妻がフットサルをして膝を負傷、来週MRIです。今は湿布して安静、でも歩けているので骨とかではないですな。小難で済んでよかったとしておきます。
3年前はじん帯を損傷、いいトシをしてフットサルとかしているから… と言ってしまいそうなんですが、それはムスメっちとの会話だけにしておきます。
そう湿布をしたということは、薬箱も改めたみたいです。これを出してきてちょっと期限が切れているから、とのこと。こういう機会でもないと確かに見ないですな、薬箱。ちょっと腰が痛いので私が一枚使って… いまなんとなくいい感じなんですが、ほかにちゃんと期限内のがあるので今日の捨てるモノで的確に処分!
とにかく妻よ、早く良くなってください。大人しくなったのはいいけど、お口の回りようが全開でいつも通り、いやいつも以上かもしれません。
今日の片づけ動詞は「出す」、片づけの基本でまず出てくる用語がこの「出す」です。この言葉の意は全量を把握して分類する下地を作る、ということなのでしょう。可視化してこんなにある、あんなにある!とやってみてから分別すると減らせる、そのような流れなのだと思います。
でも敢えてあまり片づけが不得意でない私が思うのが2点、全量出すこと自体が相当な労力であることがまず一つ!、一日数分でもいいので片づけよう!という推奨事項とはちょっと相容れない気がする!のがもう一つ! その2つを強く思うのであります。
私の結論から申し上げると全量出すことは相当片づけられない状態になってからでよいのではないかな?と思っています。人間ドッグしたから完璧というわけじゃないのだし、人間日進月歩、状況も変わるわけだから日々意識してちょっとずつ改善して、達成感を持ってやっていくとそれなりに片付いているものだなあ、と毎日ブログをアップしていると思うものです。
その毎日が大変、結構マネできない!って言ってもらったりもするのですが、週1だって月1だっていいのです。一部、ごく一部だっていい、お部屋を整えようとする機会を定期的に持てば全部出して改めるよりはだいぶ効率よく片づく気がします。片づけの本質は整えた環境の中でどのような生活をするかが肝心なところで、状態の美醜を問うものではありません。ちょっとの問題意識を改善して物事をやりやすくすることが肝要、仕事も生活もスケジュールがあるわけですから定期的にというのはそれとマッチしますので。
あらら「出す」じゃなくそんなに「出さなくていい」話になってしまいました。「出す」ってより「気をつけて見る」ほうが近いかな?
今日は一昨日、昨日よりは暖かな感じかな?養生している妻や試験前頑張っているムスメっちの邪魔をしないようにそろりそろり用足しなどに出かけます。
6715個 モノを捨てました!(^_^)
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