忙しくて記事がアップできないのか、のんべんだらりんと暮らしているせいで載せるべき話題を持たないのか。たぶん後者だろうと自他ともに認めるのは間違いのないことである。
長らく更新せずにいると強制的にgooさんにテンプレートを変えられてしまう。そろそろ更新しておかなくては。
久しぶりに友人と会い一日一緒に過ごしたが、彼の言ったことがこころに残ったのでここに記しておこう。
彼の高校の同窓会を次回は寺院で行う予定だそうである。なんでも同窓生のなかにその寺の住職がいるらしい。その住職の提案だということである。友人は早々と欠席することを告げたという。いままでほぼ皆勤なのにどうして欠席するのかというと、どうも場所が気にかかるらしい。彼いわく寺がどうこうではなく、同窓生には仏教徒以外の人もいるだろう。中には仏教を受け入れない宗教の信者もいるかもしれない。そんな人は決して寺院の山門をくぐることはしないし、まず参加しないだろう。はなから参加できない人がいるだろう場所で同窓会を開くことは適切だとはいえない。だから次回の同窓会には参加しない。そんなことを彼は静かに話してくれた。
その友人とは一緒にお寺参りも神社詣でもする仲なので、彼自身は山門をくぐることには抵抗はないはずである。彼は寺院へ行けないだろう同窓生がいることを想像してこの結論に達したのである。
友人の考えに納得し賛同した。
自分も以前から「想像力」というのはひじょうに大切なものだという考えを持っている。はっきりいって想像力のない人間は好きになれない。自分の行動や言動が他人(ひと)にどういう影響をあたえるかを考えない、想い描くことのできないない人がいる。いわゆる自己中心的人間である。自分さえよければいいんだと、他人(ひと)のことはどうでもいいと。ことに政治家や官僚に多いように思う。
人はだれもちょっとした想像力を働かせて他人(ひと)のことを思いやれば、他人(ひと)に迷惑をかけることもなく、争いをすることもなくお互い小さな幸せを呼ぶことができるんだろうな、と友人と別れた帰り道でしみじみと思った。
イマジン (♪天国なんてないんだと 想い描いてごらん)