高遠は歴史的に石工で有名です。
高遠藩は山間の小藩で貧乏でした。
そこで、農家の跡継ぎ以外は何らかの手段で自活する必要があったわけです。
下伊那地方では跡継ぎ以外は生涯下男下女のようにされていたとも言います。
高遠では石工が盛んで、移動の自由が制限された江戸時代でも、広い地域で活動していたそうです。
各地に残る「伊奈」の地名はこの「伊那」の石工集団の拠点の跡らしいです。
まさにフリーメーソンと思ったのですが、出先であっても貧乏な高遠藩の徴税を受けていたらしいので、フリーとは必ずしも言えないようですね。
さて、高遠から長谷に入る橋のたもとに不動明王像があります。
石工、仏師 守屋 貞治(もりや さだじ、1765年-1832年)作です。
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雪で道路脇に入れなかったのですが、それが融けたのです。
さり気なく道路脇から木の足場板が渡してあるのですが、いやいや結構アブナイですよ?
水面まで10メートルくらいはあるでしょうか。
水中は岩があるので落下したらヤバいです。
僕もここを拠点に全国を飛び回っているわけで、彼ら高遠石工には親近感を抱いているのです。
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