吉倉オルガン工房物語

お山のパイプオルガン職人の物語

仕事場の周辺

2007年06月03日 | 地域のこと
仕事場籠りが続いております。

仕事場があるのは、以前は長谷村といったのですが、現在は隣の高遠町とともに伊那市に合併したので、伊那市長谷となっています。

前に開ける景色は、美和湖というダム湖で、モーターボート等の使用が許されているので、シーズン中はブンブンうるさいのですが、まあ、良い眺望です。
下を通る道路は、秋葉街道で、昔はそれなりに重要な街道だったので、史跡なども豊富です。
隣の大鹿村は、後醍醐天皇の皇子の宗良親王(以前はむねながと読んだのですが、最近はむねよしだそうです)が長らく滞在したところです、没したのもそこらしいです。
その大鹿村へ行く途中の分杭峠にはゼロ地場地帯というよくわからない名所があります。

長谷の名の通り、長い谷沿いの地域なのですが、僕の仕事場はかなり高遠寄り、谷の入り口です。伊那の市役所まで車で十数分です。

八ヶ岳の家から、茅野を経て杖突峠を越えて来て、時にはちょっと街道から外れて高遠城趾を通ってみたりします。
城跡の近くには伊沢修二(いさわしゅうじ)の生家があります、この人物は明治の日本の音楽教育の中核人物です、ヤマハのリードオルガンが教育現場に普及するのにも、深い関係があります。

そこから、やはりダム湖の高遠湖の脇を通り、秋葉街道に出ます、美和ダムのすぐ脇には、江戸時代の一大事件、「絵島・生島事件」の絵島が幽閉された「絵島囲い屋敷」があります。
表向き恋愛スキャンダルですが、連座するもの1500人とも2000人ともいわれる大粛正となった権力闘争ですね。

知り合いのYさんが住んでいらっしゃるのは浦というところで、これは「壇ノ浦」から来た地名であるとされ、平家の落人の集落だといわれています。

孝行猿の話なんてのもあります。戦前の修身の教科書に採用されていたそうな。

あ~、いろいろ見て回りたいところはあるのですが、仕事仕事…。

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2 コメント

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むねよし? (ムスタファ)
2007-06-04 05:39:54
「むねよし」になってしまったのですか。
私も「むねなが」さんだと思ってましたが。何ででしょうか?
私は親父の仕事の関係でたまたま石川県生まれなのですが(一応本籍は東京)、同業で同じ名前の方がいて、その方も石川県生まれで、なんと平家の落人の子孫だそうです。その地方は同じ名前で固まっていて、私も「落人関係の方ですか」と言われましたよ。
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日本の中世 (ひろなん@風琴屋)
2007-06-04 08:47:55
ムスタファさん、ようこそ!

鎌倉、室町、そして織田信長あたりまでの日本史は、結構好きです。
超安定期である江戸時代以降の日本人にはないワイルドさと伸びやかさがある気がします。

僕もWikipediaで知ったばかりなのですが、80年代から歴史学会では、後醍醐天皇の皇子達、~良を~よしと読むようになって来たそうです。
大塔宮も、今では「もりよし(もりなが)」という具合に読みがなを付けられるそうです。

平家の落人伝説については、山岳地帯の流民(いわゆるサンガなど)がそう名乗ったという説もありますね。
単一民族でも統一国家でもない混沌の時代というのは想像力を刺激しますね。
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