吉倉オルガン工房物語

お山のパイプオルガン職人の物語

再チャレンジの周辺2

2007年10月29日 | 自分のこと
人材派遣業というのは、ある時期より労働関係の法改正で急速に増えた業種ですが、いわゆる現場労働系ではずっと以前からありました。日雇い労働者ってヤツですね。
これにも色々とカテゴリがあって、資格(それは住所の有無なんて低レベルのものから)やそれに応じた基本給の差などがあります。今はどうか知りませんが。

最低レベルからスタートした僕の同僚はまたなかなか素敵な経歴の連中で、一時帰国中の海外放浪者、高級車でやって来たかつて東京で手配師をしていた人ーこの人は数日しか続かなかった、バブルの頃の昔話、一日に一千万円くらい手にして豪遊していた話などは面白かったけど、まあ、一日六千円程度の仕事には耐えられなかったようですー、飲食店の店長として関西から来たけれども、奥さんの浮気をきっかけにバクチに走って身を落とした人、自称ジャーナリストのおじさん、夜逃げ者等々…。
正体不明の人物達(僕もそのひとり?)と割りとマトモな学生バイトが混在するワンダーランドでした。
その混沌もまた再起のために必要な要素だったのかも知れません。
引っ越しの手伝いから携帯電話の電池の梱包などいろいろやりました。後に別の派遣屋で重労働もやっていますが、それはまたいずれ。

さて、パチンコ台の組み立ての話。

その工場には、僕らの他にもうひとチーム、日系南米人(ブラジル、ペルー、チリ)の皆さんが別の派遣屋から来ていました。
ベルトコンベアで流れる台に、電球、玉の入る穴やガイド、ディスプレイを流れ作業で取り付けて、最後にテストをして梱包という工程です。
この最後のテストがもっともオイシイとされるところで、このポジションには信用のある経験者が配されます。
大当たりや、役(いろいろな‘当たり’のことです)が表示されるROMを接続して、各電球、音楽、ディスプレイが正常に働いているかをチェックするのです。
あこがれの大当たりサウンドが鳴り響くとパチンコ好きは気になってそわそわして作業速度が遅くなるのですが、それも最初の数時間までです。
大当たりサウンドもずーーっと続けば、さすがに飽きます。そしてやがて苦痛にすらなって来ます。
さすがの好き者も、
「違う音が聞きてー」
となるのですが、そうはいきません。単一機種の製造ですから。

エアコンの効いた作業環境であまり体を動かさないので寒いくらいだったのですが、なぜか僕は南米人チームの完成品運びに回されてしまいました。
完成品を並べるのにも、相手先によって振り分けが必要なので、日本語でコミュニケーションがとれて力がありそうで、南米人とも相性がよさそうだかららしかったです。
南米人の相方が結構年配だったので、お運びは通常二人掛かりのところを僕がひとりですることにしました。
再起のための初期化の時には、進んで困難なところに入るようにした方が良いです。
かくして、寒いくらいだったのが、汗だくで駆け回ることになりました。

完成品を取りに来るトラックの助手はパキスタン人でした。彼はそこそこの日本語と英語が出来たので、休憩時間にはいろいろ話しました。
やはり、ムスリムにとっては食事が難しいこと、ハラールフード(イスラム教徒にふさわしいプロセスを経た食材)を始めとして、各民族に対応する食材を宅配するビジネスがあることなども知りました。
同僚の一時帰国旅人もその辺の情報には詳しく、なかなかに面白かったものです。

当たり前に過ぎているこの社会の普通の日々の影には、本当にいろいろな人たちが不遇な環境でがんばって生きているのです。
そして、人と人とは国を越えて、もはや切れないほど相互に深く食い込んでいるのです。

「大当たりROM」の紛失事件があって、少し作業が中断しました。
それをゴミ箱の中から僕が発見したのです。ゴミの中に隠して後で回収するというのはひとつの手段ですから。初歩だよ、ワトソン!
どうやら僕らの中には、産業スパイかパチプロ集団の手先もいたようです。

一日中、数日間、大当たりの音楽を聞き続けるとそれがもう頭から離れません。
頭を切り替えると言って、仕事のあとパチンコ屋へ行く猛者(ロクデナシ?)もいますけど。
まさに♪君を知ったその日から僕の地獄に音楽は絶えない♪(アクエリオン)という状態でした。

人間のカスなどと時に罵倒されながらも、そんな混沌の中でなんとかがんばってもがいていると、徐々に自分が失ったもののことより、自分が持っているものが浮かび上がるように自然に明らかになって来ます。
そして、そうなってくる頃、不思議と何者かに手を引かれるように出口へと向かうのでした。

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