毎朝仏壇にお参りすることから一日が始まる。今朝仏壇の前に座るとみかんが目に入った。家人がお供えしたのだろう。この時季にみかん、今は珍しいことでもなんでもないが、ひと昔、ふた昔前ならまずないことだろう。真夏にみかんで連想したのが「千両みかん」という噺。
・・・若旦那の病気の原因を聞きだしたところ、みかんを食べたいと思いつめたからとのこと。
あきれた番頭が「みかんならなんぼでも差し上げます」と安請け合いしてしまう。ところが季節は真夏、どこを捜してもみかんなどあるはずがない。番頭は必死になって訪ね歩いたところ天満の赤物市場にみかん専門の問屋があり、一年中みかんを囲っているとわかる。事情を説明し調べてもらうと一個だけ腐ってないのが見つかる。番頭とみかん問屋の主人のやりとりがあって、結局そのみかんを千両で売ってもらう。さっそく持って帰って若旦那に食べさせると、若旦那は十袋あったみかんを七袋食べ、あとの三袋を父母と番頭にと手渡した。みかん三袋を手にした番頭が、「これが十袋のうちの三袋やから三百両...。わしが別家のときにもらえる金が五十両...」しばらく考えていた番頭、「ええい、儘よ」とみかん三袋もってドロン。
見事な錯覚である。この噺、落語として笑うことができても、この番頭さんのことを決して嗤うことはできない。どこにでもいる小市民の悲哀が感じ取れるし我々凡人には他人事に思えない。番頭さんに「勘違いやで。戻っておいで」と声をかけたい心境になる。
原発事故以来節電ブームである。企業では平日に休んで土日に就業したり、サマータイムを導入する自治体や企業について報道されている。世の中「節電」に逆らうものは国賊であり、「欲しがりません原発が稼働するまでは」というような風潮になっていることに若干の違和感、不安感をもつ。少し前、どこかの自治体が「セッツ電隊」なる珍妙なものを立ち上げ節電対策を行うとの報道があった。この対策を実施すると、月あたり30万円だか50万円の節約になるらしい。それでも業務は遅滞なく実施されるようだ。ということはその分は今まで無駄遣いしていたということか。これこそ大きな勘違い、錯覚だと思う。世の中大いなる錯覚があちらこちらにあるようだ。
それにしても夏場にみかんが普通に売られている時代、お正月に食べるみかんが一番のごちそうになるかもしれない。
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