10月の会議には元気で参加されたということは聞いた。
だから、突然のことと想像はできるがそれ以上のことは何もわからない。
知り合ったのは15年ほど前。彼女は未だ博士課程在学中だった。私が手伝っていた日仏関係の学会は、歴史ある学会とはいえ、若い人の入会がない危機感から、会誌のほかに広報誌のようなソフトなものを発行することになった。編集担当は若い会員の江口さんが引き受けてくれた。会の財政状況は悪化の一途であることは百も承知で、できるだけ安く仕上げようと途中の諸経費はゼロ、印刷費のみで仕上がった冊子の評判は上々であった。
その後も、江口さんの幅広いネットワークで、執筆者も多岐に及び、新鮮でセンスのいいPR誌は読み応えがあり、同封した会誌よりこちらを先に読むという人が出てくるほどであった。
毎号、連絡はしなくても、彼女は本業の片手間に着々と作業を進め、会には、ある日突然 完成した冊子が届くというありがたい循環が続いた。
のちに九大に職を得られ、私も会を辞めたので連絡は途絶えたが、冊子が届くたびに江口さんの優しく控えめな雰囲気を思い浮かべ、元気に活躍されていることに安堵した。
誠実という言葉が彼女ほど当てはまる人はいないだろう。平凡な言葉を彼女に重ねると静かに輝きをますようであった。
私が感じるように、彼女を慕い、頼りにし、感謝をするという方はきっと多いに違いない。
博士論文はその分野の教授が「大変な力作だ」と称賛され、のちに出版されたと人づてに聞いた。
40歳という若さ、結果は遺されて逝かれたとはいえ、不条理な終わりはいつまでも私を苦しめる。
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