ある牧師から

ハンドルネームは「司祭」です。

コリントの信徒への手紙二1章17~20節

2021年07月30日 | 聖書

日曜日の説教に向けて黙想をしています。


17 このような計画を立てたのは、軽はずみだったでしょうか。それとも、わたしが計画するのは、人間的な考えによることで、わたしにとって「然り、然り」が同時に「否、否」となるのでしょうか。18 神は真実な方です。だから、あなたがたに向けたわたしたちの言葉は、「然り」であると同時に「否」であるというものではありません。19 わたしたち、つまり、わたしとシルワノとテモテが、あなたがたの間で宣べ伝えた神の子イエス・キリストは、「然り」と同時に「否」となったような方ではありません。この方においては「然り」だけが実現したのです。20 神の約束は、ことごとくこの方において「然り」となったからです。それで、わたしたちは神をたたえるため、この方を通して「アーメン」と唱えます。


神様の約束は「しかり」となります。途上で時間がかかって約束が果たされていないように思えても、必ず「しかり」となるのです。旧約聖書の中に疫病の話が多くあるのは、それらの疫病が必ず収束したということです。それは疫病の収束の約束でもあります。

コロナが収束するということを神様が約束して下さっている、そしてそれは「しかり」となるということを覚えたいものです。




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