堤真一さんんの映画なんで、初日に行ってきました。
スクリーンで見るでっかい堤さんの表情がまた一段と素敵だし、ネクタイ姿はやっぱり、キリっとしてていい男上げてるし、ラストのお墓参りのシーンでのハイネックのシャツがスタイルの良さを強調してますし。キスシーンもよかった!!
けっこう暗い役かと思っていたら、あんがい元気で社長にタイムスリップの話したりなんかして、イメージが暗くなかったのがよかったです!なんせ、シルクの女性のランジェリーの販売員なんだからね、今回は。
もと野球部のキャッチボールも初めて見ました。
原作読んで、マンガも読んで、準備OKってな具合で行ったので、あまり深刻にならずに観ることができました。
パンフ以外になにもグッズがなかったのがショックで。まるで子どもなんだけど、ケイタイストラップが欲しかったのよ。観た記念が欲しかったのよ。
グッズの提案としては、真次とミチコが食べてた、「なつかしのオムライス」でもいいじゃない。「闇市強引押し付け金払えな、闇市靴磨きセット」でもいいじゃない。靴磨きセットなら買っちゃったかも^^。
しかし、パンフの堤さんの横顔はしっかりクルリンまつ毛が観られてとってもカワユイ横顔なのです。
常盤ちゃんは、とっても美しいです。
だいたい、あと何分でおわっちゃうのかしら?と映画観ながら考えてしまうのに、今回だけは、気がついたら、おわりのシーンまできてしまってました。
タイムスリップというファンタジーといっても、戦後や戦中時代に行くんだから、そりゃもう行っちゃった長谷部真次とミチコはびっくりです。ほんっと、戦後のあの食生活、私はついてけないでしょうとも。昭和の皆さんに村八分にされてますでしょう。
堤さんは、戦争の話をなくなられたお父様からお聞きになっていないそうですが、私は、母親も父親も詳しくではないけれど、聞いたことがあったので、そのたびに、そんな生活私にはできない!と思っていました。堤さんも自分は生きていけたろうか・・・と思うとおっしゃってますが、この時代だけに限らず、もっと古い時代に自分が生きていたこともあったとは思うけど、ちゃんと生きてないような気がします。
堤さんのように、親子関係がよくなかった人、けっこういると思いますが、この映画のテーマは堤さんのインタビューの言葉に尽きる、と思います。いかに親を知ってなかったか、理解しようとしていなかったか。なにもわかってない自分がいかに生意気だったのか、それがわかっただけで十分と。でもその答えってスゴイことなんだから。わかってなかったことがわかるってことはスゴイことなんだから。わからないまんま進むのとわかって進むのでは、方向が違うんだから。
私自身も親は口うるさくて親とは合わないと長年思ってきて40歳ごろにようやく親はエライかもと思えたから。私は堤さんちと違って、親は戦争に行ってはいないけど、戦時中の苦労はしているし、その経験をして生きてるだけで、尊敬に値するんだと、あらためて実感。
地下鉄・・・なんとなくいかにもタイムスリップしそうな感じの乗り物なんだなと、この映画を観て感じました。タイムスリップするたびに、地下鉄のトンネルのレールの映像に誘われて、真次とミチコとともに戦後や戦中をのぞかせてもらえた気分にさせてもらいました。全体的に、そこまで深い話と感じないで、案外さらりと、戦後の闇市をみたり出来た感覚は、原作を読んでいたからなのか、この映画の造りからなのか。
洋画のように、いかにもタイムスリップしちゃいました、重大なことなんですっていうような感じがしないところは、観やすくてよかったのかも。展開が早くてもの足りない人もいるかも知れないけど。
全体的にセピア色でこれまた昭和の色だし。
下着メーカーの社長が読んでいた「罪と罰」。戦争の象徴だ。
戦争という人生を生きた真次の父親役の大沢たかおさんの演技をはじめてしっかり観ましたが、ウマイ!!闇市でなんとか生きようとする姿も、戦争にいくときの若者の姿も子どもを失ったときも、夢を語るときも。大沢さんの演技に二度、三度と涙してしまいました。こんな姿をみたら、ある程度まっとうな人間なら、感動すると思います。
真次は、ミチコにも弟にも大嫌いだと思っていた父親にそっくりだと言われて反論していたけど、原作読んだときから、ほんとに父親そっくりなのね、やっぱり。自分勝手なところも、ほんとうはやさしい部分も。戦争という大事件がなければもっと素直に生きていたのかも知れない父親。自分たちが体験していないことを体験しなくてはならなかった人々。これはやはり、体験した人にしかわからないこと。だからこの映画はタイムスリップさせてくれた。
真次は、自分のことさえほんとうはよくわかっていなかった、自分のほうが父親よりひ弱でだらしないからこそ、タイムスリップしてしまったのだろう。真次に父親を嫌いだという資格があるのか?なんて攻める気はぜんぜんないけど、自分の子どもではない子を育てるのは大したことなんかではない。私の母親は11人兄弟のうえに、親戚の子といっしょに育ったという。祖父が引き取っったのだ。食べるものもおやつも節約で、祖祖母にみつからないようにお米を食べたこともあったという。それでも祖父はひきとり、貧乏ながら育てているのだ。母の話では、それなりに子どもも明るかったようだ。
そんな時代を生き抜いた真次の父親は、今の時代に生きる人たちよりよっぽど、度胸がすわっていてたくましく、美しい。
よそんちに、妻以外の女がいたりするのは、その昔、側室がいるのがあたりまえだったんだから、前世ひきずって今世があるならしかたないのかも知れない。子どもに夢をたくしていたアムールは純粋そのもの。その姿をみて真次の心が変わらないはずがない。だって、真次は小沼佐吉さんの息子なんだから。
野平先生は、本当は野平先生ではなくて野平先生の姿をした仏さまか神様だったような気がしてしまう。トルストイの「人はなんで生きるか」を思い出したシーンだ。野平先生と真次のシーンがあまりも空気が荘厳だったような感じがしたので。その雰囲気を田中泯さんの表情、動きで観た気がした。田中泯さんのオーラはすが、素敵だった!!
ミチコもおなじく不倫の恋人としての存在だったけれども、ほんとは女神さまの変身だったりなんかするんじゃないか、だから、悲劇的だけど、最終的にはあんなふうにいなくなってもおかしくないような感じがする。ミチコがいなくてもだいじょうぶなのだと。
常盤さんのパンスケ(放送禁止用語ですがあえて書きます)はもうぴったし。母親になっていく姿の変化もあの時代の人にぴったし。あんがい古風な役も似合う常盤ちゃんにびっくりしました。
昭和ブームをばかにする人もいるけれど、昭和はやっぱり、人の道を教えてくれるバイブル的な時代と思う。ほんの一世代まえのことなのだからこそ、この際みんなが昭和にタイムスリップしたほうがいいと思う。
そういう点では今映像時代だから、みんなタイムスリップできるのだ。タイムスリップはできるのだ。
地下鉄(メトロ)に乗って、昭和へ行こう!
関係ないけど、私の大好きな徳川慶喜さまは、戦のない時代に生まれて大正まで生きられた。その間、逆に戦争が起こっている。そのとき慶喜さまはどう思われたんだろう・・・。
野田秀樹さんの「贋作 罪と罰」のせりふじゃないけれど、、今すぐ、地面にひれふして、懺悔しなさい。戦争は罪であり、罰なのだ。その罪と罰は、やはり人にある。植物にも動物にも戦争をする気持も力もないから。
スクリーンで見るでっかい堤さんの表情がまた一段と素敵だし、ネクタイ姿はやっぱり、キリっとしてていい男上げてるし、ラストのお墓参りのシーンでのハイネックのシャツがスタイルの良さを強調してますし。キスシーンもよかった!!
けっこう暗い役かと思っていたら、あんがい元気で社長にタイムスリップの話したりなんかして、イメージが暗くなかったのがよかったです!なんせ、シルクの女性のランジェリーの販売員なんだからね、今回は。
もと野球部のキャッチボールも初めて見ました。
原作読んで、マンガも読んで、準備OKってな具合で行ったので、あまり深刻にならずに観ることができました。
パンフ以外になにもグッズがなかったのがショックで。まるで子どもなんだけど、ケイタイストラップが欲しかったのよ。観た記念が欲しかったのよ。
グッズの提案としては、真次とミチコが食べてた、「なつかしのオムライス」でもいいじゃない。「闇市強引押し付け金払えな、闇市靴磨きセット」でもいいじゃない。靴磨きセットなら買っちゃったかも^^。
しかし、パンフの堤さんの横顔はしっかりクルリンまつ毛が観られてとってもカワユイ横顔なのです。
常盤ちゃんは、とっても美しいです。
だいたい、あと何分でおわっちゃうのかしら?と映画観ながら考えてしまうのに、今回だけは、気がついたら、おわりのシーンまできてしまってました。
タイムスリップというファンタジーといっても、戦後や戦中時代に行くんだから、そりゃもう行っちゃった長谷部真次とミチコはびっくりです。ほんっと、戦後のあの食生活、私はついてけないでしょうとも。昭和の皆さんに村八分にされてますでしょう。
堤さんは、戦争の話をなくなられたお父様からお聞きになっていないそうですが、私は、母親も父親も詳しくではないけれど、聞いたことがあったので、そのたびに、そんな生活私にはできない!と思っていました。堤さんも自分は生きていけたろうか・・・と思うとおっしゃってますが、この時代だけに限らず、もっと古い時代に自分が生きていたこともあったとは思うけど、ちゃんと生きてないような気がします。
堤さんのように、親子関係がよくなかった人、けっこういると思いますが、この映画のテーマは堤さんのインタビューの言葉に尽きる、と思います。いかに親を知ってなかったか、理解しようとしていなかったか。なにもわかってない自分がいかに生意気だったのか、それがわかっただけで十分と。でもその答えってスゴイことなんだから。わかってなかったことがわかるってことはスゴイことなんだから。わからないまんま進むのとわかって進むのでは、方向が違うんだから。
私自身も親は口うるさくて親とは合わないと長年思ってきて40歳ごろにようやく親はエライかもと思えたから。私は堤さんちと違って、親は戦争に行ってはいないけど、戦時中の苦労はしているし、その経験をして生きてるだけで、尊敬に値するんだと、あらためて実感。
地下鉄・・・なんとなくいかにもタイムスリップしそうな感じの乗り物なんだなと、この映画を観て感じました。タイムスリップするたびに、地下鉄のトンネルのレールの映像に誘われて、真次とミチコとともに戦後や戦中をのぞかせてもらえた気分にさせてもらいました。全体的に、そこまで深い話と感じないで、案外さらりと、戦後の闇市をみたり出来た感覚は、原作を読んでいたからなのか、この映画の造りからなのか。
洋画のように、いかにもタイムスリップしちゃいました、重大なことなんですっていうような感じがしないところは、観やすくてよかったのかも。展開が早くてもの足りない人もいるかも知れないけど。
全体的にセピア色でこれまた昭和の色だし。
下着メーカーの社長が読んでいた「罪と罰」。戦争の象徴だ。
戦争という人生を生きた真次の父親役の大沢たかおさんの演技をはじめてしっかり観ましたが、ウマイ!!闇市でなんとか生きようとする姿も、戦争にいくときの若者の姿も子どもを失ったときも、夢を語るときも。大沢さんの演技に二度、三度と涙してしまいました。こんな姿をみたら、ある程度まっとうな人間なら、感動すると思います。
真次は、ミチコにも弟にも大嫌いだと思っていた父親にそっくりだと言われて反論していたけど、原作読んだときから、ほんとに父親そっくりなのね、やっぱり。自分勝手なところも、ほんとうはやさしい部分も。戦争という大事件がなければもっと素直に生きていたのかも知れない父親。自分たちが体験していないことを体験しなくてはならなかった人々。これはやはり、体験した人にしかわからないこと。だからこの映画はタイムスリップさせてくれた。
真次は、自分のことさえほんとうはよくわかっていなかった、自分のほうが父親よりひ弱でだらしないからこそ、タイムスリップしてしまったのだろう。真次に父親を嫌いだという資格があるのか?なんて攻める気はぜんぜんないけど、自分の子どもではない子を育てるのは大したことなんかではない。私の母親は11人兄弟のうえに、親戚の子といっしょに育ったという。祖父が引き取っったのだ。食べるものもおやつも節約で、祖祖母にみつからないようにお米を食べたこともあったという。それでも祖父はひきとり、貧乏ながら育てているのだ。母の話では、それなりに子どもも明るかったようだ。
そんな時代を生き抜いた真次の父親は、今の時代に生きる人たちよりよっぽど、度胸がすわっていてたくましく、美しい。
よそんちに、妻以外の女がいたりするのは、その昔、側室がいるのがあたりまえだったんだから、前世ひきずって今世があるならしかたないのかも知れない。子どもに夢をたくしていたアムールは純粋そのもの。その姿をみて真次の心が変わらないはずがない。だって、真次は小沼佐吉さんの息子なんだから。
野平先生は、本当は野平先生ではなくて野平先生の姿をした仏さまか神様だったような気がしてしまう。トルストイの「人はなんで生きるか」を思い出したシーンだ。野平先生と真次のシーンがあまりも空気が荘厳だったような感じがしたので。その雰囲気を田中泯さんの表情、動きで観た気がした。田中泯さんのオーラはすが、素敵だった!!
ミチコもおなじく不倫の恋人としての存在だったけれども、ほんとは女神さまの変身だったりなんかするんじゃないか、だから、悲劇的だけど、最終的にはあんなふうにいなくなってもおかしくないような感じがする。ミチコがいなくてもだいじょうぶなのだと。
常盤さんのパンスケ(放送禁止用語ですがあえて書きます)はもうぴったし。母親になっていく姿の変化もあの時代の人にぴったし。あんがい古風な役も似合う常盤ちゃんにびっくりしました。
昭和ブームをばかにする人もいるけれど、昭和はやっぱり、人の道を教えてくれるバイブル的な時代と思う。ほんの一世代まえのことなのだからこそ、この際みんなが昭和にタイムスリップしたほうがいいと思う。
そういう点では今映像時代だから、みんなタイムスリップできるのだ。タイムスリップはできるのだ。
地下鉄(メトロ)に乗って、昭和へ行こう!
関係ないけど、私の大好きな徳川慶喜さまは、戦のない時代に生まれて大正まで生きられた。その間、逆に戦争が起こっている。そのとき慶喜さまはどう思われたんだろう・・・。
野田秀樹さんの「贋作 罪と罰」のせりふじゃないけれど、、今すぐ、地面にひれふして、懺悔しなさい。戦争は罪であり、罰なのだ。その罪と罰は、やはり人にある。植物にも動物にも戦争をする気持も力もないから。