うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

場末のここは

2006年07月20日 | ことばを巡る色色
それはもう、ティーネイジャーだった頃、私には密かに憧れていたことがあった。大学も出て、福利厚生も社会保険もしっかりしているところに就職して、そうして、場末に出奔する、こと。
人並みの、もしくは人並み以上のキャリアを持って、人並みの、もしくは人並み以上の財を成して、そうして、場末に逃げること。
例えば、手に手をとって、場末のパチンコ屋の二階の、隣のネオンがちかちか映る窓の狭い部屋の、たった一つだけある扇風機の、へりのすれた畳の、廊下でにゃーと鳴く猫の、どこらかから聞こえる赤ん坊の夜鳴きの声の、そんな、世の中から棄てられた部屋に逃げて行きたいと。
もしくは、コタツしかない凍るような部屋の、梅雨時には部屋のどこもがじっとり重い狭い部屋の、その日暮しの仕事から帰ってつけるぼんやりした電灯の、その下で、ああ今日もこうやって、世界に自分しかいないような、空っぽな夜の、そんな中で、誰からも忘れられて生きていきたいと。
その誘惑は甘く、ちょっと苦く、ずっと私を捉えている。
実をいえば、私は今も、そう思っているのだ。誰も私を知らないところに行き、来し方の全てを、見える物も見えない物も、紙に書かれた物も、書けぬ物も全てを棄ててしまいたいと。寂しくて、寂しくて、そうして、くすんと甘い。
たぶん、人より功名心やら、射幸心やらを持っていたのに、私は成功の夢の先に、それとは裏腹の場末の一部屋を消せずに持っているのだ。
そうか、それは、生まれる前の母の中に似ているのかもしれないと、今、思い当たった。そこに戻っていきたいのか、それともそこからもう一度世に出て行きたいと思っているのか、自分でもそれはわからないのだけれど。

この21世紀の中に、もう場末などなくなってしまった。パチンコ屋に住み込む夫婦ものなんてのは遠い過去のものだ。鄙びた温泉場の訳ありの仲居とか、身を寄せ合うとか、なくなってしまった。どこに逃げても、明るくて乾いたところしかないんだろうなあ。

コメント (12)
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