私のおサイフの中には、このカードが入っています。
もう10年以上も前から入れているものですが、
最近、臓器提供についての報道熱も高まっている様子。
私の胸の中でも、いろいろと想いがよぎることが
多くなりました。
「脳死」を人の死とするのかどうか。
日本では現在、15歳以下の子供に関しては、
臓器提供が認められないわけで、国会でも審議中ですが、
脳死=臓器提供と考えると、また話は別かな・・・。
WHOでも、もともと臓器提供者が少ないのに、
日本のひとは、他国にきてまで臓器提供を受けないでくださいって
いってるとこなので、それを受けての審議なのでしょうが。
私も、自分の子供が病気で臓器移植しか生きる道がないとすれば
なんとかして・・・そう、なんとかしてでも!と思う、と思う。
臓器移植のチャンスが少ないとしてでも、大人に与えられる
権利が、子供にないというのもおかしいと思う。
私だって、自分が脳死状態になれば、自分の体は、もういらないし。
誰かの見えない目が見えるようになったり、命が助かれば
それは、本当にすばらしいことだと思うし、それを望みます。
だけど、人の死って、そういう理屈では割り切れないよね。
自分の家族が脳死状態になったときに、同意書にサインできますか?
そう、死にゆくわが子。その臓器が誰かの中で生き続ける。それは
すばらしいことだと思うけれど、わかっているけれど・・・。
あとでサインしなかったことに後悔するかもしれないけれど・・。
どうでしょう。考えると、胸がざわざわします。
私が持ち歩いている、臓器提供意思表示カード。
「心臓停止後に提供」のところに○がついています。
このカードには、本人の意思確認と、家族のサイン。
家族の気持ちって大切だと思う。
私は、脳死状態になったら、提供したいのが本音。それでいい。
このカードにサインしているのは、旦那さま。
サインしてもらうときに、旦那さまが脳死状態での提供に
難色を示したので、ここに○がついています。
「手を握って、まだあたたかいのに、心臓も動いているのに。
そんなの、俺は、いやだ。」そう言ったの。
ちょっと、うれしかったけれど(笑)この言葉も。
でも、これが家族の正直な気持ちというものだと思う。
この話には、後日談が。
結婚10年経った頃。また聞いてみました。
「私が脳死状態になったら、どうする?臓器提供。」
「え?いいっちゃろ?提供して。なんかカード持ってたよね。」
旦那さま。笑って、こう言いました。
・・・・10年経てば、こういうものです(笑)
10年前は、こう言ったのに~とネタばらし。
旦那さまは、しまった!!というような顔をしていましたが。
この問題。
たくさんの問題をかかえていますが、将来ある子供たちの
笑顔がたくさん増えることを願ってやみません。
そして、まわりの人も幸せになってほしい。
そして、提供のための同意書を書かれるご家族の
心にも救いのあることを。
人の死。だれにもやってくるその日。
時には、いろいろと考えるのも、いいかもしれません。
もう10年以上も前から入れているものですが、
最近、臓器提供についての報道熱も高まっている様子。
私の胸の中でも、いろいろと想いがよぎることが
多くなりました。
「脳死」を人の死とするのかどうか。
日本では現在、15歳以下の子供に関しては、
臓器提供が認められないわけで、国会でも審議中ですが、
脳死=臓器提供と考えると、また話は別かな・・・。
WHOでも、もともと臓器提供者が少ないのに、
日本のひとは、他国にきてまで臓器提供を受けないでくださいって
いってるとこなので、それを受けての審議なのでしょうが。
私も、自分の子供が病気で臓器移植しか生きる道がないとすれば
なんとかして・・・そう、なんとかしてでも!と思う、と思う。
臓器移植のチャンスが少ないとしてでも、大人に与えられる
権利が、子供にないというのもおかしいと思う。
私だって、自分が脳死状態になれば、自分の体は、もういらないし。
誰かの見えない目が見えるようになったり、命が助かれば
それは、本当にすばらしいことだと思うし、それを望みます。
だけど、人の死って、そういう理屈では割り切れないよね。
自分の家族が脳死状態になったときに、同意書にサインできますか?
そう、死にゆくわが子。その臓器が誰かの中で生き続ける。それは
すばらしいことだと思うけれど、わかっているけれど・・・。
あとでサインしなかったことに後悔するかもしれないけれど・・。
どうでしょう。考えると、胸がざわざわします。
私が持ち歩いている、臓器提供意思表示カード。
「心臓停止後に提供」のところに○がついています。
このカードには、本人の意思確認と、家族のサイン。
家族の気持ちって大切だと思う。
私は、脳死状態になったら、提供したいのが本音。それでいい。
このカードにサインしているのは、旦那さま。
サインしてもらうときに、旦那さまが脳死状態での提供に
難色を示したので、ここに○がついています。
「手を握って、まだあたたかいのに、心臓も動いているのに。
そんなの、俺は、いやだ。」そう言ったの。
ちょっと、うれしかったけれど(笑)この言葉も。
でも、これが家族の正直な気持ちというものだと思う。
この話には、後日談が。
結婚10年経った頃。また聞いてみました。
「私が脳死状態になったら、どうする?臓器提供。」
「え?いいっちゃろ?提供して。なんかカード持ってたよね。」
旦那さま。笑って、こう言いました。
・・・・10年経てば、こういうものです(笑)
10年前は、こう言ったのに~とネタばらし。
旦那さまは、しまった!!というような顔をしていましたが。
この問題。
たくさんの問題をかかえていますが、将来ある子供たちの
笑顔がたくさん増えることを願ってやみません。
そして、まわりの人も幸せになってほしい。
そして、提供のための同意書を書かれるご家族の
心にも救いのあることを。
人の死。だれにもやってくるその日。
時には、いろいろと考えるのも、いいかもしれません。
自分が病気になってからだから
15年以上はずっと…
その間に結婚してるから書き換えして
病気の私がどこまで役に立てるか?だけど
家族にも旦那にも理解してもらい
脳死に○を記入しています。
人の死…
難しい問題…
潔く【1】に○入れて、旦那にもサインしてもらってます。。。
確かに、亡くなった方の「病理解剖」をお願いしても承諾してくださる方は多くはないです。まして、脳死の段階で体にメスをいれることに抵抗のある方はたくさんいらっしゃると思います。
私は、自分は脳死を持って【死】としてもらっていいと思っていますが。。。ベジタブルのさっちんの介護はかなり体力居ると思うので。。。(メタボですから)寝たきりは避けなければ。。。
私も自分の息子が脳死状態になったとき、臓器提供を申し出るかと言われれば「NO!」かもしれません。。。
難しい問題ですよね。。。でも、真剣に考える必要ありますよね。。。
コメントありがとうございます。
意思表示やドナー登録。
気持ちとしては、そういう気持ちを持っていても
実際に行動にうつすのも、じつは難しいことだと思います。
こういうことを考えること自体も、そう。
でも、本当は、みんなで考えなきゃいけないですよね。
関係あるひとも、関係ないと思っている人も。
そういう私も何もできないけど。
少しでも、こういうことを考えるきっかけが
できればな~と思います。