成田幸子・・・宇宙、自然、私

今そして流れの中で

存在する事

2012年05月06日 22時17分55秒 | 感じるままに

かなり年配の俳優の中でその場の存在自体がもうすでに絵になっている人がいる。たとえば大滝秀治さんなんかもその一人だ。立っているだけで絵になっている。そういう存在の仕方は凄い。色々な事を経験してそれらをしっかりと咀嚼し消化して身体の一部にしてきて存在しているだけでその深さがあふれ出てくるのだろうと推測するのだけれど・・・。ここ数日テレビで「わが母の記」という映画の宣伝が流れていた。その中に出てくる樹木希林演じる母の表情・存在の仕方に圧倒された。宣伝のワンシーンでこの存在の仕方をしているのだから他も見てみたいと思い映画館へ足を運んだ。存在感だけに魅了されて映画を見に行くというのはどうしたものか?と自分の行動に疑問を持ちつつどちらかといえばただただ本能(直観)に沿って選んた。物語は淡々と進み母と子供のゲシュタルト療法的に言えば未完の問題を扱っていて、時々笑いがあり涙がありで、どちらかというあまり大きな気持ちの動き(号泣とか・・)は無かった。ところが終わってからジーンと心に迫ってくるものがあって映画館を出てからその映画の話し(感想)をしようと思うと涙が出て止まらなくなる。心の奥底が揺さぶられてジワジワと悲しみ・辛さ・一言では表せない感覚がわき出てくる。映画を見てから昼食を摂ったのだけれど、その話をしたいけれども話をすると大衆の中でボロボロ涙が出てきてしまうし、かといって別の話をしようとしてもあまりのインパクトの強さにどうしても映画の話に戻ってしまう。なんとも居心地の悪い中での昼食となってしまった。もしかするとこの映画は他にも色々な事を訴えかけているのかもしれない。機会があればまた見てみたい映画である。