8月15日
伊那市の広報放送で、黙祷の合図があってはじめて終戦記念日だと思い出しました。
このところ苦戦中の仕事と取り組んで籠っていたのです。
子供の頃、戦前の歴史は軍部の暴走という点が強調されていましたが、それを支えた企業や官
僚には触れられることはありませんでした。
維新という言葉はロマンティックで、今だに好んで使われるけれども、明治維新は革命と呼ぶには
ちょっと抵抗があります。なんだかんだ言って、旧来の支配者層が政治家や官僚になってかなり存
続しているわけです。
官僚というのは、無私で国家のシステムを維持する存在だとされるからこそ、戦争や政権交代や
クーデターの前後でも処断を免れることが多いわけです。
しかしながら、安定した時代が長くなると、必ず腐敗、伸張するのが官僚でもあります。
民主主義国家では選挙で政治家は選べます(質はともかく)、しかし、政治家が官僚に屈した場
合、官僚は国民のコントロール外になってしまいます。
気のせいかしれませんが、ナントカ次官だとか、御用学者とかって、結構変わった苗字の人がいる
ような。昔から連綿と続くやんごとなき家系なんじゃないかってね。
そいつらはつるんで長いことこの国の歴史の裏で蠢いていたのか、なんてね。
ほんと!無力感たっぷりよ!
ま、勝てやしないだろうけどね、あっさりと負けてもやんない。
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