昨年の今日、10月15日に父が逝きました。それから10月15日が私たちにとって「特別な日」になりました。金木犀の香が漂い、コスモスの花が揺れ、尾花が銀色に光っているこの時季に悲しい別れ があったのでした。亡くなって1カ月くらいは毎日のように父の夢を見ました。それが3日に一度になり、1週間に一度になり、月に3度、2度になっていきました。こうして徐々に記憶が薄れていくんでしょうね。ただ祥月命日だけは「特別な日」として父のことを鮮明に思い出します。
―私のお墓の前で泣かないでください
そこに私はいません
眠ってなんかいません―(千の風になって)
いい歌ですが、私は愛する人がお墓にいると思いたいですね。私の大切な人は“千の風”になんかなっていません。お墓に静かに眠っていると思います。ですからお墓の前に座って父とお話をするんです。「今日はええ天気やなあ」「今日はちょっと寒いで」「こんなことがあってなあ」と心の中で父に話しかけるのです。父は静かに聞いてくれるだけです。それでいいんです。
金木犀が香る秋のこの一日が「特別な日」なのです。
―私のお墓の前で泣かないでください
そこに私はいません
眠ってなんかいません―(千の風になって)
いい歌ですが、私は愛する人がお墓にいると思いたいですね。私の大切な人は“千の風”になんかなっていません。お墓に静かに眠っていると思います。ですからお墓の前に座って父とお話をするんです。「今日はええ天気やなあ」「今日はちょっと寒いで」「こんなことがあってなあ」と心の中で父に話しかけるのです。父は静かに聞いてくれるだけです。それでいいんです。
金木犀が香る秋のこの一日が「特別な日」なのです。
>あの人たちはどう思っただろう
こんなにくるくるめまぐるしく変化する世間に驚かれるでしょうね。二年で3人の総理大臣をいただく国になったのですから。それも何の騒乱もなしに。
亡くなったひとは声を出して応えてはくれませんが、こちらはいつでも話しかけられる。寂しいけれど、有難い、そういう心境です、今は。
大切なひとは”死”という瞬間に遠くへ行ってしまったようで、実は自分にとても近い存在になったように思います。いつでも、どこでも話かけることができるから。そして話しかけるすべてを受け入れてくれる寛容さを備えています。