設計事務所の裏窓

夫は建築士。設計事務所をやってます。
裏から眺めた感想、日々の独り言。
不定期便で頑張ります~!

縁と運と

2006年02月27日 17時11分06秒 | 独り言
土地代が上昇しているらしい。
不景気なのは どうやら我が家だけらしく(!悲) 
巷では そう不動産業界では ちょっとしたバブルもあるとか!
本当なのお~~っと思ってたが 今 土地探しを一緒に
お手伝いしているクライアントの場合を裏から見ていると
確かに!と頷けるほど こんな場所でこの坪単価!という
感じになってしまっている。。。

そうは言われても 人の生活に待ったはないので
しょうがない。高いと言われる時でも なるべく
全てを納得出来る予算内で「いい家」を造ってあげるのも
我が家の商売の一部。
という事で四苦八苦の土地探しだが 今 ちょっといいなと
いう感じの候補地がやっと上がってきた。
が、高い!と夫は少々顔をしかめる。

確かに立地&環境 そしてクライアントの希望する要素も
入った土地だが 自分の相場的にはもっと安い土地じゃないかと。

不動産屋とのやりとりは 我が家が代行してやっているが
やはり肝心なところの詰めはクライアントも登場となる。
いい加減な不動産屋ばかりではないが とかく素人=わからない
となると ひどい話 格安の土地でも下水道が通ってないだの
工場跡地で土壌がひどかった なんて実話も聞く。
それで 我が家ではこの辺りも勿論調べた上で不動産屋には
同席の上の交渉と 今回はなったようだ。
最後の決断 買う買わないはクライアントの決定権だが
「同席してもらえれば心強いです」というのは
手前ミソながらも 素人ゆえの率直な感想かもしれない。

面白いのは さんざん 我が家が代理じゃなく直接購入かと
思い しつこく電話なりメールなりしてきた不動産屋が
我が家が設計事務所でクライアントの代理で動いている
とわかった途端 手のひらを返したように「シーン」と
なってしまう場合もある。なぜ・・・????

まあ、自分の息のかかった工務店なりメーカーに建てさせたいと
いう裏があるせいか なんなのか・・・
こういう怪しげな行動をとる不動産屋はこちらもごめんだが
こういう事をするから どうも不動産屋に対しての
印象が悪くなってしまう。

土地探しは 本当に微妙な難解さがある。
うろうろ迷っていれば 良いものは あっという間に売れる。
だからといって安易に一生を決めるような買い物をするものではない。
どちらかというと縁と運に任されるようなところもある。

それはクライアントと我が家の出会いと ちょっと似ている。
交渉 うまくいけば良いけど・・・裏から ついつい
覗いてしまう 今回のケースである。

オリンピック終わって

2006年02月26日 20時56分45秒 | 独り言
荒川、金メダル実感 「東洋の女神」「満点」 (共同通信) - goo ニュース

今やオリンピック効果らしく都内のスケート場は
平日でも人が凄いらしい。
もうメダル無しか・・・と皆が沈んでいた時のメダル。
しかも色は何でもいい~と思ってた矢先の金だから
なんだかスケート熱が上がるのも無理はないかも・・

それにしてもオリンピックの金というのは 他の
国際試合の金とは全く別物のようである。
金と銀とは その後の選手の生活が違うと言われている
ように なんだか取り扱いが全く別になってしまうも
不思議でしょうがない。

今回 女子フィギアでは本命の方がまさかのミスだったけど
それほど本番で100ある自分の力を100出しきるというのは
難しいのだろうなと思う。
せいぜい80出せればいいけど最悪は半分以下なんて事も
あるのだろう。
「いつもは出来ているのに」
こんな言葉は全く通用しない世界。うーん過酷・・・・

結果だけじゃなく過程が大事とは言うけれど
結果を出さなければ終りの世界もある。
そんな時 結果を出せるのは時の運とその人の精神力と
やっぱりそれが実力なのかもしれない。

今回のオリンピックはイタリアで行われたから 時差もあり
あまりライブで見てた人達は少なかったみたいだけど
この間 近所の知り合いと話してたら夜中の3時まで
つい見入ってしまったという話を聞いた。
一体何をそんなに見てたかといえば なんと「カーリング」
あの不思議な競技はなんぞ?という興味でついつい見入って
しまったそうだ。確かに いまだにあのような
漬物石をスーッと滑らせる競技が不思議でならないと
知り合いは言う。あのほうきの役割は何?
普段はどういうトレーニングをするの?等々疑問頭に湧きながら
見入るように見てた割には結局 最後の最後まで
「なんなんだ??」という不可思議な感触が
消えなかったそうな・・・・わかる気もするが・・・

それでも この「カーリング」結構流行が押し寄せている
らしく あの漬物石ような物体がいくらなのか等々の
問い合わせが来てるらしい。ボーリングのように
今に「マイボール」とばかりに あの重たげな物体を
抱えてスケート場に颯爽と来る人達も増えていくのか(!?)

4年後のオリンピックは女子フィギュアとかも気になるが
やっぱり「カーリング」にも 不可思議と思いつつ
変にはまって見てそうである。




ゴロゴロに目がいって

2006年02月25日 09時07分55秒 | 独り言
小さい頃 父親の喉仏には本当に生卵が入っていると
信じていた。
食事をする度に隣に座っている父親の喉仏が ごろごろ
動くのが気になって きっとジーッと見つめていたのだろうか。
「男の人は大人になると生卵を飲む儀式があって・・・」
なんていう今ではバッカらしいおじさん嘘を あの頃は
「へえ~~~そうなんだ」と信じ まじまじ父の喉仏を
見ていたものである。ああ、可愛い時代である。

今は目を見て人と話せと言われるが 自分が若い時の
面接試験などには相手の目を見ると威圧感があるから
相手のネクタイ辺りを見なさいというマニュアルがあって
バイト試験や肝心の就職試験でも ひたすら目の前の人の
ネクタイではなく 男性ならいつも喉仏を見ていたものである。

自分にないものは何とも興味があるというか不思議に思えて
ならないのがいまだに 続いているのか。
ついついテレビでも何でも 大人の男性の喉仏を「不思議だ」と
見てしまう癖がある。どうなっているのだろうか。
違和感はないのだろうか。などなど・・・

我が家では もう「男性」として見ていない(?)存在の
夫にこのテのくだらん質問をしたところで
「はあ~~~???」という毎度の呆れ顔しか返ってこない
ので辞めているが 近所の知り合いから喉仏が出る事で
男の人は声変りをするのだと聞かされて ますます
「へえ~~~」の境地である。
という事は 今に一応♂である息子達から このケッタイな
ごろごろ喉仏が絶対出現するとなるのである。

「お父さんの咽には生卵が入っている」
つい最近まで このくだらん受け継いだ大嘘を真面目に
信じ込んでいた次男までもが ごろごろと咽が膨らみ
野太い声を発するのかと思うと なんだか妙に白けた
気持ちにもなるのだが・・・・

男に「色っぽい」は ないけれど 喉仏って一応は
そういう部分に入るのかもしれない。
だから やたらとテレビでも若いおにーさん達の
喉仏に目がいってしまうのか。

ああ、おばさんというのは ホント嫌である・・・


今年もあのシーズン

2006年02月24日 09時35分37秒 | 独り言
花粉到来の時期になってきた。
我が家も夫と長男が ともかくひどい。
ひどい時はティッシュの箱が一日で空となる。
こういう時の為にと 母はせっせと特売を狙い
ごっそりティッシュの買いだめをするのに こんな
母のケチ根性とは裏腹に花粉族達は特売ティッシュは
ものが悪いから こんな時だけでも高価ティッシュを
買って欲しいと言い出す・・・高価なものは特売しないのだが・・
かくして家の中で 鼻をかむ音が聞こえ始め 毎年
今年はなるか~~~とビクビクしている自分を通り越していく。
花粉までもがトロい自分を通り越すようで頭にくるが
こんな鬱陶しい病気にはならない方が一番幸せである。

花粉症の知り合いに聞くと ともかく知らぬ間に
タラーリンと垂れる鼻も嫌だし 目から訳もなく涙が
出てくる あの痒さもたまらないという。
鼻といえば 昔ほどテカテカガビガビに鼻を垂らしている
子供を見かけない。昔は鼻くらいじゃ医者にも行かず
ともかく子供は小汚いというイメージがあったが
今の子供達は ともかくお綺麗である。

自分が小学生の頃くらいには 冬の教室にはヤカンののっかった
大きいストーブが金網にぐるりと囲われ 教室のほぼ中央に
デンと構えていたものだ。テストの時間などはシュンシュンという
ヤカンの音が妙に大きく感じられ その音と共に
「ズーズー ズズ」なんていう誰かしらの鼻をすする音も聞こえる。
風邪を引いている時のテストといったら・・・鼻かみた~~い
でも なんか恥ずかしい・・・なんていう年頃だったから
辛かった・・・
今思えば 鼻をズルズルの方が うんと恥ずかしいというのに。。

久しく人前で困るような鼻風邪も引かなくなっている。
年とったのに丈夫になったか!?とちょっと嬉しくなったけど
何かの本に30代は風邪引かぬという内容を読みガッカリ・・・
何でも身体が風邪引いても気がつかないのが30代だそうで。
40代に入るとめっきり弱くなって引きやすくなったと感じるそうである。
という事は 風邪を引いている事さえも気がつかない
ボケーッとした身体になったという事だ。

今年も どこかで鼻をかむ音が聞こえる。
ボケーッとしてしまった身体には無用だが 薬屋で赤文字に
なっている特売ティッシュを尻目に見ながら 逆行するかの
ように高目の値段ティッシュを見つけてこなくては。。。。

たかがゴミ捨てだけど

2006年02月23日 10時08分44秒 | 独り言
ここ数年 朝のゴミ出しは子供達の日課となった。
それまでは夫の日課・・・・
たまーに自分もやったけど ほぼ一日の始まりに一番
最初に外に出る人という我が家のパターンだと夫であったのだ。
昔の人からすれば「働く男にゴミ持たせて!!」と怒られそうだが
たかがゴミじゃーんと自分は思ってしまう。
確かに片手にゴミ。片手に仕事カバンのサラリーマンお父さん達の
格好は なんとなーくショボク見れるけど 誰が見てる訳じゃーない。
そうそう 今や 男にゴミ袋は珍しい いでたちでも何でもないのだから。

そんな「たかがのゴミ捨て」でも子供が小さいと「たかが」じゃ
なくなる時もある。ほんの数分のゴミ捨てでも子供を
よっこらしょと小脇に抱えて ゴミ持ってとなる。
目を離せない時期というのは どの子供にもあるからだ。
それが大雨の時やら 物凄く寒い日はもっと大変。

そんなのは全く大した事ないし母の仕事じゃないかと
又々 怒られそうであるが 要はゴミ捨てという
日常を 男だから女だからと目くじら立てる事も
なかろうというのが自分の勝手な解釈でもある。

まあ、現代は男女の区別もなく男だからやらないとか
女だから無理という行為が減ってきている。
誰かが必要に応じて動けばいいという雰囲気は
とってもいい事じゃないかとも思う。
確かにプープーとしている こんな自分が偉そうには
言えないが 男だからふんぞりかえり 女だから動き回る
という時代は過ぎ去ったように思えるのだ。

だがである。結構いるもんなんだ~~と驚く事もある。
そう昔タイプの旦那様達・・・・

「ゴミを捨てる??恥ずかしい・・・ 出来ない・・・」
こういうタイプもいるらしいのだ。この現代でも!
誰も見てないじゃんとか 子供が具合の悪い時位はついでに
持っていってほしいと 相手の奥様達の話はブーブーだが
よくよく聞けば やはりそういう大昔タイプ旦那というのは
母からそういう育てられ方をしたそうな・・・

「男はやるもんじゃない。男はこういう事しない。」
そう言われ続け 共通するのは育ててくれた母達がそれはそれは
マメマメしく働く母達であったそうな・・・・

男がゴミ捨てを苦もなくやれるか否かは 母からの影響大!
という事らしい。
これはゴミ捨てに限った事でもなく 男だから女だからに
限った事でもなく 親の価値観というのは ともかく
影響大!という事なのだろう。

苦なく自分の事をしっかりやって 尚且つ 自分が
出来る事を自然にやる。
当面の息子達への価値観はこれかなとも思うけど
「寒いと家から出ないんだよねー」
行ってきますの挨拶代わりに こんなセリフでゴミ抱え
出て行く我が家の♂達には こっちの下心がミエミエらしい。。。


詩を読み思う

2006年02月20日 10時30分38秒 | 独り言
詩人の茨木のり子さん死去 (朝日新聞) - goo ニュース

詩を読む。なんて高尚な趣味はないけれど名前だけは知っていて
今は子供達の国語の教材にも使われていた「茨木のり子さん」
戦中 戦後を生き抜いたという感じの詩が結構好きで
やっぱり一番好きなのは詩集『見えない配達夫』に収められたあの有名な作品
「わたしが一番きれいだったとき」だろうか。

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

(略)

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な街をのし歩いた

(略)

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのよう
             ね

言葉って不思議だなと とっても実感した詩。
読んでいると戦後の焼け野原の荒涼とした風景とかが
なんだか頭に出てくる。たった言葉で それも短文で
頭に映像を送れるって いいなあと思ったのが上記の詩である。

学生時代 確か国語の授業で先生が配付した以下の詩。
これは結構 自分が大好きで何度も読み返したもの。
きっと誰もが一回くらいは「読んだ事ある!」という
感じではないだろうか。

それは濱口國雄さんの「便所掃除」。
濱口さんは旧国鉄の職員だったそうで 当時はこんなトイレが
あったのは想像出来るけど よっぽど掃除しながら頭に
言葉が走馬灯のように浮かんだのではないかなと思わせる詩。。。

扉をあけます
頭のしんまでくさくなります
まともに見ることが出来ません
神経までしびれる悲しいよごしかたです
澄んだ夜明の空気もくさくします
掃除がいっぺんにいやになります
むかつくようなババ糞がかけてあります

もう一度水をかけます
雑巾で仕上げをいたします
クレゾール液をまきます
白い乳液から新鮮な一瞬が流れます
静かな うれしい気持ちですわっています
朝の光が便器に反射します
クレゾール液が 糞壺の中から七色の光で照らします

便所を美しくする娘は
美しい子供をうむ といった母を思い出します
僕は男です
美しい妻に会えるかも知れません

最後の4行が一番好きなフレーズ。
何が?とかどうして?じゃなく なーんか心にひっかかって
それが心地良いひっかかりというか。。。。

詩というのは単純にそういうものなのだろうなと感じた詩。
理屈じゃなく「なんかいい!」
そんなものを無から生み出せるのが 芸術家って事なんでしょうか。

才のある人達が羨ましい・・・・
今日は少しトイレでも綺麗にして「綺麗な心」でも
拾える事を願う・・・

茨木さんの詩・・・・もっと読みたかった。残念です。

青汁談義

2006年02月18日 18時07分23秒 | 独り言
「まず~~~い!もう一杯!」
あのCMがいつも気になる。そう 青汁のCM。
本当にまずい訳?それとも意外にも美味な訳???
沸々と青汁に対するマイブームが沸き起こり・・・・

家族達から三日坊主マイブームの陰口を叩かれながら
パソコン画面に向かい ひたすらサンプル請求。
そうそう「タダ」という言葉に主婦は弱いから
いっそ 色々な青汁無料サンプルを頼んでしまえ!とばかりに
せっせと請求。

粉末のものから冷凍のものまで 徐々に青汁が届きつつある毎日。

「おじいさんから。いやいやおばあさんから」
そんな青汁CM同様 我が家では
「お父さんから。いやいや これまたお父さんからどうぞ」
という殆ど自分の脅しで夫が飲む。

結構 ぐびぐび飲んでいるからと冷凍になっている青汁を
飲んだが・・・・
感想・・???あのCM通り!
もう「まず~~い!」じゃなく「助けて~~!」という
声しか出ない。
粉末の「飲みやすい!」をうたい文句にしているのは
確かに飲めたけど 老舗元祖のあの青汁CMのものは
激激につら過ぎた。なぜ夫はああいう涼しい顔で飲み干せるか
聞いたところ 息止めて鼻から匂いがこないように
飲み干していたとか・・・早く言ってくれ~~~

激つらいサンプルばかりが14袋も届いている・・・
「タダ」なのに捨てるのは「勿体ない」
ケチはどこまでいってもケチとなる。

目下 毎日青汁と格闘である。
今のところアセロラジュースで思いっきり割ってしまって
飲む始末・・・身体にいいのか悪いのか・・なんだか
わからない感じである。

でも不思議なのは 飲みやすい粉末のものより冷凍になっている
つらい青汁に魅かれる。なんだか一番身体に良さそうな
感じがしてならない。

怖いもの見たさじゃなくまずいもの飲みたさ?という感じで
今日も「まず~~い!もう一杯!」じゃなく
「助けてくれ~~~!」と鼻つまみながら なぜか飲む(?)
という行為を繰り返すのだ・・・・

以前もあったような

2006年02月17日 15時01分04秒 | 独り言
園児2人刺され死亡、別の園児の母逮捕 滋賀・長浜 (朝日新聞) - goo ニュース

こんな事件 以前もあった記憶がある。
以前のは 親絡みの感情が子供に向けられてしまったという
やりきれない でも こういう事件今に起こると思っていたと
感じる母達は多いのではと思わせるものだった。
今回もそうなのだろうか・・・・
今は まだ推測でしか考えられないけれど二人の幼児 しかも
自分の子供と同じ年で しかも自分の子供が一緒にいたところで
正気でない気持ちで刺し殺せる親はいるだろうか。
親絡みか子供絡みか どっちにしろ物凄い心の闇があるような
気がする。

衝動的に発した感情でなく 長年の蓄積の沸々とした感情が
親としての正気をなくしてしまったのだろうか。

今振り返ると 子供が小さければ小さいほど 親同士の
つき合いというのは濃厚になる。
一緒に遊ぶという子供の行為だけなのに 親が付き添う。
そういう場面が多いのもあるし 一般的にフルタイムで
働く母が少ないせいか 母達も子供に付き添いながらの
参加が自分の社会参加のような気持ちになるのだ。
公園デビューなんて言葉から始まって 母と子は
徐々に他人親子達との社会を繋げていく。
親といえども人間。大人同士のつき合いといえども
合う 合わないもある。濃厚なつき合いになればなるほど
精神的に相談し合い 共に育児の力になる時もあれば
時として 物凄い亀裂の生じた関係になってしまう事もある。
それに厄介なのが親としての感情だ。
劣る 劣ってない 優れてる こんな勝手な比べっこも
親達の気持ちの底の底には見え隠れする。

今回の事件が親からみのものじゃないかもしれないが
何かしらの人間関係のこじれの結果である事は絶対だろう。
でも それが最後にこういう結果でしか終われないというのは
やっぱり悲し過ぎる。

「煩わしいけど一人も嫌」
幼稚園に通う子供を持つ知り合いの言葉だ。
自分をきちんと持っている。そう子供に願いながら
親達自身が大人の付き合いに翻弄されているのも事実。

何が原因かは これからはっきりするけれど理不尽な
事情で命がなくなってしまったのは事実。

いつも犠牲者は弱き立場ばかり。
大人達 しっかりしなくては。。。。。

がっかり~~

2006年02月16日 09時46分27秒 | 独り言
山田孝之、隠し子発覚…出産も結婚せずで合意 (夕刊フジ) - goo ニュース

結構 この俳優さん個人的に好きだったから「がっかり~~~」

なーんか世の中 芸能人を異種人と勘違いしすぎとか思ってしまう。
役者と父親の両立ねえ~~もっとマシな嘘をつけないのか。
芸能人だろうが歌舞伎俳優だろうが 結局 人間なんだから
普通に恋愛して普通に結婚したり離婚したりとあって当然。
子供がいるから結婚したから イメージダウンで人気が
落ちるなら そういう運命しか持ってない芸だったと思うけど。。。

歌舞伎俳優さんが「芸の肥やし」と言い張って隠し子騒動する
のも見てて気色悪い。
はっきり「結婚する気もないのに出来ちゃいました」と
宣言してくれた方がうんと見ていてさっぱりしてしまう。

男女の仲で「円満に別れ」なんてあり得ないのが普通。
今回も相当 お金がウロウロ動いたのでしょうか。

♂の母は こういう時 全く関係ないおばさんながら
我が息子どもを こういう「オバカ」にはしたくな~~いと
それだけを願ってしまうのだ。

いつか年頃になって「きちんと人を好きに」なってほしいと思う。
そして好きになった人を「絶対大事」にしてほしい。
その基本があれば「出来ちゃった」「でも結婚もしたくない」
なんて事にならないのじゃないかと・・・・・

誠意を持って円満に別れたと大人達は言い切っても
父不在の子供の現実は変わりはしない。
いつも犠牲者は子供のみ。
大人達 ちゃんと大人になろうよと言いたいなあ。

隠し子騒動がおさまって 自分の人気が不動になった時
忘れたように どっかのお城様とゴールイン。
こんな方達も一杯いるけど ちょっとファンだったから
これだけはやめてほしいなあ~大人の山田君・・・・

土地探し2

2006年02月14日 17時13分28秒 | 独り言
土地探しから関わっている個人住宅のクライアントの
奥様から
「近くの不動産屋で表に出てない情報を聞きました~!」
というメールをもらった。

今や不動産もネットとかで身近に情報を収集出来るけど
ともかく こういう情報で当たり前だがいわゆる「良い土地」
というのは難しい・・・・

一般に角地で前面道路が広くて真四角でとなると そんな土地は
表に出る前に建て売り業者か なんらかの玄人集団が持っていく。
しかも一応は都会で土地探しとなると・・・・

とりあえずは 我が家も知り合いの不動産屋に声かけはしているものの
なまじ 夫のように裏側を知っていると
「これは ちょっと高すぎじゃない・・・・」という声が
出てしまったり
「これは 希望している建物が出来ない・・・」という声が出てしまい・・・

素人考えでは「大きい!四角い!角だ!」というそれだけでは
なかなか そのクライアント家族にピッタリの「良い土地」なのか
判断がつかない。
まあ、その為に土地探しから建築士が絡むというのは
手前ミソながら 素人のクライアントにとってはとっても
ラッキーな事なのだ。
中には「コンサル代」なんて名目で設計料にプラスして
一緒に「お探し代金」も もらう設計事務所もあるみたいだが
個人住宅で正直「儲けよう!」なんて考えたら この仕事は
出来ないと 夫は毎度言っている。

とりあえずは表に出ない情報でも こちら側が「欲しい!欲しい!」
態度を出せば 売る側も変わってしまうので そこは
適度にアドバイスしながら どういう条件の土地なのか
チェックをしてあげていく段階となる。

不動産屋を全面的に信頼しない訳でもないが 一緒に土地から
探してあげている我が家の大事なお客様の一人。
「知らない客は美味しい客」になってはならないのである。
それじゃあ 何の為に一緒になって四苦八苦しているか
意味もなくなるというものだ。

我が家の個人住宅の家は何も高い家を建てさせようというのが
目的ではない。
正規の予算内で満足出来る。そんな暮らしの巣が出来る手伝いを
する事が 我が家の仕事。

そう突き詰めていくと 結局 余計な「儲け」は出ないとなる。
当たり前の事だし 我が家のモットーなんだけど
裏側の台所番としては少々 正直複雑・・・・


怠け者に注意

2006年02月13日 17時48分52秒 | 独り言
鬱病 人間ドックで早期発見 問診に共通質問 (産経新聞) - goo ニュース

「心療内科」という看板をよく見るようになった。
現代病の一種なのか 心の病なるものが増加して
昔に比べれば良い時代になったというべきか。。。

「心の風邪」とか本でも書かれ誰もが陥る病気で
治る病気であるという認識くらいはあるけれど
幸運な事にこの「心の病」の典型症状の一つである
「夜寝れない」といったものがない自分。
という事でまだ「心療内科」の看板をくぐっていないが・・・

知り合いも結構通っている。
今や ちょっと体調が崩れたからと言うくらいの理由で
気軽に門をくぐれる場所である。

抗うつ剤!睡眠薬!と聞けば昔は「キチガイか!」と
勘ぐられるのが一番だったが 今では誰もがとなると
語弊だが耳慣れた言葉にもなっている。

だが先日本屋で立ち読みしたら この最近大流行(?)の
メンタル面の本がずらりと並ぶ中で「擬態うつ病」という
本があり・・・・

ちらちら読んでいくと「うんうん」と頷ける事が多かった。
著者はある精神科医。
要は「自分はうつ病だ!」と居直った仮病の事。
「やる気がしない」「朝が辛い」「何も興味がない」
これもうつ病の症状らしいが 例えば遊びにいく
買い物にいく 旅行に行くとなるといきなり元気になるという。

勿論うつ病の初期とか治りかけにも こんな他人から見たら
いかにも「怠け」とうつる事が実際には病であったという
事も多いらしく 本当の「うつ病」と「擬態」を見分けるのは
難しいらしい。
でも この大流行に便乗(?)して 本来の性格の問題が
ただクローズアップされただけの人達が増加しているという。

誰だって現実から逃げてしまいたい事がある。
学校に行きたくない。会社に行きたくない。こんな自分でも
理由がはっきり覚えていなくても「今日の現実」いや
たった「今からの現実」から逃げたい事があった。
それでもその現実から逃げる事さえも出来ない小心者だと
なんとなくウヤムヤに ちょっとお腹を痛くしたり
体調を壊しつつ その現実を送っていくのだ。

小心者で現実からも逃げられないくせに こういう
繰り返しがいつしか小心者をほんの少し大きくしていくと
今は そう思える。

うつ病が有名になり周囲の知名度が高くなり
本当にその病と必死に戦っている人達はいいが
それを利用しながら 自分の中の小心者を大きくして
いかない人達は やっぱり「怠け者」だと思う。

生きている事自体 実は難儀。
案外 楽しい事より嫌な事や苦しい事が多いのが
人の生活というものなのだ。それでも 一瞬の一時の
喜びや楽しさを得ようと とりあえずは努力して前向きに
なれるのも人の生活。

人としての「怠け者」には やっぱりならないようにしなければ。

どっちでも

2006年02月07日 16時46分59秒 | 独り言
秋篠宮妃紀子さまがご懐妊 宮内庁が発表へ (朝日新聞) - goo ニュース


どうしてこうも重要なお家柄のお宅には♂が生誕しなく
我が家のような どうでもいいお家柄のお宅に
♂ばかりが生誕するのか・・・・・

難儀だよなあ~~というのが この記事を読んだ率直な感想・・

正直 天皇が男の人だろうが女の人だろうが 実は興味ないけれど
どこかで日本人というのは世継ぎは男!みたいな考えの
人達が多いのだろうなと思う。
そんな風潮に生む側は少し犠牲者っぽくて可哀想にも思えてしまう。
だから病気とかにもなってしまうのでは・・・・・??
これまた勝手な庶民の感想ですが・・・

天皇家と比べてはいけないけれど夫の実家は逆の意味で
物凄い。
何しろ夫が3人兄弟 そう正に一頃流行った「だんご三兄弟」の
真ん中。そして義兄のところが揃って男の子二人。
そして極め付けは我が家も男の子二人。
しかも昔飼っていた飼い犬まで♂で(全く関係ないけど)

お正月とかって華がないっていうか・・・・
要は♂集団。敢えて一応「女」という性別は義母に義姉に
この自分・・・・これって寂しい~というか虚しい~

今のところ最後の孫となった我が家の次男が生まれた時なんか
ちょっと「お葬式~??」っていう位の落ち込みの
あちらの実家・・・・

世の中には男を生まないと一人前の嫁じゃないとか
そんな世界もあるというのに 我が家は逆~~~
これでもかと男ばかりで少々 一族一同うんざり顔である。

まあ、子供達は単純に同性同士で年に一回会える従兄弟達と
遊ぶのが楽しくてたまらないといった様子。

最近では産み分けがどうのとか 女の子ブームだとか言われるけど
男じゃなければ継げないとか女じゃなければ駄目とか
そんな時代はもうお終いだと思うのに 大人達のエゴは止まらない。

かくいう自分も勿論 うんざりがっかりだったけど
最近は自分じゃない個体に対してああだのこうだのと
夢を描く方が間違っていたと諦めモード。

そう男だろうが女だろうが 自分の子供だろうが
要はそれぞれ違う生き方をする一人の人間。

それは天皇家だろうが庶民だろうが変わらない。
そう思うけど またこのご懐妊で皇室継承云々と始まるのでしょう~

不思議な国だなと 一庶民の感想なり。。。


端境

2006年02月01日 16時31分38秒 | 独り言
今の♂の子供達は結構 床屋でなく美容院へと
行く子供達が多い。
近所の美容院も扉を開けてギョッとした事もあった。
店内は中高生の男の子達で埋め尽くされていたのだ。

床屋はともかく高い!!
あんな子供の頭に正規の値段をつける。
顔剃りがあるから。シャンプーがあるからという理由
だろうが ヒゲなんてまだ生えてなくシャンプーだって
家でやればいいという考えの我が家には合わない!
というより単に貧乏性なだけだけど。。。

という事で 今はおかしくも変じゃないから美容院へと
息子どもを連れていこうとしたが当初は本人達が
頑として「行かない」の一点張り。
大昔のジジのように「美容院なんて女くさい!」とか
言い始める。バカだねえ。違うのに。

さんざん 母に言いくるめられ というより脅され(?)
一回 美容院へ渋々連れていけば その時から
「美容院しか行きたくない!」となる。本当に単純な生き物・・

息子達の主張は なんでもカットがうまいという事。
優しそうなお姉さんが一杯いるという事。
そして何よりおじさん臭いシャンプーの匂いがつかなく
いい匂いになって帰れるという事(?)らしい。

うーん 確かに床屋ってなんで帰宅したちっこい子供までもが
おじさん臭になって帰ってきてしまうのか・・・
それにあの臭はなぜか数日強烈に漂うのだ。

かくして最近は兄弟揃って1000円握りしめ美容院へと
行っている。
母は付き添わない。いい加減大きくなっているし
自分の髪の毛の事を自分の口からきちんと他人に伝えると
いう事も これまた立派な勉強であり・・・などと
くどくど玄関先で尤もらしく説教しながら送り出す。

半分以上は母楽ち~~んをしたいだけだがね・・・

そして昨日もなんだか女くさ~~い いい匂いのシャンプー臭を
漂わせて兄弟帰宅。
世の中 段々 男女の端境がなくなってきている
みたいだが そういう風潮が男の美容院通いの増進へと
なっているのかもしれない。

今に美容院は♂で溢れ 逆に床屋はおばさんで溢れる!
なんて現象もあるかもしれない。

まあ、「おばさん」という人種はもう女という端境はとっくに
超えているから どっちに行っても驚かれないのかもしれないが(悲)