うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

小声で叫ぶ判断基準

2005年09月04日 | 語る!
今日、2つ目の記事。1日に記事2つ!!ぱちぱち(自分賞賛)

この人はどんな人でしょ、って考えるとき、今までの世間の基準って、全然役に立たない。
これまでの世の中は、年齢・収入・肩書き・持ち家・車のグレード・結婚・子ども・学歴なんかで、相手がある程度はわかったんだから、簡単なものだった。
でも、この頃は、ブログを読めばわかるように、そんなものでは、その人のなーんにもわかんないよって、どんどん突きつけられている。
だから私はこういう基準で相手を判断している。
(いろいろ差しさわりがあるので、どのように判断しているかは書かないです。ご容赦ください。また、○×という判断でもないです。悪意もないです。非難議論にもよわいです。逃げ腰です。)
あいのり
NANA
家犬
やまちゃん(NCの)

ジャニ
林真理子
ラッセン画
めちゃイケ
錠剤
韓流(定番でした)
B’s (これも定番か)
鶴太郎絵
大人塾
tsunami
超訳
生・爆



うれしくなったり、残念になったりする。
コメント (6)
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昭和・覚書き

2005年09月04日 | ことばを巡る色色
一昨日、スポーツ新聞の片隅に、おくやみの記事を見た。一人の作曲家が亡くなったという。その人の名、その人のペンネームに記憶はなかったが、彼が作曲したものには、目を引かれた。今まで、それらが私の中でひとつに結びつくことはなかったが、それぞれが違った色合いを持ちながら、心の中にひっそりと沈んでいる「唄」だった。これらを一人の人が作っていたということに、驚いた。

グッドナイト・ベイビー
八月の濡れた砂
昭和枯れすすき
どしゃぶりの雨の中で

昭和歌謡というジャンルがあるとすれば、裏昭和歌謡ともいえるのかもしれない。
これらの曲が流行っていた時、私はまだ大人とは言えない頃だった。街には、いろいろなにおいがあふれていた。場末の横丁があった。子どもが出入りしてはいけない路地裏があった。世を捨てた男女が立つ辻があった。
今は、アジアの国の細い横丁に入らねば見ることができないが、雑多な、悲しい惨めなものがあふれている裏道があった。ぼんやりとともるネオンや、酒場や水はけの悪い下水のにおいや。
後ろめたさ、恨み、惨めさ
世の中は、捨てるか、捨てられる場所だった。
今の街は、清潔で、衛生的だ。
世の中に捨てられたり、世の中を恨んだりするような話はもう聞かない。捨てられないかわりに、「切り捨てられる」ということになったようだし、恨むかわりに「逆恨む」のかもしれない。
どちらが、嘘っぱちの世の中なのだろう。
コメント (8)
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