うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

小泉フェロモン

2005年09月17日 | 語る!
多くの国民と、何人かのくのいち刺客を魅了してやまない、小泉純一郎。
この選挙の間、彼は多くのメディアに登場した。選挙カーの上で手を大きく振りながら、叫ぶ姿。それらに熱狂した人も少なくないだろう。まずいまずいと思いながら、私も、その姿に、ちょっとそそられてしまった。なびくグレーの髪、クールビズの色シャツ腕まくり、ほかの政治家とは違って体脂肪の低そうな血管の浮く手の甲から腕のライン。この存分に発せられたフェロモンは一体なんだろう。人は(特に女性、おばさんは)、振り向いてくれないのに、その道を行く人が好きだ。「なんとか私がしてあげたいぃぃ」と思ってしまうものだ。彼を見るとき、「たらし」という言葉を思い出す。「魅力的」と「たらし」の違いは、「たらし」がほんとうは、自分しか愛していないことだ。無意識のうちに愛されるすべを知っていて、愛される自分を愛していることだ。それは彼が女系の姉妹の中に育ったこととも無関係とは言えまい。また、長い間独身でいることもその証だろう。彼にとってのファミリーは、彼を愛し、世話する人なのではないか。彼の中に、他者を愛するとか世話をするという形はないのではないか。残念ながら、人は(特に女性とかおばさんとかは)そういう人に惹かれてしまう。報われなくても、この人が立派になるのならと思ってしまう。国民総赤サギである。彼は涙する。オペラに。薬害に。X-JAPANに。拉致に。少年特攻兵に。相撲の大一番に。彼の価値観は自らの涙の行方だ。彼は決める、涙の量で。この国の行方を。そうして、法律さえも変えることができる数を、彼は手にした。
この人のそういうあり方に気づかないうちはいいのだが、気づいてしまうと、誰かのように切り捨てられてしまう。代わりはたくさんある。これからも愛してくれる人は出てくる。いや、出てこない日が来ても構わない。「美学」という美名の下に去っていく自分も、また、彼の愛する自分であるからだ。
コメント (10)
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