図面をいじくりたがる。
こういうクライアントの方々 結構多いそうで・・・・・
勿論 自分が客なのだから自分が建てる建物について
こうしてほしい これがいいと意見を言うのは当たり前。
でも ただ「いじくる」
これは相手が設計事務所で何か造りあげるのであれば
ややこしい事となるようである。
ここでいう「いじくる」とは どこかの料理店へ入って
厨房に入っているコックの手元に自分の味付けを
あれこれ口だけで言うだけじゃなく 自分で実際に
味付けしてしまうのと似ている。
最終的な盛りつけを ちょっと工夫してもらって
後は自分が手を下す。
当たり前だけどプロの味にはなれない。
でも それが満足というお客様には最高の味だと感じる。
「この光庭は こんなに大きくいらない」とか
「この部分は もっと小さくしたい」という細かな部分を
いじくり始め 最終的に何を欲しているのかと聞くと
結局 納戸がもっと欲しいとか リビングをもっと
大きくしたいという根源が出てくる。
その気持ちの整理をしてあげるのは 勿論 建築士の
仕事だけれど 明らかに「自分が手を下したい」という
方達もいる。そういう方達は 自分が手を下したものを
を施工側に建物にしてもらえばいいのである。
むしろ設計監理料を払うのはバカらしいのだ。
よくあるのが建ててから
「これは図面だと無駄に見えたけど あって良かった」
なんていう言葉。そう立体的に建った建物で やっと
光庭の役割なんかが生きて見えるという事は よくある。
ここまでくると 建築士が言っている事が信用出来るか
どうかの信頼関係となる訳だが・・・・・
朝から夜まで どういう感じで太陽が建物を包み
光は 風は どこから入って抜けていくのか。
この外壁だと建物は こんなイメージで この
外壁にすると こうなってという いわばCGのようなイメージ。
とりあえず一応プロの目は 当たり前だが クライアントの
誰よりも完成した建物の立体を頭に描いているのだが
とかく平面の図面を睨めっこしている素人の方達の
頭の中は この「立体感」が湧いてこない。
目先の大きい 小さい という枠の中に目がいってしまうらしい。
それは当たり前である。そのプロの才をお金で買っている
のであるから。
だから なまじ「いじくる」と プロの才がなくなってしまう。
「こうしたい ああしたい」
じゃんじゃん意見を言って とことんプロをこき使う。
自分で手を下したところでバカらしいのだ。
プロをうまく こき使う。
設計事務所に対しての使い分けがうまく出来るクライアント達は
こっちが羨ましくなる位の お金に見合った建物が
造られているようだ。
まあ、それにはプロとしての才をとことん信頼してもらう
という大前提がある訳で・・・・
一つの建物が建つまでには やはり人と人とのドラマが
ありそうである。。。
こういうクライアントの方々 結構多いそうで・・・・・
勿論 自分が客なのだから自分が建てる建物について
こうしてほしい これがいいと意見を言うのは当たり前。
でも ただ「いじくる」
これは相手が設計事務所で何か造りあげるのであれば
ややこしい事となるようである。
ここでいう「いじくる」とは どこかの料理店へ入って
厨房に入っているコックの手元に自分の味付けを
あれこれ口だけで言うだけじゃなく 自分で実際に
味付けしてしまうのと似ている。
最終的な盛りつけを ちょっと工夫してもらって
後は自分が手を下す。
当たり前だけどプロの味にはなれない。
でも それが満足というお客様には最高の味だと感じる。
「この光庭は こんなに大きくいらない」とか
「この部分は もっと小さくしたい」という細かな部分を
いじくり始め 最終的に何を欲しているのかと聞くと
結局 納戸がもっと欲しいとか リビングをもっと
大きくしたいという根源が出てくる。
その気持ちの整理をしてあげるのは 勿論 建築士の
仕事だけれど 明らかに「自分が手を下したい」という
方達もいる。そういう方達は 自分が手を下したものを
を施工側に建物にしてもらえばいいのである。
むしろ設計監理料を払うのはバカらしいのだ。
よくあるのが建ててから
「これは図面だと無駄に見えたけど あって良かった」
なんていう言葉。そう立体的に建った建物で やっと
光庭の役割なんかが生きて見えるという事は よくある。
ここまでくると 建築士が言っている事が信用出来るか
どうかの信頼関係となる訳だが・・・・・
朝から夜まで どういう感じで太陽が建物を包み
光は 風は どこから入って抜けていくのか。
この外壁だと建物は こんなイメージで この
外壁にすると こうなってという いわばCGのようなイメージ。
とりあえず一応プロの目は 当たり前だが クライアントの
誰よりも完成した建物の立体を頭に描いているのだが
とかく平面の図面を睨めっこしている素人の方達の
頭の中は この「立体感」が湧いてこない。
目先の大きい 小さい という枠の中に目がいってしまうらしい。
それは当たり前である。そのプロの才をお金で買っている
のであるから。
だから なまじ「いじくる」と プロの才がなくなってしまう。
「こうしたい ああしたい」
じゃんじゃん意見を言って とことんプロをこき使う。
自分で手を下したところでバカらしいのだ。
プロをうまく こき使う。
設計事務所に対しての使い分けがうまく出来るクライアント達は
こっちが羨ましくなる位の お金に見合った建物が
造られているようだ。
まあ、それにはプロとしての才をとことん信頼してもらう
という大前提がある訳で・・・・
一つの建物が建つまでには やはり人と人とのドラマが
ありそうである。。。