設計事務所の裏窓

夫は建築士。設計事務所をやってます。
裏から眺めた感想、日々の独り言。
不定期便で頑張ります~!

価値観の変化

2011年05月30日 20時53分26秒 | 独り言
3.11の地震以降、価値観がガラリと変わった。
という話をよく聞く。
形あるものは、壊れる。
天災の前に人は無力等々・・・・
で、今回は人災の原発問題も勃発。
価値観変わるのも普通かもしれない。

知りあいの中にはいないけど、実際に
3月に爆発ボーーンとなった瞬間
海外移住を決めた一家もいる。
凄い決断でもあり、現実的に考えると
凄い経済力だと唸るばかり・・・・

子供の学校は?環境は?
仕事は?家は?言葉は?
自分が経済的に万が一の万が一OKでも
即効で決断出来るのかなあと正直自信ない。
これが家族持ちじゃなく、独りなら違うかもしれないが・・・

でも今回の地震で、自分の中で価値観が変わったとすれば
やっぱり「選択肢を増やすのは、経済力だ」
という情けないけど現実的な感想。
移動にしたって何にしたって、動けばそれなりにかかるのだ。
人は、食べるし、寝るし、教育受けるし・・・・
道端に勝手に花を咲かせられる雑草じゃない。
人が生きていくというのは、厄介なのだ。

選択肢がないというのは、辛い。
悩むところも与えられない。
なぜ若い時に5年先、10年先を見据えた
生き方をしなかったのかなあと地震以来
ずーーーっと考えている。

もっと自分に経済力があれば・・・・とそればかりだ。

子供を守る事の一つに 親の経済力は絶対なのだ。
選択肢がないというのは、守れないに等しい。

形あるものは壊れる。
でも知識や経験や、自分の頭の中のものは
壊れない。壊れようがない。
だからこそ この地震を無駄にしないで
自分の今頭を駆け巡っている焦りを無駄にはしたくない。

ともかく経済力。
外に不平不満をぶつけ続けても、悲しいけど
1分後、5分後に現実が変わる訳ではない。
今、自分が出来る事。それは経済力。
自分が選択肢増やして動きやすくしないと
動く事すら出来ないのが現実だ。

情けなく悲しいけど、自分の価値観は
なんとも夢なく味気なくなったかも・・・・

大学受験に関わるとしたら・・・

2011年05月30日 20時40分23秒 | 独り言
長男は、今年高校2年になる。
一応大学進学が希望らしいので、今年の夏が
ともかく決め手である。
と、毎度はっぱをかけている。
もう遅い状態の学力だけど
大学受験だけは、絶対に妥協してはいけない。
と、個人的には思っている。
なぜなら、大学は学びに行く場所であるから。
それに、これはあまり考えたくない卑しい考えだが
この日本、どう矛盾だと感じても学閥やら学歴主義。
これはしっかりと根付いている。
この傾向は、なくなるといいながらも消えないだろう。

難関大学に行ったから偉い訳でもなく、3流大学と
言われているところに行ったから人生終わりでもない。
ただ、人生最初のスタートは違う。
それを跳ね返すような人は、どの大学、どの場所に
いようが大丈夫なのだ。
一番厄介なのは、面倒だから、今やっている勉強が嫌だから
なんとなく入れる場所に行けばいいや的な考え。
こんな理由で妥協して大学へ入ってしまうのだけは
絶対に親としては、阻止したい。

大学受験は、中学受験とは大違い。
ともかく親の出番はない。
というか、あったらおかしい。
自分で考えて行動して苦しんで、やっと合格というのを
手にするのが大学受験だと思っている。

でも、これも毎回長男に言ってしまうが、
受験って案外一番楽でもある。
なんていっても、やればやっただけ見返りは来る。
確かに能力の限界はあるけれど、自分がやったものは
裏切らない。
しかし受験時代を終わって社会に出れば、努力していれば
何もかも報われるというのは本当に少ない。
やってもやってもマイナスなんて事もある。

それに大学全入時代と言われても、そのスタートにさえ
立てない立場の人達だっていっぱいいる。
模試や予備校にすら通うという選択肢もない世界もある。
若干17とか18で「働く」という進路しか選べない。
そういう現実だってあるのだ。
勉強出来るという選択肢。嫌だと思える選択肢。
なんて贅沢と 長男には言っているが・・・
どこまでわかっているのか・・・

自分もそうだったけど、自分がいる世界が全てと
思い込みがちだった。
世界はもっともっと大きくて、広くて
そして案外残酷だった。。

過去に戻れる人はいないけど、経験は伝えられる。
親が大学受験に関われるとしたら、そんな経験を
伝える事だけかもしれない。。


至福の独りタイム

2011年05月29日 15時46分57秒 | 独り言
本日は日曜日。
朝から長男は模試で次男はお遊び出かけ。
旦那殿は、午後より仕事絡みで出かけ。
という事で、今独り。
至福の独りタイム~~~!!
で、すっかりダラダラとした日曜である。
(平日もダラダラだけど・・・)

独りタイム、結構好きである。
勿論 外出しておしゃべりして食事して
旅行してと、外に出ないと感じない世界も
いいけれど、なんでしょうか、独り家に篭り
たまっている録画していたものを見たり
ひっくりかえって好きな本をぼーーっと読んだり
そういう時間もないと、ストレスが溜まる。

考えれば 子供がリビング内でウロウロしていた
時期から 成長するにつれて いつしか
個室に篭るのを好むようになる。
あまりにひどい引きこもりは異常だけど
人って、どこかで集団から離れて独りになりたい
という欲求があるに違いない。
でも、この独りになりたいって、結局、元の集団が
あるから成り立つ。

本日の独りタイムも、後数時間すれば子供たちが帰宅して
旦那殿が帰宅して、毎度のガヤガヤとした音と共に
日常が戻ってくる。
この戻ってくる、日常になるというのがわかりきっている
からこその至福なのかもしれない。

最初から独りなのと、戻れる集団を持っての独りは
まるで違う。

孤立と孤独が違うように、人は案外組織や集団が
鬱陶しくても、その中にいた方が健全なのかもしれない。

順番からいったら、いつか長男が家を出て、次男が家を
出て、子供のいなかった夫婦だけに戻る。
で、もっと順番からいったら旦那殿が先に逝って
自分だけが残る。

この至福タイムと思っている時間帯が永遠に続くのか~と
思うと、うわーーー、それはそれで考えたくなーーいと
思ってしまう。

やっぱり自分は孤独は好むけど、孤立は絶対無理と
つくづく本日は思ってしまうのだ。

家の中の大人数

2011年05月27日 18時27分02秒 | 独り言
我が家にはヒゲがポツポツ生えている
「おっさん化」した息子が二人いる。
今その息子達に望むことは
「早く 家から自立して出てくれーーー」という事。
なんて愛情のない・・・・

よく大家族で育った子供、何世代もいる家族の元で
育った方が子供には良いって話しあるけど、
どうなんでしょうか。。。

自分、大家族育ち。
生まれた時は祖父母に父方の兄弟、つまり
おじさん&おばさんまでいたのだから凄い!!
まあ、物心つく頃には、祖父が亡くなり
伯母が結婚して 家には祖母と伯父と両親、姉。
これだけでも大家族!!

大人が多い家って 正直問題が多しである。
これが人間関係を学ぶ場所として良い事だとか
コミュニュケーションを学べるから良い事だと
奇麗事は言えるけど、子供にとっては
どうなのか・・・・結構複雑&憂鬱な事も多い。
それに大家族で育ったからハキハキしているだの
我が侭じゃないだの、それも個人差かも。。

自分なんてとんでもなーーーい内気女&くっらーーーい子供で。
それは あんただけだと言われると、そうかもと
そう、これこそ個人差とも思うけど
とかく大人が集まるというのは価値観が衝突
するという事なのだ。
これが家庭じゃない他の社会なら良いけれど
家庭って案外 価値観って一つでいいと思う事が多い。

くだらないけど、夜寝る時間は?
お風呂に入るのは夕飯前?後?とか、
ご飯の時はテレビを観るのか?等々
どれも くだらなーーーいと思うけど生活には
細かいくだらない価値観が一杯あるもんである。
これが家族といえども大人が多ければ、ぶつかる。

で、何が言いたいかといえば自分は個人的には
家庭って場所に大人は夫婦だけで良いと思っている。
子供って いつの間にか大人になる。
当たり前である。でも一緒に暮らしていると
ガタイの大きい子供と思ってしまう。
子供の中には 自分の価値観が生まれ
成長しているというのに。。。
で、大体の家庭は知らず知らず 家庭の大人だった両親が
なぜか子供の位置になってしまう。

くだらない生活の価値観を一応は、夫婦で決めて
実行していたのが、いつの間にか
主導権が子供にうつってしまう。
これは良くないーーーーと思っている。
だから、早く出したいなあ~~~とそればかり。

子供には今のいる場所は、仮の巣なんだから
早く自分の巣を作れと、はっぱかけているけど
なんなんでしょう、今の草食系なのか、自立心ないのか
親がこう焦っているのに
「ええ~~~!家っていつか出るのオ~~」
なんて言っている。

ともかく精神的に、そして経済的に自立して欲しい。
今望む事は、それだけである。

絆の一人歩き

2011年05月26日 12時57分53秒 | 独り言
3.11から やたらと耳にする「絆」という言葉。
どうも気になる・・・・
3.11が地震のみの天災なら、こんなに気にはならなかった。
共に頑張る、立ち上がろうという意味での絆と捉えていただろう。
でも、今回の3.11は地震だけじゃなく
原発問題という人災もある。だから なんか気になる。
凄く極端な変な言い方をしてしまうと
「共に被害者になろう。共に危険な状態になろう」
という連帯感を押し付けられている気にもなる。
まるで戦時中に「戦争はやってはいけない」などと
言ってしまえば、それ非国民だ!!と捕縛されてしまう、
そんな感じに戻ってきているような気さえしてしまう。

相変わらずテレビでは風評被害の報道ばかり。
被災地応援しようの掛け声ばかり。
風評被害じゃなく実害じゃーーんと思ってしまうが
ここでも被災地に観光に行かない人、
被災地の物を食べない人達は非国民になる。
どうも問題をうまくすり替えられている。
本当の加害者は??絆に参加しない国民??
おかしいの極みである。
なんだか本当の本当の加害者達が 
うまくニタニタしているような気がしてならない。

この問題、目で見える訳でもなく 今日、明日中に
何か影響ある訳でもなく、もっと厄介なのは、子供に
特に影響が将来出るかもしれないという点。
これが50代、60代限定の男性達に今日今から
何かしらの影響があるものです!なんていうものだったら
事態はどうなっているか・・・・
こんなに のんびりダラダラって感じにはしないのだろうか。。

一体どこまでが本当で どこまでが誤魔化しか・・・・
判断は各個人で責任を取るから本当の事を言って欲しい。
本物だけを報道してほしい。
最低限そう思ってしまう。

今まで日本は自由で平和でと思っていた部分もあったが
どうやらそんな神話もないらしい。。

自分の身は自分で守る。
そんな自己責任が一番似合う国になってしまった。

絆という言葉だけが変に一人歩きをし、事実を隠して
歩いている。
ともかく 安全かそうじゃないのか。そうじゃなければ
どういう行動、考えにならなくてはいけないのか。。
冷静に、でも敏速に この問題 ともかく何か
動きがないかなあと毎日思う。。

男の子というのは・・・・

2011年05月24日 16時53分01秒 | 独り言
男の子というのは、精神的な発達が遅い。
子供を産んで、初めてわかったのが
性別でこんなに違うのか!という事。。。
個人差もあり、そんなに遅れているのは
あんたの家だけと言われると、そうだなとも
思うけど、大体知り合い達も口を揃えて
男の子って・・・・・・という話題になる。

長男もともかく口が遅く・・・・・
幼稚園に入る年になっても 何言っているか
よくわからなく・・・・
なんで女の子というのは、既に大人の「女」化
しているんだ~!と、いつもびっくりしていた。。

幼稚園はバス通園していたのだが、ある日バス停に迎えに
行くと、長男の額に大きなたんこぶ!その上にお決まりの
冷えピタシートが~~~!!ゲゲ~~!何があったか!と
びっくりして焦って本人に聞けば
「ドーンて」「ドーーンて」ばかりを繰り返す。
そう、主語がないんだよね、男の子の話というのは・・・
で、擬態語ばっかり。。
「そこで ガチーーンってなって、バターーンってなって」って
感じで・・・要は、何言っているかわからない。
するとすかさず先生と女の子、先生が口火きるより早く
「あのね、今日ね、廊下でA君とぶつかってね」といった具合に
ちゃーーんと主語、述語並べて説明してくださる。。
うーーーん、同じ年とは思えない~~~!

この傾向、いくら年重ねても、女の子は「女」で
男の子はいつまでたっても「赤ちゃん」
中学くらいまで、クラスを引っ張っていくのは
しっかりとした女の子。で、その後ろを我が長男のような
ぼけーーーーっとした身体だけデカイ男の子がついていく。
これが高校、大学、社会人となるにつれ、どの世界でも
男の人達が引っ張っていくようになっちゃうのが不思議~

草食系男子とか流行ってしまっているが、それって
ぼけーーーっとしたまま成長ない男の子なのか。。
困ったもんである。。

今や高校生になってしまった長男。
今日も学校から帰るなり
「やばいよ、お母さん、やばいよ」
何がやばいか知らんけど、相変わらず
主語のない話を話し出す。

非常にトホホな気分を味わうのであった・・・・

腐ったみかん

2011年05月23日 11時51分03秒 | 独り言
自分の周囲の知り合い達は、今「介護」という
問題に直面している人達が多くなった。
子育てが少々落ち着いたら、今度は介護問題。
珍しい話ではない。

自分の両親も、もう老老介護まっしぐら。。
で、最近思うのは、「育児の方がうんと楽」
なーーんて冷たい娘だろうと自分でも思うが
子供の問題も勿論大変。でも子供は柔軟性があり
建設的な話し合いも出来て未来もあり・・・
ところがである。
何十年も年月たった老人達には、当たり前だが
今までの考えや価値観を変える事は出来ない。
たとえそれが、もう無理だよって話でも・・・
身体と共に精神も固く老いちゃっている感じ。
これが超厄介。。。。

でも、同じ老人でも、自分は、明治生まれの祖母に
育てられたせいか、昔の「老人」と言われた人達と
現代の「老人」と言われる人達
なーーーんか違うといつも思う。

ネットが使えない、便利なものが使えない。
それが悪いという訳ではない。
自分も超アナログ人間。
でも、あえて現代の「便利」を使わずに
やたらと被害者になってしまう傾向があるのは
なぜだろうか・・・・

先週も自分の実家に姉と様子を見に行ったら
ともかく両親が買い物難民になっていた。
近くに大型スーパーがなく、身体が悲鳴をあげているのに
限界状態で買い物へ行っていた。
今やクリーニングでさえ宅配している時代。
食材の宅配業の会社はうんとあるというのに・・・
頑なに使おうとはしない。というより、知りたくない?
電話1本でカタログ見ながら注文出来るから
ネットがなくても大丈夫と説得しても聞いてない。
というより やる気なし。
でも 辛い、しんどいと繰り返す。。

あーーあ、なんで勝手に苦労しょいこんでいるのやらと
帰宅して近所の知り合い達に愚痴ったら、
みーーんなそんな感じらしく同じような話をしていた。

人間老いていかない人間はいない。
今普通に出来る事、やれる事、それが絶対出来なくなる。
その時に 自分の始末をどうするか。
それが最終的な人間の課題ではないだろうか。。

腐ったみかんにはなりたくない。
要は、今 自分が「あーーあ」と両親に感じている感情を
息子達には味わってほしくない。

昔、よく大人達からこう言われなかっただろうか。
「人から嫌な事されたら、絶対自分はやってはいけない」
そう、その原理。今、老人達の頑固な考えに翻弄されて
憂鬱になっているこの気持ち、その同じ事を自分が老人に
なってやったら、段ボールに1個入っていた腐ったみかんが
他の新鮮なみかんを侵食するようになってしまう。
それをやったらお終いだ。腐った人間にはなってはいけない。

どんなに老いても、どんな世代の人達とも建設的な
話し合いが出来る人間でならなければ。。。
最後まで 腐ったみかんじゃなく、人間として
いなくなりたいものだ。。。


母親達の役割

2011年05月22日 16時47分47秒 | 独り言
我が家は息子二人なのだが、超時代錯誤(?)か、
とんでもない勘違いの人に
「息子さん二人で家も老後も安泰ですねえ。」なんて言われる。
はあ~~?家ですか?老後ですか~?と
今は家制度バリバリの江戸時代か?と言いたくなる。
大昔の大奥じゃないのだから、男だろうが女だろうが
まーーーったく関係ないと思うけど、今でも皇室と
歌舞伎界なんかは男の子を生まないと大変な事に
なってしまうらしく・・・・正直 大きい声じゃ言えないけど
くっだらーーーんと思う。

ここまで極端じゃないけれど異性の子供というのは
母にとって格別らしく、息子を持つ知り合い母達は
程度の差はあっても、娘より俄然可愛い!を連発する。
うーーーん、自分超ひねくれなので、この感情
いまいちわからないのですよねえ~~~~

よく「嫁にもらう」とか「嫁がせる」という言葉を
自然に使うけど、この発想、逆の方が現代は
絶対うまくいうと思う。
だから自分は、息子が結婚したら(出来るかどうか問題だけど)
絶対「嫁がせた」気分になるだろうな、いや、そうなろうと
思っている。
相手のご家庭に よろしくお願いしますという感じ。
逆に娘だったら、ようこそもう一人の息子よって
感じで、受け入れなくてはとも思う。
だってその方が絶対双方が幸せなのではと・・・

今や二世帯住宅も表札二つをよくみる。
マスオさん現象も 嫌がる古くさい人達も多いけれど
逆の二世帯より圧倒的に問題は少ないような・・・

まるで所有物のように息子を扱う知り合い達も多い。
子供が自立出来ないのではなく、母が子供から自立出来ない。
こういう現象を見るたびに うう~~~!とぞっとする。

結局 これからの世の中動かすのは、自分の息子達の世代。
勿論女だって動かす。でも圧倒的にやっぱり男が動かす。
会社も政治も経済も。。
そう考えると、息子を育てるって結構肩に力入る。
同時に いかに自立した母じゃないといけないのか焦る。

でっぷり太った中年親父になってしまっても
何かと 母親を頼りきる大きな大人子供。
またそれを うっとりと支える超高齢な母親。。
この構図だけは避けたい。

極端だけど、混迷した今の世の中、決断出来ない大人。
行動出来ない大人。自分のない大人。
これ作ったのは、案外自分と同じ母親達かもしれない。


発信術

2011年05月21日 12時15分32秒 | 独り言
最近ふと思う。
なぜにこんなに人は発信したがるか。。

ブログ、ツィッター、フェイスブックなどなど・・・・
若者が文字離れだの、本を読まないだのと話題になるが
本当にそうなのか。。。
実は、みんな結構 人の文章読むのも好きで
書く事も好きなのではないかと・・・

大昔のアナログ時代、書いてそれが不特定多数の人達の
目にとまるなんて、そういう職業の人だけの特権だった。
それが今や、子供まで自分でブログなんか作って
昔の交換日記~(超古い!)が今やパソコンで
不特定多数の人達に公開状態となっている。
驚きである。

結局 みんな不満でも文句でも自慢でも
何か考え何か生み出したいと思っている証拠なのでは。。。
勿論、自分がしている商売に結びつけばという
仕事絡みのものが一番多いかもしれないが・・・・

自分もブログを始めたきっかけは、旦那殿がサラリーマン辞め
設計事務所を独立して立ち上げた時だ。
家造りに設計事務所が絡むのは、まだまだ浸透していないから
自分のブログが何か きっかけになればという
超横しまな気持ちで始めたのが正直なところである。
まあ、書いているうちに 勝手に自分の書きたい事が
どんどん横道にそれてしまったけど・・・・

この発信、0ではなかった。
自分のブログを読んでのクライアントさんが実際に現れた!
やっぱり0から1って凄いなあと、その時は実感。
勿論0からマイナスもあるけれど・・・・
でも0じゃない。これは凄い事である。

ブログを始めた当初は、一体世の中の皆様、どのような
ブログを作成しているのかと、会ったことも見たことも
ない方達のブログを どんどん見てみたが
なんか他人様のお家にお邪魔しまーーすという感覚。
文章って人柄、人格、雰囲気出るもんである。
個人的に うーーんあまり面白くないかもって
思ってしまうのは、やっぱり内輪ネタかも・・・
超個人的な感覚であるが・・・
別にブログに何書こうと自由でどうでもいいが
凄いでしょ、見て見て~ちっくな自慢ネタ満載の
ものは、ひねくれ屋の自分はどうも面白くない。
うわーー 性格わる!!

点と点が繋がる事も可能なこの発信術。
読んでくれる人が1人でもいて
不快に思ってくれなければ御の字である。
内輪ネタにならないよう、気をつけなければ・・・
でも世界超狭いし 自分の引き出し超少ないので、
ちょっと自信なしでもある・・・・

数より質

2011年05月19日 14時22分44秒 | 独り言
4月の入学シーズンになると 決まって聞こえてくる歌。
「1年生になったら~1年生になったら~
 友達100人出来るかな~」
楽しそうな前向きの歌だが、ひねくれ屋の自分は
毎年 この歌聞く度に、ちょっと首ひねる。
友達って多いほどいいものなのか~?と・・・

大人は子供に
「誰とでも仲良く」
「誰とでも合わせて」という友達理想論をつい言ってしまうが
じゃあ、言っている大人たちはどうか?と問われれば・・・
自分なんか うーーーんと唸るしかない。
別に攻撃的になれとか友達作るなとかではないけれど
額に汗して作るものでもない、友達って・・・・

ひねくれ屋でくっらーーーい自分に似ているのか
うちの息子どもも、そんなに多くの友達がいないような・・・
まあ、親だけが交友関係に疎いっていうのもあるけど・・・
特に変わりもんの象徴のような次男はひどかった。。
小学校時代は年賀状3枚なんていう年ばかりで・・・
1枚は担任の先生、1枚はお義理で出してくれる
赤ん坊の時からの幼なじみ。そしてもう1枚は
唯一の因果関係のない純な友達・・・
結局因果関係を除くと、たったの1枚。
これには、さすがの自分も小さい頃こんなにひどくは
なかったから、ううーーーんと違う意味で唸ってしまった。
友達いないって いない側にも原因がある時も多い。
一体、次男は学校でどんな性格悪い事しているのだろうかと
本気で心配もした。
ただ基本的に たった3枚だったというそれだけが悪いと
決めつけるのだけは、やめておこうとも思っていた。

友達は数じゃない。大勢の中で群れて楽しそうにしてても
全く楽しくない時もある。

子供には一人でもいい。何年かかってもいい。
今じゃなくてもいい。
自分のために泣いてくれる、そんな友達が出来たら
それは宝だ、本当に大事にしろと言っている。
人は結構 楽しい事は共有出来ても 苦しさや悲しさは
なかなか共有は出来ない。

自分も次男同様、変わりもんで人見知りで 今でも
学生時代とかバイト時代、会社時代の友人は
たったの数人程度。でも、今はおばさんになったせいか
逆に本当に良い友人達に出会って良かった~なんて思う。

よく女の人は、ずっと会わなくなると友達じゃないなんて
聞くけれど、それは この男女おばさん、全然ないのだ。
どんなに離れて住んでても、家庭環境が変わっても
母親となっていようがなってまいが、結婚してようが
してまいが、1年に数回程度だけど 会えると超嬉しい。
時間忘れ、笑い、時には年取ったせいか健康談議や
社会問題を真剣に語りあう。
独身時代と違って時間は限られるけど、帰りの電車中で
窓にうつった、おばさんの自分に
「今日は良い日だ」なんてにんまりしてしまう。

あの 友達100人の歌を否定する訳じゃないけれど
焦らず、ゆっくり、来る者拒まず自然にしていれば
「出来るかな」じゃなく「出来るよ」となるのでは。。

とりあえず、そう教えてきた訳ではないが
あの変わりもんの次男ですら、中学に入って
ちらほらと友達がいるような感じで(ここは希望的観測だが)
一応、年賀状も格段に増えてきた。
まあ、お義理もたくさんあるだろうが(汗)

友達は、他人と比べるものでもなく数でもなく
最終的には、自分の宝になれば一番なのである。

お墓に語りかけ

2011年05月18日 17時14分43秒 | 独り言
「トイレの神様」じゃないけれど 自分も育ての親は、おばあちゃん。
このおばあちゃん、今考えると、本当に変わっていた。

いつも言うセリフが
「人は生まれた瞬間から死へ向かって生きている」
なんとも元も子もないようなセリフだが、今思うと
おばあちゃん、哲学してるねえ~~~!と言ってあげたくなる。
まあ、このセリフの後には必ず
「だからこそ 今を懸命に生きないと」というセリフが続くのだけど。。

小さい頃 母親がフルタイムで働いている家庭というのは当時
非常に珍しく、自分のように幼稚園の送迎から各行事、小学校の行事まで
おばあちゃんが母代理の家は相当少なかった。
だから小学校くらいになると、おばあちゃんが授業参観とかに
来てくれるのはありがたい反面、超恥ずかしく・・・・
若いお母さん達の間に 真っ白い白髪頭、それに着物姿。
これが目立って目立って・・・・で、絶対友達がクスクス笑うのである。
これも嫌で嫌で・・・
いつだったか、意地悪な男子になんでおばあさんしか来ないんだ、変だと
言われ、帰宅するや、学校には絶対に来ないでと泣きながら
おばあちゃんを責めた事もあった。。子供は残酷である。
というより 性格悪い孫である。
それでもおばあちゃんは、怒るでもなく、いやむしろ悲しそうに
「わかったよ、もう行かないから」と何度も言ってた。
ひどい孫である。
そんな事を言った、ひどい孫だが、やっぱり家に帰れば台所で夕飯準備している
おばあちゃんの周りをいつもウロウロしていた。
なんかそれが帰宅した儀式というか、ほっとするというか・・・

ともかく好奇心の塊、珍しい物大好き、若い人大好きの変わった
おばあちゃんだったので、今流行っているもの、最新のものの
話をよく自分から聞き出しては、「へえ~~ 凄い世の中だねえ」
なんて言ってたものだ。

亡くなって、もう10年以上。
今いたら、紹介したい物がいっぱいだ。
まず携帯にパソコンはくらいつくだろう。で、メールも絶対覚える。
便利だねえなんて言いながら、ネットも面白がって使いこなしそうだ。
それに連れていってあげたい場所もたくさん増えた。
あれだけディズニーランドには感動していたから、ディズニーシーに行ったら
楽しめたかもしれない。豊洲とかお台場の街も気に入りそうだ。
街も物もどんどん変わって、自分も年とって曾孫達も赤ん坊から青年期。
でもお墓参りに行くと、お墓だけは変わらない。
おばあちゃんが入った頃のまま、冷え冷えとお出迎えだ。

まあ、変わったおばあちゃんは死ぬ間際まで変わってて
「死んじゃえば、魂も何もないよ。だから墓に来ても
 何もないよ~」なんて謳うように言ってたが
時々 墓参りに行くと、そんな声が聞こえてくるような気がする。

それでもさ、つい墓参りに行くと
おばあちゃんに問いかけてしまうのだよね。
「ちゃんと自分、生きているかなあ」と・・・・
勿論 ただの石だから うんともすんとも言わないけれど・・・

自立出来ない大人子供

2011年05月17日 17時27分07秒 | 独り言
自分も含め、世の中のおばさんと呼ばれる人達は
結構 勝手もんが多い。
良く言えば、マイペース。悪く言えば自己中心。

今日も郵便局のATMで振り込みしようと並んでいたら
自分の前に おばさん?というより もうおばあさんくらいの方。
おぼつかない指で ゆっくりATM操作。
あーー これは別に構わない。どうぞゆっくりやってくださいと
待っていた。むしろ、結構お年を召しているのに慣れないATM使って
偉いわ~なんて感心していたのだが・・・・
ここからが悪い。何が悪いって、おばあさん、全部操作終わって
自分の用終わっているのに、どいてくれない~~~!
何しているのかとよく見れば、通帳だの財布だのを丁寧にしまっている。
それが長い・・・・自分の後ろは長蛇の列・・・
多分、気がつかないのでしょう。自分がどういう位置づけで操作
していたのか・・・周りが見えない、というより見ない。

スーパーのレジも大体 おばさん達は金額言われて よっこらしょと
財布出し、細かいお金あるとレジの係の人を待たせて探し中。
これが長い・・・・・で、結局なかったりする、細かいお金が・・

駅でもやられちゃう、切符売り場でかばん出して陣取ってしまう
おばさん達・・・・
案外 おじさんてあまりないのだ。ささーーっとお札とか出して
ささーーっといなくなる。

おじさん達って社会生活が長いからだろうか。

ぜーーーったい気をつけようと毎度思ってしまう。
どこかで同じような事しているかもしれんが・・・・
意識があるときは、ともかく周囲を見ようと思ってしまう。

ともかく自立である。年取ればとるほど・・・
自立っていうと、なんか未熟な子供が独り立ちって
イメージだけど、とんでもない。
年だけとってしまった 大人子供がなんと多い事か・・・

子育てが一段落したら、絶対自分育てに走った方がいい。
いまどきの若者はなんて偉そうな事言わずに、精神的にも
経済的にも子供から自立する意識を持っていないと
とんでもない老人になってしまいそうだ。



一応 お仕事

2011年05月16日 15時51分38秒 | 独り言
専業主婦である。仕事を離れて なんともう20年経過・・・・
自分でも凄すぎだと思う。
でも最近 一応 昼間仕事、いや内職、いや修業・・・・
そんな事をやっている。
何をしているかというと、FX取引。
FX・・・・正式名称はなんだっけ?
なんとも長い長い名前、外国為替証拠金取引とかいう。
要は、円でドルとかユーロを買ったり売ったり
ユーロでポンドを買ったり売ったりとかする。
勿論、他の通貨もあるらしい。
自分は、あまり詳しくないが・・・・
で、買いなら自分が買った額より上がった分の差額を売って
買い戻す。差額分が儲けとなる。
売りは、その逆。。。
なんか難しい事のようだが 上がるか、下がるか。
現象はこの二通りのみ。

よく本屋に行くと たったの数万が数百万に!なんていう本が並んでる。
まあ、全員 あの本の通りなら凄いでしょと思ってしまう。
そうそう、美味しい話なんてないのだ。
FXもまた同じ。簡単にお金を手にするのは、他の労働と同じで
難しいのだ。それに ある友人にFXやっててと言ったら
本気モードで注意された。
「身ぐるみはがされるよ!」と・・・・
株とか先物とか投資っていうのは、確かに危険な匂いプンプン・・・
まして素人が・・・・ですよねえ。。。

しかーーし、自分はこのFXこそ 何もスキルなし資格なし
能力&体力なしの おばさんにこそ味方だ!と今は信じている。

確かに簡単じゃない。ちゃんと勉強が必要。それより何より大事なのは
自己管理。ここが大事。これが一番難しい。
なんたって人間欲の塊。この気持ちが災いする。

達人は、一日でサラリーマンの月給分、いや年収分も稼いでしまう人もいる。
これだけ聞くと、やっぱり怪しいとなるが どの達人も凄い努力をしている。
「働く」という価値観がちょっと変わったのも、
この相場の世界をちょっと覗いてから。

お金だけを求めていると お金は逃げていく。

矛盾するようだが 人はお金をもらう為に働くのだが
このFXは、お金だけを意識するとうまくいかなくなる。
一番 精神論とは関係ない世界にあるようで、人の物欲、思惑全てが
表れている世界。

なんだか面白いなあと 日々 世界中の人が動かしている上下動き回る
チャートのローソク足と呼ばれる画面をしみじみ見てしまうのだ。

修行者だから、見ているのも勉強だけど、やっぱり自分変なおばさんかも・・・



親がかり

2011年05月14日 13時34分15秒 | 独り言
本日は長男の体育祭なのだが、自分は自宅でブログなんぞ書いている。
自宅から近い学校でもないし、もう高校生の子供の体育祭に
行ってもねえ・・・と ぐうたら母はさぼっている。
次男の方も中学生になってから すっかり行事には行ってない。
一応、懇談会とかは行くが、幼稚園、小学生の頃と比べたら
圧倒的に学校へ行く用も減った。ぐうたらにとっては、良い事である。

昔、自分が高校生の頃なんて 親は学校に来た事はあったのか??
多分、節目くらいしか来なかったような・・・・卒業式とか??
それくらい昔の親達って子供が高校生くらいになると
結構、無関心だった記憶があるのだが・・・・
それはウチだけだったのか怪しいが・・・・

あまりに無関心もおかしいけど、最近、おっかしいなあと
思う事は度々ある。
それは「親がかり」って事が多すぎる。

たとえば予備校。我が家も 一応高校卒業後は進学したいとか言うので
そろそろ予備校探しと、長男を季節講習に数校の予備校に行かせたのだが
いくら未成年とはいえ、もう自分の進路、自分の予備校という事で
手続き等 細かいところは長男本人に行かせていた。
すると説明会とかに行かせると必ず長男が言う事は、
「親が同伴してなかったのは、自分だけだった」というのだ。
うーーーん、考えてしまう。入校して大きな金額を払うとか
保護者の同意が必要なら同行だが、単に今後の大学入試の動向についてとか
その予備校についての説明会に親同伴???と首かしげてしまう。
行くのは本人。大学を受けるのも本人。ヒゲ生えちゃって、すっかり
大きくなった息子に付き添うの~~~!!っと、びっくり。

大学説明会なんかも親子同伴というのがあったりする。
笑っちゃう話は、テレビで見たが、就職先に親が見学なんて事も!
どこまで子供についていきたいのか。
そういう親のニーズが高いのか、それとも予備校や学校側も
ともかく保護者を引っ張り出そうという魂胆なのか・・・・
このままいくと超大人子供が増えそうで怖くなる。

無関心は絶対良くないが、かかわりすぎは、本人が自分の人生を他人事に
してしまう。予備校ひとつ選ぶのも親がかり。大学決めも就職決めも親がかり。
で、どこかでつまずいたら・・・・まあ、親のせいにするでしょうねえ。。
だって自分で決めて自分で行動したら、責任は自分だけど
それがないから。。
だからキレる中年も増えてしまったのか。

考え方や価値観も流行があり変化も出てくる。
昔が常識だった事が今じゃ非常識もある。
でもこの「親がかり」だけは、ちょっと昔のままで
自分はいっちゃうだろうなあと思う。

命と暮らす

2011年05月12日 17時27分40秒 | 独り言
動物を飼わなくなって、もう20年以上になってしまった。

昔は、犬、鳥、金魚、最盛期は3種類は飼っていたなあと思い出す。
だから学校へ行く前の朝は結構大変だった。
鳥の水と餌と掃除と 犬は、ともかく散歩。
金魚は平日は楽だけど 一ヶ月に数回は水槽洗い。

だから結婚して子供が生まれ、住んでいる場所も犬猫禁止だったので飼えなく、
しかも子供がいると それどころではなく・・・

で、最近少々余裕出て、鳥でもいいから飼いたいなあと思っても
長男のアレルギーがひどく、じゃあ、金魚かカメか羽なしかなあと
思っているうちに やる気もなく・・・・
どうしても表情ないと つまらんというか・・・
飼ってしまえば、金魚でも可愛いのだけどね。

表情といえば、やっぱり犬が一番である。
犬は8年間飼っていたが、やっぱり犬はペットじゃなく「家族」である。
純粋で健気で悲しいくらい従順である。
成長の早さが自分より加速してしまうというのが、昔はよくわからなく
小学校3年生で0歳だった犬は、自分が中学生の頃には少々くたびれた
中高年。昔は、土手での散歩で一緒に追いかけっこしても追いつかない位の
スピードで走っていた犬が年々、自分の後ろを走るようになる。
昼間もうつらうつらと寝てばかりで「なんで寝てばかり!若いくせに!」
なんて苛めてた(ごめんなさーーい)子供は残酷だ・・・・

やっぱり一番印象的だったのは、「命」を考えさせられた事かなあ。
中学生の時に部活終わって いつもの通り庭を覗いたら、布におおわれた物。
もう「命」じゃなく犬でもなく「物」になってしまうんだなあと。。
匂いも抜けた毛も遊んだボールも残っているのに、存在はない。
あの空虚さと呆然、その夕方の光景は今でも覚えている。

ペットを飼うって命を飼う、いや共に命と暮らす事。
そういう意味では絶対 子供達にも飼ってほしいなあと思っているのだが・・・・
羽なし、毛なしの動物を探すしかないか~~~と思案中・・・・