わが愛犬がその生涯を閉じて今日で100日。人の世では死後100日目を「卒哭忌」という。
卒哭忌とは、「なげき泣くことを終える仏事」なのだという。
愛犬と永遠の別れをして約三か月、季節も変わり今もう初秋となった。
そろそろ悲しみ、悼むことから卒業する時期かなと、愛犬の思い出を文字にしてみた。
2002年4月8日、我が家に愛犬がやってきた。保健所管轄の「動物指導管理事務所」が主催する子犬の譲渡会で譲り受けた。犬を飼おうと思い立ちペットショップから手に入れる選択肢もあったが、たとえひとつの命でも救えるものならと動物指導管理事務所から譲受ける方を選択した。
我が家に来たときは、体重2.4kg
スクスクと育ち、その年の暮れには12kgになった。
11歳ごろまでは大きな病気もせず、動物病院へは狂犬病の予防注射、ワクチン接種、フィラリアの予防と年に3回行くだけですんだのだが、その後老いとともにヘルニアや尿路結石で通院することになり体の衰えを隠せなくなった。
昨年秋ごろから血液検査で腎臓の数値が高くなり始め投薬治療をするが、ついにこの六月逝ってしまった。
愛犬が死んで落ち込んでいたある日、古くからの友人の誘いで京都、妙心寺東林院の夏つばきを観にいった。
僧侶の説法を聞きながらお庭を眺めていると、まさにその時一輪の夏つばきの花がポトリと落ちた。その瞬間、愛犬の白さと花の白さが重なり、不覚にも空知らぬ雨がひとつふたつと頬を伝った。
13年と4ヶ月、いろいろな思い出を作ってくれた愛犬に感謝。落花を見て落命した愛犬を想い、落涙する。そんな機会をあたえてくれた友人に感謝。
13年余り一緒にいるとペットというより家族に近い関係でしたね。
一休禅師の道歌「生まれては 死ぬるなるけり おしなべて 釈迦も達磨も猫も杓子も」ですな。
近頃、やっと寂しさが薄れてきました。
ペットは「オス、メス」「えさをやる」が適正なニホンゴだと思ってます。その辺は当方の家人に厳しく(ちょとだけね)言い聞かせてました。
今の世、何かにつけて”けじめ”がなくなってますね。ですから結局何事も有耶無耶にしてしまいがちです。
それにしても支持率が下がらんのが不思議です。