今回一番印象に残ったのは浄瑠璃寺。
ささやかなれども整った庭、古風な本堂の風情が憧れだった。
テレビや写真で見るのと実際に見るのは印象が違う場合も多々あるが、浄瑠璃寺への期待は裏切られなかった。
九体阿弥陀仏の現存する貴重な例。
とはいえ九体阿弥陀仏が並んでいるのと、普通に色々な仏像が並んでいるのは、
(仏像の存在感と言う意味で)見てる側としてはそこまで違いがないわけで……
九体阿弥陀仏という部分には特別感はなかった。
が、中央仏の前に座ると。
――わたしは仏像を基本的に美術作品として見ているので、基本は造型的に見る立場。
まあ美術鑑賞は美神信仰と言えないことはないし、何と言っても美術作品には宗教分野も多いこととて、
信仰と全く無関係に成立するとも言えないとは思うが、あまりアリガタイと思わずに見るようにしている。
信仰的観点と造型的観点は分けたい。
が、中央仏の前に座ると。
包み込まれるような安らぎを感じた。
丸っこい、ふっくらとしたほとけさまがこちらを見下ろし、「しょうもない奴じゃのう」と苦笑している。
こっちは、そうなんですよ、しょうもない奴なんですよ、と思いながら座っている。
見守られ感。守られ感。安心感。
優しく美しい仏像は他にもあるが、(ex.広隆寺弥勒菩薩、中宮寺如意輪観音)
それらはわたしのことを見てくれているのかというとあまりそうは思えない。
決して衆生を蔑ろにするわけではないだろうが、彼らはもっと崇高な世界について考えていて、
すぐ目の前の人間を見る余裕などないのだ。
だが浄瑠璃寺のぽってり阿弥陀は。
見下ろした目と見上げた目が素直に合う。目が合って、笑いあえる。
仏師はそういう方向を目指してはいなかったかもしれないが、このふっくらさ加減がそういう効果を生んでいる。
あまり端正でも……寄り添えませんからね。
アリガタイ仏像だった。わたしのアイドルになりそう。
※※※※※※※※※※※※
東大寺。言わずと知れた大仏。
が、印象的だったのは大仏ではなくて、二月堂・三月堂の造型的な美しさですね。
大仏殿は観光客で激混みなんだけど、東大寺境内でもその他の場所は不思議なほど人がいなくて静か。
二月堂への階段を登り切ったところで目の前に出現する二月堂・三月堂はドラマティックです。
特に二月堂。こういう、土地の高低差を使って劇的効果を生み出す建築は、実は日本では珍しいんじゃないだろうか。
そんなことを言ったそばから、今回行った長谷寺も談山神社も高低差のある、迫力のある本堂だったよなーと
思い出しているわけだが。ただ、長谷寺も談山神社もまず敷地の制約を受けてた気がする。
二月堂はその佇まいがヨーロッパ的だと思った。
具体的にどの建物というわけではないけど、手前にも大きく空間をとっているし、壮大。
ちゃんと見上げる人の視線を計算して作られたような造型。
屋根の反りも美しい。
三月堂はもっと近くから見る、これはこじんまりとしたリズミカルな建築。
下から軒を見上げる形になるので、組物部分がいい感じの曲線。
わたしは左下方からしか見なかったので、西側のアシンメトリーさには気づかなかったのだが、
いかにも増築でありつつも、このアシンメトリーさもなかなか良いと思う。
窓は左右で同じ高さにした方が良かったかな。
東大寺の敷地内には二月堂とか三月堂の反対側に、戒壇院(今は戒壇堂というらしい)の建物もあって、
ここには「日本美術史上、四天王と言えばこれ!」という四天王像があるのだが……
ここも大仏殿の喧騒を考えると不思議なくらいに静か。
彼らは、いました。昔の通りに。
この四天王は顔が命。イケメン……………………というにはシブすぎる、若干おっさんの造型だが、
シブイおっさんとしてはそれはもうシャープでリアルで、かっこいいですよ。
ラインが極まっている。揺るがない。究極に達した物の静けさがある。アタラクシアというそうな。
顔に比べたらカラダはもう少しいいガタイしててもいいと思うけど。
じっと見た。20年ぶりに見た。
だがこここでも思ったが、全方位から見られるようにしてくれれば有難いのだが。
戒壇というオリジナルな環境で見られるというのも大事な要素だとしても、
(しかし作造当初からこの四天王がこの場所にあったのかは不明)
見られる位置がとても限定されているのはやはり残念に感じる。
遠くから、近くから、色々な角度で見たい造型である。
この戒壇院の階段を降りた先はもう普通の住宅地なんだけど、ここらあたりの雰囲気がとても良くてねえ。
古くからの家が並んでいるようだ。戒壇院のお膝元で平和に暮らす家々。
こんなところに住みたいな、と思った。
大仏にはそう惹かれなかったが、大仏殿の建物と蓮華座の復元花弁には惹かれた。
建物がデカいのはそりゃもうわかっていたけれども、今回南大門から大仏殿に近づいて行く時は
ヨーロッパの巨大建築に近づいて行く時のような胸の震えを感じた。
わたしのヨーロッパとの出会いは聖ピエトロ大聖堂だったので、あの場所の印象は強烈なのだが、
あの場所が巨大な「虚なる空間」だったのに対して、大仏殿は大仏という外側相応の巨大な中身がある。
そういう意味で、空間としては異質だという風に考えていたのだが、
今回のアプローチでは、大仏殿が視界いっぱいに広がった時のドキドキ感というものは
聖ピエトロ大聖堂級にありましたね。
やっぱり奈良は、時代としてのスケールが国際的なのかもしれないな。
知恩院、出雲大社、どちらもその大きさにぎょっとするような大きな建物だけど、
東大寺の大仏殿ほどの、視線まで計算された巨大さはないと思う。
奈良の建築は、大雑把に言ってラインがきれいな気がしますね。
蓮華復元花弁は、大仏さんが座っている蓮華は実は近くで見るとこうなっているんですよーと
見せてくれているものだが、これには感銘を受けた。
花びら1枚が……横3メートル弱、縦1.5メートルくらいかなあ。
あんな大きなものの蓮華なら、もうそのまま作りっぱなしでもスケール的には問題ないと思うのだが、
そこに細っかい人物像を彫って荘厳している。線彫り。
如来や菩薩像を一面に何十体も、とか。あるいは、菩薩像ほどきっちり彫ったものではないけど、
2、3センチの天人みたいなのが落書きのように一面に散らされているのとか。
どこまで手を入れれば気がすむのか。そりゃ金がいくらあっても足らんはずや。
でもわたしは貧乏性だから、こんな贅沢をするよりは適当に作って、あまり民に負担をかけない方がいいのでは、と思う。
※※※※※※※※※※※※
寺ではないが平城宮跡も印象的だった。
20年前に来た時は当然、復元された大極殿というものはなく。
いや、お金かけて復元しましたねえ。立派。ここまでしてくれたら嬉しいキモチ。
この平城宮跡の広大な空間を取っておいてるというのは大したことであると思う。
今の段階では、大極殿を始めとして6か所の展示施設http://heijo-kyo.com/があるのだが、今後も色々と作っていくのかね?
そうであるなら、いつかは廻るのに一日かかるような巨大テーマパークになるのかなあ。
平城京歴史館なんてのも見ごたえがありましたよ。映像が良かったですかね。
まあ金をかけてるわりに、見物人の数がだいぶ少ない気配はあったけど。
広大な敷地が仇になって、展示施設同士がかなり離れてるのはマイナスなんだよなー。
行きたかったけど、東院庭園なんて遠くて行けなかったもの。
この日はものすごく風が強くて……。いい季節にのんびりと歩くならハイキングを兼ねてちょうどいいかも。
今後、園内循環バスを運行させるとか考えてみてもいいんじゃないですかね。
まあシーズンオフは無理としても。
※※※※※※※※※※※※
書き方がだいぶボケたが、とりあえず奈良の美しいもの。メモとして。
ささやかなれども整った庭、古風な本堂の風情が憧れだった。
テレビや写真で見るのと実際に見るのは印象が違う場合も多々あるが、浄瑠璃寺への期待は裏切られなかった。
九体阿弥陀仏の現存する貴重な例。
とはいえ九体阿弥陀仏が並んでいるのと、普通に色々な仏像が並んでいるのは、
(仏像の存在感と言う意味で)見てる側としてはそこまで違いがないわけで……
九体阿弥陀仏という部分には特別感はなかった。
が、中央仏の前に座ると。
――わたしは仏像を基本的に美術作品として見ているので、基本は造型的に見る立場。
まあ美術鑑賞は美神信仰と言えないことはないし、何と言っても美術作品には宗教分野も多いこととて、
信仰と全く無関係に成立するとも言えないとは思うが、あまりアリガタイと思わずに見るようにしている。
信仰的観点と造型的観点は分けたい。
が、中央仏の前に座ると。
包み込まれるような安らぎを感じた。
丸っこい、ふっくらとしたほとけさまがこちらを見下ろし、「しょうもない奴じゃのう」と苦笑している。
こっちは、そうなんですよ、しょうもない奴なんですよ、と思いながら座っている。
見守られ感。守られ感。安心感。
優しく美しい仏像は他にもあるが、(ex.広隆寺弥勒菩薩、中宮寺如意輪観音)
それらはわたしのことを見てくれているのかというとあまりそうは思えない。
決して衆生を蔑ろにするわけではないだろうが、彼らはもっと崇高な世界について考えていて、
すぐ目の前の人間を見る余裕などないのだ。
だが浄瑠璃寺のぽってり阿弥陀は。
見下ろした目と見上げた目が素直に合う。目が合って、笑いあえる。
仏師はそういう方向を目指してはいなかったかもしれないが、このふっくらさ加減がそういう効果を生んでいる。
あまり端正でも……寄り添えませんからね。
アリガタイ仏像だった。わたしのアイドルになりそう。
※※※※※※※※※※※※
東大寺。言わずと知れた大仏。
が、印象的だったのは大仏ではなくて、二月堂・三月堂の造型的な美しさですね。
大仏殿は観光客で激混みなんだけど、東大寺境内でもその他の場所は不思議なほど人がいなくて静か。
二月堂への階段を登り切ったところで目の前に出現する二月堂・三月堂はドラマティックです。
特に二月堂。こういう、土地の高低差を使って劇的効果を生み出す建築は、実は日本では珍しいんじゃないだろうか。
そんなことを言ったそばから、今回行った長谷寺も談山神社も高低差のある、迫力のある本堂だったよなーと
思い出しているわけだが。ただ、長谷寺も談山神社もまず敷地の制約を受けてた気がする。
二月堂はその佇まいがヨーロッパ的だと思った。
具体的にどの建物というわけではないけど、手前にも大きく空間をとっているし、壮大。
ちゃんと見上げる人の視線を計算して作られたような造型。
屋根の反りも美しい。
三月堂はもっと近くから見る、これはこじんまりとしたリズミカルな建築。
下から軒を見上げる形になるので、組物部分がいい感じの曲線。
わたしは左下方からしか見なかったので、西側のアシンメトリーさには気づかなかったのだが、
いかにも増築でありつつも、このアシンメトリーさもなかなか良いと思う。
窓は左右で同じ高さにした方が良かったかな。
東大寺の敷地内には二月堂とか三月堂の反対側に、戒壇院(今は戒壇堂というらしい)の建物もあって、
ここには「日本美術史上、四天王と言えばこれ!」という四天王像があるのだが……
ここも大仏殿の喧騒を考えると不思議なくらいに静か。
彼らは、いました。昔の通りに。
この四天王は顔が命。イケメン……………………というにはシブすぎる、若干おっさんの造型だが、
シブイおっさんとしてはそれはもうシャープでリアルで、かっこいいですよ。
ラインが極まっている。揺るがない。究極に達した物の静けさがある。アタラクシアというそうな。
顔に比べたらカラダはもう少しいいガタイしててもいいと思うけど。
じっと見た。20年ぶりに見た。
だがこここでも思ったが、全方位から見られるようにしてくれれば有難いのだが。
戒壇というオリジナルな環境で見られるというのも大事な要素だとしても、
(しかし作造当初からこの四天王がこの場所にあったのかは不明)
見られる位置がとても限定されているのはやはり残念に感じる。
遠くから、近くから、色々な角度で見たい造型である。
この戒壇院の階段を降りた先はもう普通の住宅地なんだけど、ここらあたりの雰囲気がとても良くてねえ。
古くからの家が並んでいるようだ。戒壇院のお膝元で平和に暮らす家々。
こんなところに住みたいな、と思った。
大仏にはそう惹かれなかったが、大仏殿の建物と蓮華座の復元花弁には惹かれた。
建物がデカいのはそりゃもうわかっていたけれども、今回南大門から大仏殿に近づいて行く時は
ヨーロッパの巨大建築に近づいて行く時のような胸の震えを感じた。
わたしのヨーロッパとの出会いは聖ピエトロ大聖堂だったので、あの場所の印象は強烈なのだが、
あの場所が巨大な「虚なる空間」だったのに対して、大仏殿は大仏という外側相応の巨大な中身がある。
そういう意味で、空間としては異質だという風に考えていたのだが、
今回のアプローチでは、大仏殿が視界いっぱいに広がった時のドキドキ感というものは
聖ピエトロ大聖堂級にありましたね。
やっぱり奈良は、時代としてのスケールが国際的なのかもしれないな。
知恩院、出雲大社、どちらもその大きさにぎょっとするような大きな建物だけど、
東大寺の大仏殿ほどの、視線まで計算された巨大さはないと思う。
奈良の建築は、大雑把に言ってラインがきれいな気がしますね。
蓮華復元花弁は、大仏さんが座っている蓮華は実は近くで見るとこうなっているんですよーと
見せてくれているものだが、これには感銘を受けた。
花びら1枚が……横3メートル弱、縦1.5メートルくらいかなあ。
あんな大きなものの蓮華なら、もうそのまま作りっぱなしでもスケール的には問題ないと思うのだが、
そこに細っかい人物像を彫って荘厳している。線彫り。
如来や菩薩像を一面に何十体も、とか。あるいは、菩薩像ほどきっちり彫ったものではないけど、
2、3センチの天人みたいなのが落書きのように一面に散らされているのとか。
どこまで手を入れれば気がすむのか。そりゃ金がいくらあっても足らんはずや。
でもわたしは貧乏性だから、こんな贅沢をするよりは適当に作って、あまり民に負担をかけない方がいいのでは、と思う。
※※※※※※※※※※※※
寺ではないが平城宮跡も印象的だった。
20年前に来た時は当然、復元された大極殿というものはなく。
いや、お金かけて復元しましたねえ。立派。ここまでしてくれたら嬉しいキモチ。
この平城宮跡の広大な空間を取っておいてるというのは大したことであると思う。
今の段階では、大極殿を始めとして6か所の展示施設http://heijo-kyo.com/があるのだが、今後も色々と作っていくのかね?
そうであるなら、いつかは廻るのに一日かかるような巨大テーマパークになるのかなあ。
平城京歴史館なんてのも見ごたえがありましたよ。映像が良かったですかね。
まあ金をかけてるわりに、見物人の数がだいぶ少ない気配はあったけど。
広大な敷地が仇になって、展示施設同士がかなり離れてるのはマイナスなんだよなー。
行きたかったけど、東院庭園なんて遠くて行けなかったもの。
この日はものすごく風が強くて……。いい季節にのんびりと歩くならハイキングを兼ねてちょうどいいかも。
今後、園内循環バスを運行させるとか考えてみてもいいんじゃないですかね。
まあシーズンオフは無理としても。
※※※※※※※※※※※※
書き方がだいぶボケたが、とりあえず奈良の美しいもの。メモとして。
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