設計事務所の裏窓

夫は建築士。設計事務所をやってます。
裏から眺めた感想、日々の独り言。
不定期便で頑張ります~!

自由と放任

2009年06月16日 17時22分22秒 | 独り言
息子達が中学生になった途端
息子達はサラリーマン化してしまった。
朝早く 夜遅い帰宅。
そして行動も 電車通学のせいか
広範囲に広がった。

特に長男の学校は結構「自主自立~~」が
妙に浸透しているような学校なので
中学生で すでに「大学生??」みたいな
行動をされて 最初は こっちも
「まだ中学生が!!」という場面に何度も出くわした。

学校帰りにナイター観てくるだの 文化祭の後に
打ち上げがあるだの・・・・

ちょっと前までランドセルしょって 近所だけを
歩いていた子供が 電車乗って遠くへ行く。
それだけでも こっちは結構「大丈夫かなあ」と
半信半疑なのに 結構思いきった行動をやってしまう。

まあ、自分たちが高校生の頃より息子達は
ナイターなら純粋に野球を観て8時半には帰るとか
打ち上げといっても ファミレスでご飯食べて帰るとか
それだけで 可愛いもんなのだが・・・

大昔の高校生って平気で居酒屋に入っていたような・・・
今 考えると恐ろしい・・・
今じゃ 絶対あり得ない!!

で、この「自主自立」自分は結構好きなのだ。
だって「自主自立」って「放任」じゃない。
何をやってもいいという訳でもない。
本当の自由って 案外 大変なのだ。
むしろ縛られ校則がんじがらめの方が楽である。
なぜなら「考えなくてもいいから」
だから、そういう学校は常に嫌だなあと思っていた。

生徒に善悪を考えさせて決めさせる。
多分 指導する方が大変である。
でもあえて それを先生達が面倒だとか
嫌だなと思わずにやってくれる。
それが魅力だった。

だが最近 その「自主自立」を「放任」と
間違えてきている生徒が多くなってきているようで・・
作りたくもない校則を作らざるをえない場面も出ているらしい。
あーーー悲しいなあと思う。
縛られて 命令されないと動けないなんて
つまんないし最低だと 長男には言ってしまう。

6年間 本当の自由を自分なりに作ってほしいと思う。
せっかく そういう校風の学校にいるという
チャンスを生かしてほしい。
自由になるというのは
自分の責任と管理が凄く重要なのだと
理解してくれたらなあと思う。

今の長男を見ている限りじゃ・・・
本当にわかっているか 怪しい限りだけど・・・


オアシスタイム

2009年06月13日 10時44分18秒 | 独り言
先日 会社時代の同僚と会った。
彼女とは数ヶ月に一度くらいの割合で会っている。
こういう気の合う友と 会って話す。
それが今の一番のオアシスである。
ショボイ オアシスかもしれないが
至福の時とも思ってしまう。

テレビでは ゴージャな奥様達が銀座で
ランチタイム~~みたいな事をやっていたり
するが 自分は食べる事より しゃべる事。
これが一番 楽しい。
勿論 ゴージャなランチは出来ないので
ふつーに食べる事も楽しいが 大昔の
懐かしい話から 子供の話 テレビの話
最近ではめっきり増えた 介護問題と
健康問題の話・・・話題は尽きない。
勿論 愚痴り合う事も大事。

悪い話はしない方がいいとか そういう事も
大事かもしれないが 気が合って許せる相手だから
じゃんじゃん 愚痴も出る。
愚痴っても解決しないけど それでも発散。
それが結構 良いのだ。

専業主婦で おばさんは ともかく狭くなる。
考え、視野 全てが固くなってしまう。
だから いろんな人と会って話す。
笑う、愚痴る。
小さい事かもしれないけど 結構大事だと思う。

大学時代、中学時代、バイト時代、会社時代
そして近所の 超少数の友。
どの友も 自分にとってはオアシスをくれる
大事な存在でもあり 狭く固くなった考えから
ほんの少しアンテナを外に向けるのを
手伝ってくれる存在である。

きっと 本当は「いろんな人といっぱい会う」って
いうのが良いのだろうなあとも思う。

悲しいけど 超人脈がないから
毎度 同じサイクルで 同じ友とくるくる
会っているんだよねえ、これが・・・

でも数じゃなく質だあ~と 最近は開き直りである。

数少ない友だけど 家族とは違った自分の
大切な存在である。

いてくれて感謝!
(勝手に こっちが友と思い込んでいるだけだけど・・・涙)

働くという事

2009年06月13日 10時25分53秒 | 独り言
働かなくてと 思っている。
年金はあてにならないし 子供は まだまだ
金食い虫だし 夫が病気にでもなったら
何も保障ないし 働いて 貯めなくては~~!と
焦る毎日・・・・で、昨年から株なんぞをやってみている。

株?!ちゃんと働け~!と叱られそうだ。

振り返れば 大学時代から社会人になった時まで
働く事には 何も躊躇はなかった。
ともかく即効でバイトを見つけ 時間に拘束されるのも
当たり前と考えられていた あの頃。
それが結婚して ぱたりと 時間の拘束はなくなった。
勿論 子供が小さいときは24時間営業みたいな感じでの
拘束はあった。子育てを仕事と一緒にするなと又々
叱られそうだが 自由時間がない=拘束されるという
意味では 数年前までは 自分の仕事ちっくだった
気がする。

それが今は 当たり前だが そこそこ 子供も離れた。
じゃ、働く=拘束されるとなった時に
うーーーんと腰が重くなった。

まあ、要するに怠けもんだ!と言われれば
それまでなのだが・・・・・

自分に何が出来るか・・・・
自分なりの時間で働けるもの・・・
で、何か投資だと思った。

世間では 株とかFXに関しては 良くない印象が強い。

「楽して儲けようと思っている」とか
「働くというのは 汗水たらすことだ」とか。

でも株を ほんのちょっとかじってわかったのは
「楽して」なんて部分は ない~~~!という事。

自己責任が異常に絡まるのが投資。
財を減らすのも 増やすのも自己コントロールのみ。
厳しい世界だあ~~~と思う。
現実 7割の人達が投資の世界から消えちゃうらしい。
しかも損したまま・・・

昨年のサブプライムで 自分もあっという間に
「うわあ~~」という結果になった。
だから余計 去らないぞ~~という気持ちにもなり・・・

で、今は FXというものを超超 小額資金で修業中である。

昨年より大分 自分が冷静なのがわかるし
ちょっとは 進歩出来たかもと思い込んでいるのだが・・

ともかく今は 急がば回ればかりを呪文のように
繰り返す毎日である・・・

本物志向

2009年06月10日 15時39分44秒 | 独り言
不況な時代だから「安かろう 悪かろう」が
売れているかと思えば 不思議とそうでもない。

どうやら 世の中 こんな時代だからこそ
「本物志向」が高まっているような気がする。

高級スーパーといわれるスーパーには 結構 人がいるし
無農薬野菜は相変わらず売れているし 無添加、無農薬という
字が浮き出れば 不況でも多少 単価が高くても
買っていく人がいる。

音楽も 結局は流行り物よりも本物志向。
だから最近 オリジナルがないなあと思う。
昔のカバーアルバムばかりで・・・
結局 需要が多いという事だ。

100円が500円になっても 人は結構財布を緩める。
しかし それが「家」となると どうだろう・・・
本物志向が食べ物や音楽といった趣味嗜好だと
財布は緩むが「家」となると そうはならい。
一番 大事なところであるが 大多数の人達は
「なるべく安く」という感覚で「家造り」をしている。

勿論「安く」は「正規の安く、無駄のない」といった意味
じゃなければいけないけれど まだまだ「家」に関しては
「安かろう 悪かろう」になってしまっているような
気がしてならない。

100円が500円になるような単価感覚ではなく
何百、何千単位だと 人は財布を緩めない。

大事なところでは それに見合った出費をする。
大事じゃないところは とことん抑える。
それが本物の「ケチ」だと思う。

不況だからこそ「ケチ」の本物が目立ってきている。
しかし「家」に関しては まだまだ本物は
いないような気がする。


自慢星人

2009年06月08日 18時34分28秒 | 独り言
自慢星人が少々 苦手です、ハイ・・・・

素直に「聞いて!聞いて!凄いでしょ!」は
全然OK。「凄いね、良かったね!」と
きっと言ってあげられる。
たとえ それが「えっ!凄いかなあ~~」って事でも
性格 わるーーい おばさんは そのくらい
お芝居バッチリなのだ。ハハハ。

苦手・・・って思うのは 素直じゃない自慢星人。

謙遜しながらも 最終的に「凄いでしょ」と
ミエミエタイプがいる。
そういうタイプが、どうも駄目。

でも考えたら 自慢したいって 自分に自信がないのかなと。
褒めて あがめて 凄いって言って欲しい。
こういう欲求があるというのは 常に 認められている
部分が少ない欲求不満のようなものなのでは・・と
最近は 自慢星人と出会うと分析してしまう。

それと きっと自慢してくる相手と自分の
信頼関係次第なのだろうなとも思う。
凄く気の合う友が 自慢じゃなくても
「凄い!」という事があったら 自慢されなくても
「良かった!凄いよ!」と嬉しくなってしまう。
でも 気が合う友って当たり前だけど 自慢星人じゃない。

人間誰でも 嫉妬、嫉みを持つ。
だから自慢星人を さらっとかわせなく 苦手と
思う自分は 僻みだらけの人間だあ~~っと
それはそれで嫌になるが 苦手なのは事実である。

周囲を気にしない。自分は自分。
こう確固たる意志を持ちたいと思う。

きっと変な意味じゃなく 自分に自信があり
強い人だと思う。

自慢星人すら目に入らない。
そんな人を目指したいものだ。

消化不良

2009年06月07日 16時48分58秒 | 独り言
「天使と悪魔」観に行きました。
映画です、ハイ。

面白かったし 良かったし 別に文句はないけれど
原作とか読んでいる映画は 最近駄目だあ~と
思う事多く・・・・

前作の「ダ、ヴィンチ、コード」も そうだったけど
映画を観ながら つい原作を探してしまう。
次にこうなるぞとか あれ?これはこうだったのにとか
そういうところばっかり目がいってしまう。

ハリーポッターに20世紀少年、ジェネラルルージュの凱旋。
最近観た映画は どれも原作の本を読んでいるか
漫画を読んでいるかだったので どれも観た後に
なぜか消化不良をおこす。

うーーーん、やはり2時間の枠じゃ 深みがなーーいとか
しっくりこないで終わるのだ。

で、最近 キムタクさん主演の「華麗なる一族」ドラマが
再放送してて 暇なおばさんは ビデオにとってまで
見ていたのだが これは逆にドラマを見終わってから
本を読んでみた。

うーーん 先に原作より 良かった。
でも本がイマイチに感じられ・・・・

結局 原作から ドラマとか映画って別物として
とらえないと つまらーーんと納得。

ぶつぶつ言ってないで 何もしないで 純粋に次回は
映画観ようかと・・・・

でも 結局 6月6日から始まる「ハゲタカ」の
原作を つい本屋で物色しているんだよね、これが・・・

ゴールをしって ほっとしながら観る。
こういう つまらなーーい行動するから
いつも映画は 消化不良である。。。

原石

2009年06月07日 16時14分01秒 | 独り言
うんと小さい頃 おばあさん&おじいさんは
生まれた時から おばあさんとおじいさんだったと
信じていた。
自分とは違う人種で 自分は おばあさんという
人種にはならないと。

今 考えると 馬鹿みたいだけど 真面目に
そう思い込んでいた記憶がある。
それくらい 小さい頃の時間というのは
いかにも ゆったりとしていたのだ。

いつからだろうか。
自分という意識が生まれた頃から 一年が早くなり
最近は10年が早い!

そう考えると 人生は本当に短い。
何かに熱中出来る時間と体力と気力がある期間なんて
たった数年かもしれない。

だから子供は宝石の原石のようなものだと いつも思う。

磨き方次第で ダイヤにもなれる。
まあ、何もしなければ石ころだが。
それでも時間を自由に操れる。勿論 自分次第でだけど。
でも それだけでも羨ましい。

そう子供たちに時々言うのだが これが・・・
わからないんだよねえ・・・・

確かに自分も 時間が大河のように ゆったり流れていた頃は
何を言われても 「今この時」の事しか頭になく・・・・

「だったら お母さんも今からダイヤになれば?」と
長男には逆に言われてしまう始末。
今からって・・・何かをする資金は?時間は?
家族がいる、年とってる、それだけで ダイヤまでが
遠くなる。

でも これは子供たちには言えない。
だって言い訳バリバリ。お金なんてかけなくたって
年とったって どんな環境でもダイヤなれる人はなれる。
結局 言い訳ばかりで動かない大人が
石ころって訳なのだ。
しかも決定的に 駄目な事は 自分にとって
「これ!」という「何か」が全く見つからない事。


だから この事は 子供たちには偉そうな事言えない。
「石ころに なるなよ、常に磨け」としか言えない。
願望しか かけられない。

きっと人間 一生を3度くらい繰り返せたら
世の中 ダイヤばっかりの人間になるのだろうなと思う。

今年も もう半分終わり。
石ころは 今年も急速なスピードで終わりそう。


一番 チビになり・・・

2009年06月05日 06時54分01秒 | 独り言
あれ?と気が付いたら 今 次男が同じ目線になっている。
そう 当たり前だが息子二人のわが家は 自分が
家族の中で一番チビとなる。

長男なんて もう夫と同じか それ以上になってしまった。
あっ でも 腹の出具合だけが絶対違うのだけど・・・

なんで大人たちは 横に成長しているんだ~~という感じで・・・(汗)

大昔 抱っこヒモで前抱っこしていたのにぃ~~とか
毎日 夜は寝かしつけてたのにぃ~~とか
とかく 親は大昔の思い出に つい浸るけど 
子供は知ったこっちゃない。

親と同等の身体に成長していくと こっちも
「育てる」というより「見守る」って行動が多くなる。
というか多くしなければいけないと思う。
でも つい邪魔する。昔の抱っこヒモ時代とか
寝かしつけ時代が 親の方では うーーんと濃いから
つい手を出し口出しと・・・・

花は水あげて肥料あげて 環境整えて 待っているだけなのに
種に向かって「咲け、咲け、うんと奇麗な花」とか
強制しないのに、なぜか人を育てる時は強制してしまうのだよね。

「うざい!」と親を避ける方法、それが きっと子供なりの
「見守る」行動へ親を導く方法なのかもしれない。

そう考えると 反抗期ってものも 必要あって生まれているのかも・・・

自分じゃないものを育てるのは 花も人間も苦手だ。。。

1日お先に

2009年06月02日 17時36分42秒 | 独り言
たった1日でもいい。
夫より先に逝きたい。

勿論 後 何十年も うーーーんと後の事で(ここ強調!)

ともかく 残されるのは絶対嫌だと思う。

今だって 嵐の夜 地震があった日 逆にクリスマスの夜
お正月 GWの 世間が浮かれている夜

たった一人で過ごしたら・・・と想像すると怖くなる。

ウチなんて年金も当てにならず 勿論貯蓄も当てにならず
老後の生活云々も勿論 一人じゃ怖い原因なのだが
それよりも 一人だという現実が精神的に怖い。

息子?変わっているようだが 娘でも息子でも子供は
仮の家族と思っているので 一緒に暮らすなんて
それも絶対ありえない~!

中年になった息子達と暮らす。
そっちは一人よりも もっと苦痛な毎日という感じだ。

それに パソコンとか携帯とか 弱いから
一人になったら即効で 陸の孤島と化すだろうなと思う。

そういう意味でも 自分は先に逝きたいなあと思う。

でも 女って生き物は 長生きに出来ているらしいし。
案外 生きれば生きるほど 生に執着するのかもしれないけど・・・

メールがなかったら・・・

2009年06月01日 16時28分12秒 | 独り言
携帯は 弊害を生む。
ゲームも パソコンも。

そう文明は いつも弊害を連れて来る。

でも今 携帯のない生活、パソコンのない生活。
もっと言ってしまえば テレビだって ないと困るなあという
部類に入ってしまった。

メールがあったから 昔の友と気軽に連絡がとれたりする。
だから最近 電話をかけるとなると ひどく億劫だ。
なるべくメールですませたい。

子供の学校の連絡簿まで去年はメールだった。
これには正直嬉しかった。

知らないところに電話をかける あの少々の緊張感も
メールには全く無く 逆に言えば コミュニュケーションが
大の苦手な自分は ますます この「お気楽」メール生活が
欠かせなくなる。

大昔 ど緊張で 彼氏彼女の家に電話していた 今 おばさん世代の
私達。今の子供たちが お年ごろの時は そんなものなくなってしまうのだ。
各個人の携帯に連絡するかメールするか。

家の中にいながら「個」が立派に成立。
これを 弊害ととらえれば まあ、確かに・・・

あまりにも早い 文明の発達に最近の自分は
それを疑問と思う間もなく 呑み込まれているような気がする。

人が道具を使い始めた頃から いつか道具に使われると
予想は出来ていたのかもしれないけど・・・・