僕らの身の回りには最早完成されたもの、手の加えようのないものばかり……
なんて感じることはありません?
新しく開発されるものは僕らから遠いところで、難しいよくわからない理屈で出来ている、
とか。
僕は今は感じませんけどね、昔はそう思っていました。
その後、特殊な仕事の職人になったので、道具や作業を補助する治具(これは英語の
JIGの当て字だけど、意味もよく合っている翻訳の傑作だと思う)など、自分で作らないと
いけないものに多々出会って考えが変わったのですけどね。
身近なことやモノに対して疑問を持つのは大切なことです。
僕の知っているところでも、別段奇抜でも画期的でもないアイデアで実用新案を取った例
があります。
きっと普通にありそうなものだったので、誰も改めて考えてみようとしなかったのでしょう。
今回紹介するのは、先日見つけたこんな話です。
京都新聞の記事から (リンク切れ御免)
これはちょっと考えたら当たり前です。
確認した京大の准教授の曰く「目からウロコの発想だが、どうして今まで誰も気づかなか
ったのか……」というのは実感でしょう。
先入観のない素直な心がこういう発見に繋がるのですね。
「そんなことは誰かがやってる」
「良いものなら普及してるはず」
なんてしたり顔で言う人がいますが、科学技術というもっともシンプルに合理的に良し悪し
がはっきりするはずの分野であっても、制度だの利権だのの枷からは自由ではないので
す。
例えば、世界に冠たる日本の半分が100ボルト50ヘルツという世界最弱の電源を使用し
ているのはまさに歴史的背景や利権、国の制度などの非合理的理由によるわけです。
僕らの身の回りのいろいろがすでに発達、開発の余地がないというのは大きな間違いな
のです。
それをいつも忘れないようにしないとね。
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理論的には正しいのに、なんで誰もやらなかったんでしょうね。
科学者の頭の中では、逆転の発想は薄いのかなと思いました。
世間の常識は決して普遍的な常識ではないということを物語っていると感じます。
ということは、
下向きにパイプがあるオルガンがあっても良いじゃないか。
てな事にはならないかな。
科学者というのが発明家ではないことが多々あります。
開拓者ではなく確認者、あるいは追認者であることが多いのです。
発明、開拓には立ち止まって考える姿勢よりも実行する力の方が大事
なように思います。
オルガンのパイプのひっくり返したのはフロントで装飾的にやったもの
や木管をスペース上の理由でひっくり返したものがありますけど、メタル
パイプをひっくり返すのは構造的に厄介なようですよ。