って行ってしまって、洗うにも「弁当どうした」と聞かないとどこにあるかも定かではなかった。それが今は弁当箱を出すだけでも進歩かもしれないが、何より妻にしてみれば、自分が自宅に帰ってくる日には息子がまったく弁当箱を洗おうとしないのが気に入らない。

 母がいることの安堵感のようなものなのかもしれないが、考えてみればわたしの若い頃に、弁当箱を洗うなどということは、独り暮らしで弁当を持っていったときはともかくとして、自宅から通っていた時代にはなかったこと。母がいない時にはそこそこ自分でやってくれるだけ「良い」としなければならないが、母はなかなかそうは思えない。そりゃそうだ、自分がいると「何もしない」は、疲れきってうたた寝していた母が夜半に起きて息子の弁当わ「洗う」は男ならかなり面倒くさいこと。母はいつもそれが仕事だと思っているからこなせるが、わたしには荷が重い。

 とはいうものの、妻が帰ってこない日に、息子がすっかり流し周りをきれいにしてくれるとわたし的にはありがたい限り。翌朝息子の弁当と、自分の弁当を作ることよりも、やはり寝る前に流し周りが片付いているのことの安堵感が一番である。


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