米国株で自由を手に入れる日記

40代の一般男性が米国株投資によって経済的自由を手に入れるまでの全記録

投資を始めて感じたこと

2021-01-11 07:48:08 | 私の投資観
今日は投資を始めて感じたことをお話しします。

投資って他人の努力や才能にある意味で便乗する営みだと思うんですよね。

自分には秀でた才能がなくても、才能のある人にお金を貸すことで、そのリターンを得ることができる。

たとえばアマゾンに投資するってことは、創業者のジェフ・ベゾスにお金を貸すようなものですよね。

彼はほとんどの人間より起業やビジネスの才能があるわけです。だから彼に自分のお金を預けた方が、自分でお金を稼ぐよりよっぽど効率がいいわけです。

つまり他人の才能や努力を信じて、自分のお金を預けるのが投資だと思うんです。でもそうだとわかっていても自分のお金を人に預けるのって怖いですよね。自分が努力して稼いだお金ですからね。

ここでちょっと話を変えます。最後は投資の話につながるので何卒最後までおつき合いください。

みなさんは日本人ってどんな国民だと思いますか?私は他人の才能や努力をなかなか信じられない国民だと思います。どういうことでしょうか。

日本人って他人を信じられず自分を信じている人が多い気がします。いいかたをかえれば自己努力、自己責任を過度に求める国民だな〜と思うんです。

病気になったのはお前の自己管理がなってないからだとか、仕事ができないのはおまえの努力が足りないからだとか。

そういう部分はたしかにあると思います。そのことを私はまったく否定しません。

でも例えば遺伝的な要素とか、たまたま就職した職場に卑劣な上司がいたとか。自分ではどうにもできないことって世の中にはたくさんあると思うんです。

でも自己責任や自己努力を尊ぶ日本人は、なにか起きたとき自分が悪いんだとふさぎ込んでしまう。自分を責めてしまう。

それは自分を信じて他人のせいにできない日本人の国民性の表れだと思うんです。もちろんいつも他人のせいばかりでも困るのですが。ただ自己責任を強調しすぎると困ったことも起こります。

たとえば、極端な話、生まれつき障害があり働けない人や病気をもつ人にも自己責任を押しつけるようなことが起きる。彼らは働きたくても働けない。自己努力したくてもできないわけですよね。少なくとも今の社会環境下では。

自分の努力しか認められない人は、努力できない他人に冷たくなると思うんです。その結果、障害をもつ人や病気の人をより強く差別するようになると思うんです。「おれは頑張ってるのにあいつは楽しやがって」とか。

この話は投資にも通じます。投資できる人って、自分以外の才能を認められる人です。裏を返せば、自分の限界もわかっている人です。

自分の限界を知っている人は他人にも寛容になれると思います。他人の存在を認め、信じることができます。

だから働きたくても働けない人にも寛容になれる。根本的な部分で自分を疑い、人を信じているから。

つまり日本人の大半が投資しないのは、自分への信仰心が強すぎるからじゃないかと思うんです。

でも自分なんてある意味でたかが知れてる存在です。そう思えれば投資もできるし、人にも優しくなれると思うんです。

いいかたをかえれば、投資って自分という檻(おり)から自分を解き放つ営みだと思うんです。

投資を始めてそんなことを思いました。