暴言もあるかも。
一番の不満は真っ先に言っておこう。
主人公に監督が自分自身を投影したのは良いとして、
何故、実在の人物なのか?
これが一番納得の行かないところです。
1920~30年代の日本を舞台にしたファンタジーだそうですが、何故実在の人物をモデルにしただけではなく、実名まで使ったのか?
はっきり言って、この主人公には魅力を感じません。
ただ、モノ作りとしては羨ましい。
自分のやりたいことだけに没頭して、周囲には無関心(でも女性はチェックする)、やりたいことのために兵器開発という手段を取ることに、迷いも葛藤も決意すらもなく淡々と、あまりに淡々と邁進する。
もしも彼が自分の望みのために権謀術数を巡らせるくらいならまだ人間味はあったと思う。
彼はただ淡々と努力し、自然に認められ、立場が向上していったのでした。
同期の友人とも、上司とも問題無くうまくいっています。
そこに描写はあっても物語はありません。
当時の風俗、風景の描写は宮崎作品らしく非常に細かいけれど、全体にデフォルメされていて、ジブリのクオリティとしてはちょっと。その辺はファンタジーだからということか?
突っ込みどころや見所も多々あるのだけれど、結局、描きたかったのは周囲を気にせず自分の生きたいように生きた人間の姿なのか?
エゴに生き、それでも生きる、それが自分であるというのならそれはそれで良い。
何故実在の人物の影に隠れるような真似をするのか?
実在の人物を参考にした航空兵器設計家ミヤザキで良いではないか?
なんかズルくね?
あ、もしかすると、そのズルい自分の姿もまた描きたかったものだったのか?
とまあ、ものすごく不快な思いが胸に引っ掛かってモヤモヤしたわけです。
個人的には、宮崎駿氏は古いタイプの健全漫画映画畑の人物であり、定形の勧善懲悪や、妙にリアルな描写のドタバタアクションを基礎としていると思っています。
その状況描写力は天才だけれど、その代わり人の内面や葛藤などの心理描写は苦手。
最近のアニメ作家がやるような残虐描写や性描写をやってみたいとは思っても、身に付いた健全路線の縛りから抜け出せないようです。
ここまで書いて、自分でも整理出来た気がします。
この映画は、70過ぎの監督自身が自分の醜さ、ズルさを、自らの内部の健全路線の縛りに挑戦した作品で、作品と監督の生き様をペアで考えれば名作。
作品単体としてはちょっと……。
もう少し続くんじゃ。
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