筒窓会・神戸市立筒井台中学校・昭和44年卒業生+宮本小学校、上筒井小学校41年卒業生集まれぇ~ブログ

筒井台中学校を44年卒業、宮本or上筒井小学校41年卒業された方のブログ。フォトチャンネルで、知り合い顏発見!即連絡ね。

浜松のよねさんと太郎さんからの鳥さんたちの写真いただいてました。

2015年02月16日 11時06分45秒 | 同窓会
今日、次男のお嫁さんになる方のご両親との顔合わせで浜松に行きました。

1)浜松駅でゆるキャラの家康くんがいました。袴がピアノの鍵盤です。



2)駅前の家康くんです。浜松は出世の町なんですね。



3) 市立楽器博物館のジャワ島のガムランです。30人ほどで演奏するそうです。



4) 同じく、竹のガムランです。飾りは皆神様だそうです。



5) 博物館のアフリカ、オセアニア、欧州コーナーの全景です。音声ガイド



を借りれて楽器の前では、その楽器の音色と説明が聞けます。

これに足りないときは、コメントでプラスしてくださいね。よろしくお願いいたします。

次は太郎さんからです。お友達から写真だそうです。

いろいろな鳥がこんなにきれいに撮影できる場所と技量と、うらやましいです。

1)加西市のため池に来ているコハクチョウ



2)自宅近くのハヤブサの夫婦?



3)長い嘴はヘラサギ、黒いのはカワウだそうです。



4)ジョウビタキ・・散歩中に見かけたそうです



5)イソヒヨドリ



ごめんね、よねさん。太郎さん。先に入ってたんですね。いい加減なわたしが、また発覚です(>_<)キャ

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美ヶ原から~~

2015年02月15日 13時23分58秒 | 同窓会
ちょっと旅行続きですが・・・昨今の寒さからもう、あったかさがほしい時期に、雪山はブッブー!かもしれませんが・・・

ちょこっと見てください。

雪山の天候は女性と同じ??待っても待っても晴れてくんなかったり、急に青空と太陽が~~。ここで出てほしくないのに~~と、言いながら、シャッターを。

1)太陽を待つんだけど


2)ここで青空かよ。



3)太陽は女性?



4枚目と5枚目と6枚目が~~すみしん君昨年からの続きですね。
なぜ??やっぱりわかんないです。

4)霜の華_1



5)霜の華_2



6)霜の華_3



こんなに違うように映るんです。

7)撮影してます



窓ガラスの後ろにフィルムを。レンズにはNDフィルターで(4)のように映ります。

8)え??これだけ??



これをレンズの前に置きます。くるくるまわすと~~いろいろな色にかわります。え~~~??わたしの答えはこれだけです。名前は偏光板だそうです。

夜は温泉。家族風呂が3つあってね。
このあたりは、きむたくの「南極物語」の撮影につかわれていた場所で、この王が頭ホテルに宿泊して、家族風呂1にはいったそうで、それからは、きむたく風呂と、いわれているそうです。
それに、アッコちゃんと。はぁいもちろん目的は~この写真

9)いかが~~~



これがわたしの1番の、お気に入りです。何の撮影会??だったんでしょうかぁ~~~

次はふーさん撮りたいな。(#^.^#)ドウ?

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ヴェネチア その3+ヴァレンタイン

2015年02月13日 16時24分24秒 | 同窓会




観光客は普通、空港から船でまっすぐここにくるらしい。広場の横の船着場にはあの有名な両端をつまみ上げたような真っ黒なゴンドラやお客さんはみな立ったままの水上バス、小ぶりな水上タクシーとさまざまなボートが集まっていた。
死んだ街なんてとんでもない。今なお世界中からこのヴェニスを見たくって人々が集まる町なのだった。
広場にあるドウオモの中に入り高い高い天井の絵を見上げると後ろに倒れそうになる。
さすがに歩きつかれたのでサンマルコ広場でベンチに座って休憩する。
ちょうどお昼時なのか遠足できている子供たち(といっても、イタリア人やらアメリカ人やら、中学生か高校生か見分けはつかないが)も階段に座り込んでお弁当のパンを食べている。
我々 も朝食 時に余分めにもらっ と いたパンとチーズとペットボトルの水で軽い昼食にする。
いろんな肌の色いろんな顔の子供たちがふざけながら楽しそうに食べている様子を見ているとこちらまで楽しくなり穏やかな時間が流れていった。







4時ごろホテルに引き上げる。お風呂に入って休憩してテレビを見ながらラウラさんを待っていると、約束より早く迎えに来てくれた。
イタリアだからまあ約束の時間の30分は遅れるだろうと部屋でテレビを見ていたら7時15分前だった。
「時間に正確ですね?」と聞いたら、「時間にルーズなのは、南部の人たちです。北部では時間は守ります」という返事、イタリアといっても、一枚岩ではない様子。
ベニスのレストランだというので、「また行くの?」と思ったが顔には出さなかった。今度はバスでベニスまで行く。





バスを降りてから又徒歩で、リアルト橋を渡り彼女がベニス大学に通っていたとき下宿していたアパートや、ベニスで一番由緒あるホテルの案内を聞きながらレストランに着いた。
外から店を覗いても入り口は5メートル幅のガラス張りで高いレジしか見えないがその奥から左の部屋に入るとずっと広く奥まであるテーブルはお客さんでいっぱいだった。
「ここは地元の人しか来ない、お いしくて 高くない店です。」
天井は高く明るく清潔でシンプルな造りの店内でさあ食べるぞと気張って生ハム、モッツァレラチーズとトマト、前菜もう1皿、ニョッキ、4種のチーズのピザ、ハム のピザ、を頼んだ。が量が多すぎて、頑張ってもピザは半分しか食べられない。おいしいだけに残念だった。料金は、1皿1000円見当で安かった。
しゃべりながら食べるしゃべりながら食べる。私も神戸のおばちゃんだからよくしゃべるほうだが、若いイタリア人のラウラ嬢も負けずにしゃべる。勿論日本語で。
「私はワインもコーヒーも飲みません。だから日本に行ったとき、お店に入ればすぐコップの水が出てくる。ただで。とってもいい国です」
ヴェネチア大学日本語学科で習った日本語は流暢で、なのに我々のために伊日辞典まで持ってきてテーブルの上に置き言葉に詰まるとすぐ辞書を引く彼女は勉強家の優等生なのであろう。
日本語のみならず、ドイツ語フランス語、スペインには1年間住んでいたからもちろん、職場はアメリカ系の会社なので一日中英語で暮らし家に帰って夫とイタリア語を使うという。5本の指で足りない言語を使うというのだ。私の持っていたイタリア人とはえらい、イメージが違う。イタリア人って、陽気でみんなワインを水代わりに飲む人種だとばかり思っていたのに、、、、。
ミラノの北で育った彼女は、イタリア南部(つまり、私が持っていたイタリア人のイメージ、ええかげんかマフィアか)を明らかに嫌っていました。別の国の人たちですとさえ、言っていました。





好奇心大せいな人生の歩み方だからこんな異国の旅行者にも、興味を持ってくれたのかなと、なんの取柄も無い私は彼女と知り合えたことに感謝する。
とくに、これから社会に出ようとする息子にはすばらしい刺激になってくれたと思う。彼女は、日本語を学ぶためにこのヴェネチア大学に来、ヴェネチア生まれのご主人と去年の春結婚し、日本に1ヶ月新婚旅行に行ってきたという日本通である。桜をみるために日本に行きました。今度もう一度行く機会があれば是非もみじの季節に行きたいです。
「じゃあクロサワやミフネもお好き?」というと、「カネシロタケシが好きです。」「カネシロ?」
「本は三島ですか?塩野七生はご存知?」というと「吉本ばななが好き、彼女がヴェネチア大学に来たとき会いました。」
「金城武」も「吉本ばなな」も我々は、名前だけしか知りません。 興味の対象は世代のギャップをうめることができない。
それでも、頑張って話していると、ダンテの「神曲」に話題がうつり、こちらでは、中学生になると「神曲」の詩を暗誦できます。その詩は街のあちこちで見掛けますとのこと。
ダンテの「神曲」??確かロダンの彫刻「考える人」が地獄の門の一部であったよなぁ?もっと勉強してからくればよかったとちょっと後悔しました。
そんな中々充実した食事の後、ライトアップされたサンマルコ広場を案内してくれた。
ヴェネチアだけは、とっても治安がいいのです。特に夜は、夜中までお店も広場も電気を点けて美しいです。
でも、このロマンチックな散歩を楽しめるのは、高いホテルに泊まっている人だけなんですよ。
だって車の入れないこの町は、遅くなると帰る足がないですから、、、。
確かに、サンマルコ広場周辺は、遅い時間にもかかわらず、ゆったりと食後の散歩を楽しむ人たちが行き来していました。
われわれは、彼女のおかげで、もうけものの夜の優雅な散歩を楽しみました。

そして町の端の唯一のパーキングに迎えに来てくれた御主人の車でホテルまで送ってもらった。
そこで、自分達が飲むために、トランクに入れて日本から持ってきた、2リットル入りのお茶のペットボトルを2本進呈すると、
「大好きです。これはこちらに売っていません。」と大喜びしていただいた。部屋に帰ると12時過ぎだった。
おわり。









追記
これで、終わりますが、ツトム君がイタリア旅行の写真を送ってくれました。
夜の街と仮面をつけたお嬢さんの写真です。
確かに街中の至る所に仮面を売っていました。旅行の時は知らなかったのですが、一時衰退したこの街は12世紀ごろから18世紀ごろにこの街で行われていた「仮面のお祭り」を1979年から復活したことが町興しになったようです。
2月下旬から3月初めに2週間かけて行われるカーニバルは年々盛んになり、国外からも
仮装大会出場のため、衣装をつくり、工夫をこらして、参加されているそうです。
まあ、ディズニーランドの拡大バージョンなんじゃあないですか。
真面目なラウラさんは、そのことは、全く教えてくれませんでした。

ツトム君の写真追加・・説明はコメントでくださるそうです。よろしく。

フィレンツェ風Tボーン



ラフランスサラダ



マリゲリータ



メディチ家のお城



フィレンツェの街並み



夜のドゥオーモと街並み





アルテミオ・フランキサッカー場



皆様はいっぱい心のこもったチョコをいただいておられるでしょう。でも日頃のお礼に管理者からです。受け取ってくださいね。



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旅行シリーズ、ヴェネチアその2

2015年02月11日 12時55分02秒 | 同窓会
紙芝居のつづきだよ。
わからなかったら、前々回の記事をもう一度読んでね。





路線図も見当たらず、行き先表示だけをたよりに、自販機で切符を買い、6番の標識の下で待っていると、まもなくバスがきた。6番の前に止まったバスに私がさっさと乗り込むと、後からトランクを引っ張って乗り込んだ息子がこのバスの行き先表示を確かめてなかったからメストレ駅に行くかどうか分からないという始末。そんな事を言っているうちに、バスは出発してしまった。さあ困った。6~7人いる乗客もイタリア人ばっかり。近くのおばさんに英語で聞くとイタリア語で大丈夫といっているようす。でもそのおばさんも降りちゃったから、どこで降りたら良いのか分からない。しかも外はすっかり暗くなってしまった。
その時一番前の座席に座っていた黒髪で小柄な30歳くらいの女の人が我々のほうを向いて「日本の方ですか?」と、きれいな日本語で話しかけてきた。「はい、そうです。そうです。」すがる思いで、ゆれる車内をスーツケースを引っ張って彼女の横に立った。かの女は私の持つ切符を見て、この切符はバス会社が違うから買い直さないといけない。このバスはメストレ駅まで行く。駅まで行ったら運転手さんに声をかけてもらうように頼んであげると言ってくれた。運転手さんから新たな切符を買ってくれたお礼を言って、互いに自己紹介などしているうちに、彼女のおりる停留所がすぎてしまったらしく、ホテルまで送ってくれることになった。
ホテルの受付で、チェックイン作業までスラスラ手続きしてくれる彼女は勤務先から家に 帰るところであるというのでお礼に一緒に食事でもいかがでしょうかというと、今日は 友人がとまりに来るのでだめだけれど、明日なら良いというので、明日夜7時にホテルまで来てもらうことになる。レストランの予約もしておいてくれるという。そんなこんなで、ようやく部屋にたどりつき、タクシーを使うべきだったと反省。でもおかげでイタリヤ人のラウラさんと知り合えて、明日はレストランで食事ができるのだから、結果的によしとしよう。機内食はしっかり食べたおかげでおなかも空いてないからお風呂に入ってもう寝ることにする。
3月24日朝7時起床、疲れたせいかぐっすりと寝たおかげで朝から快調。ダイニングに行くとプラザホテルはさすがに四つ星ホテル、ハムチーズからサラダ果物パンも数種類ずつあり、内容充実。しっかりと食べる。
今日はホテルの目の前の駅メストレ駅から1駅電車に乗ってベニスに向かう。こちらは電車もバスも改札もなく自販機で買った切符に自分で刻印を押すだけ。無賃乗車をしようと思えばできるようで、ルーズな感じ。たった1駅だけれども果たしてベニスはここから右なのか左なのか方角もわからない。息子が壁に貼ってある細かい字の時刻表をにらんで何番線のホームに行けばいいか教えてくれた。切符も買ってくれた。これ以降支払い、進行方向などすべて息子が仕切ってくれて私は言われたとおりに従った。日本ではなんでも親任せで当たり前だった子が、危機感をつのらせて黙っていても母と子の立場を逆転し、すべてをリードしてくれるらしい。これは外国にきてこそだなあと高いお金を払った価値があったと母は一人感激した。
今回の旅行のメインはミラノのサッカー観戦である。たまたま選んだツアーがイタリア3都市8日間というので、息子の希望でベニス、私の希望でフィレンツェを組み入れた。息子はなぜかヴェニスは絶対はずせないと強く言っていたが、私はベニスなんて過去の栄光だけの沈みかけた死んだ街ではないのかしらと思っていた。昔見た「ベニスに死す」というヴィスコンティの映画のせいかもしれない。そんなヴェニスになんの期待も持っていなかった私だがベニス駅を一歩出るとまるでタイムマシンで中世イタリアにきたのかしらとショックをうけた。駅前に拡がる運河に浮かぶゴンドラ、ボート、船、運河の向こうの町並みそこにかかる石作りの太鼓橋、大勢の観光客、一歩一歩足を踏み出すたびに映画の世界に入っていくようだった。この混雑振りも映画「旅情」そのもの。息子に、ここで写真をと りながらキャサリン・ヘップバーンがこの海に落ちたんだよと言ったら、オードリーヘップバーンじゃないのというからそれは「ローマの休日」でしょうと大笑い。



大勢の人波に乗ってリアルト橋の上に行くが行きかう人が多すぎてシャッターを押す間がないくらい。買い物よりも教会よりもこの石畳の街を歩こうという旅だが、地図といっても、魚の形をした島の中に運河が入り組み、細い路地がくねくねとあり北も南も私にはさっぱり判らなかったのでやはり息子の後をついていくだけだった。車も自転車も一台もない街は、右も左も分からず歩く我々に優しくタイムトリップの旅に誘ってくれた。地図を片手に歩いているのだが行き止まりだったり、さっきもここに出てきたよねといいながら、それでもなんで もないまちなかの家々を見飽きることなくぶらぶら散歩がたのしい。

(この魚の形が、ヴェニスのリド島の地図で、ちょうど尻尾のはしから、目玉のところを目指して歩いていました)



そのうち他の観光客にもめったに会わなくなり、地元の人も買い物カートを引いたおばあさんとすれ違ったぐらいでほとんど会わなくなった。あの駅前にいた観光客はどこにいったのかねというと僕たちはわざわざ遠回りをしながらサンマルコ広場を目指しているからだよ。と息子は言うが、私には道に迷っているだけではないのかしらと思える。でも建物は住居ばかりではなく、一階はお店になっているところも多く、両手を広げることもできないくらい幅1メートルもない路地の両側にはきちんときれいな店があり、ガラス細工屋さんや本の装丁屋さん(年代ものの本を重厚な皮で装丁して飾ってある)、絵の額縁を作っているお店もあったり興味がつきない。かとおもうと路地のさきには日本でも見かけるような小さな公園があって幼い子を遊ばせている母親がベンチに腰掛けていた。石作りの街中に大きな木と土の公園は周りを高い住居で囲まれた中庭のような雰囲気である。散歩途中の大きな犬を連れたおじいさんもいる。公園に面して小奇麗なレストランもある。建物の壁の色窓枠の色お店の看板すべての色使いがイタリアだなあと感激する。
こんな何気ない景色の方が心に残る。いわば裏通りを歩いているからしょっちゅう出 くわす小 運河 も観光客を乗せたゴンドラではなく、家の補修のための資材や足場の材木を積んだボートや野菜や瓶詰めの水を満載した生活観あふれるボートが結構行きかっている。運河の水はお天気がくもりのせいか濃い緑だがごみなぞ浮いてはなくにおいもまったくしない。お昼前の街中は静かなのである。
空港や駅の壁にトヨタや日産ではなく、ヤマハやスズキの大きな看板を目にして違和感を覚えたが車ではなくモーターボートの街なんだと歩いてみて納得できた。
ようやく目的地であるサンマルコ広場に出た。着いたではなく、まさしく出た。それまで細い、狭い路地をまがりくねってきたら突然とてつもなく広い石畳の広場の中にはすっごい人人。ごった返すという感じ。各国観光客とイタリアの中学生の遠足も多かっ た。
次回につづく

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吉奈温泉~~すみしん君からいただきました。+ちょこっと宣伝させてね。

2015年02月08日 21時37分20秒 | 同窓会
ちょっと関東ローカルなところはご容赦を。

<温泉射撃>
(1)温泉射撃


温泉に行く前に修善寺で温泉射撃 (写真中央、次男です。) 。
いくら叫んでも、店の人が現れず、入り口の看板に書かれている電話番号で「お客さんだよ~」と呼び出すと、やっと中からババア現る。
商売気全く無し。
焼き物のガラクタ沢山ゲット。どうしましょうかネ?いらないものばかり。

<宿>
(2)太郎の湯


(3)しり型


泊まった宿"さかや屋"は昔「酒屋」、ちなみにお向かいの近代的なお宿"東府や"は「豆腐屋」だったそうです。
東府やは新しいオーナーが宿を2軒買い取り大改装、改造費だけで~10 億円。
オーナーの名前は石井龍 二(静岡県)、アメリカの寿司チェーン(AFC)で富を築いた方で、米国時代その寿司食べてました。
こんなへんぴなところによくもまアこんなご立派な宿" 東府や"を作りましたねって感じです。
他方歴史あるさか屋にはよく岡本太郎が宿泊していたそうです。
そのご縁での岡本太郎設計の"太郎さんのおふろ"有り。
湯船はお尻を形どっているとのことですが・・ これが岡本太郎?って感じで「風呂場は不発だあ!」。
(類推するに、岡本太郎さんのふろへの 関わりは、酒席で「風呂の形お尻にしておけば」程度か?岡本太郎の宴会の写真が旅館にありました。)。
また、この宿で黒澤明監督が"乱"と "影武者"の脚本を考えたそうな。
宿ではこれでも かと言うぐら差し入れも含めいいろいろ頂きました。
帰り際には、女将がわざわざ椎茸を沢山お土産に。何だか得した気になり・・、感謝。

<かっぱ荘>
(4)限界集落


懐かしのかっぱ荘、42年ぶりに・・。
残念ながら今は廃墟(写真4)となってました。時の流れを感じましたね。
この土地は敷地までの道が狭く車不通で売れないそうです。

(5)合宿にて


42年前の合宿中に吉奈温泉で撮ったちょっとレトロな白黒写真です。
最近、元岩手県知事の過疎化(限界集落)に関する論文を読んだ後なのか、この地の20~30年後が気になりました。
創造するに残っているのは東府やのみ、周りの集落は半減以下か?

<ガッツ石松>
恩義を忘れんない義理堅いガッツ石松。下積み時代の恩返しにとお世話になった宿の宣伝の為民放に取材要請。
しかし、"とうふ"と"さけ"を言い間違え、ガッツ石松とは縁もゆかりも無い"とうふ"が取材を受けたとのこと。
怒った”さかや”の苦情により、取材は一からやり直し。
石松らしいエピソードをお聞きしました。

<ベーカリー>
(6)カレーパン


遠藤家お薦めのベーカリーで卵丸々入りのカレーパンを頂きました。
実は私は大のカレーパンファンです。 美味しかったです。
牛のほほ肉パン、ぶどうパンも最高でした。
足湯しな がらの食事は、女性人がタイツの為不可。
満員、活況のパン屋でした。

<春 東風>
(7)梅香る


梅の花もほころび、ちょっと春を感じる季節でした。あれどこかで見た写真?

以上いただきました。コメントに入っていたのを、こちらに変更させていただきました。
だって、日本の情報もあんこですから。

追加の写真が届きました。これは藤の花の季節ですから、5月ころですか?
藤の花咲く頃のベーカリカフェだそうです。



すみしん君プラスをごめんなさい。
ここから宣伝です。可愛がってあげてください。葺合高校出身のご夫婦のお店です。よろしくお願いいたします。


明日オープンです。14日葺合の方々が集まります。残念ながらわたしは、昨年から娘のお友達の結婚式なので、オマゴちゃんを預かる約束ができていて、参れません。で、別の日に参るつもりです。ご一緒に~の方いてくださるかな~~?
コメント (26)
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