
昨夜は学生時代の旧友と久しぶりに語り合った。
場所は阪急塚口駅南にある「蕎麦と天ぷら 悠々」。
前に2度ほど行って、米油でカラッと揚げた天ぷらが絶品なので連れて行った。

(茶碗蒸しとおばんざい3品)
友とは昔話に花が咲いた。
僕は生中🍺と梅酒のソーダ割りで十分だったが、友は日本酒をグイグイやっていた。
お互い老けたな、と苦笑い。
「俺は娘3人、孫6人やけど、お前は未だ独身か。早よ結婚せんかい」と酔っ払った友。
「何言うとんねん。もう遅すぎるわ」と僕。
「せやな」

(蓮根、海老、エノキダケ)

(椎茸、鶏肉)

(海老、鮮魚、カブラ)

(締めの10割蕎麦)
美味い天婦羅と最後に蕎麦をちょっとだけ頂いて、友は電車で東大阪の方へ帰って行った。

家に帰ってテレビを点けると、1975年に爆弾事件を起こした過激派の桐島聡(70)が、50年ぶりに見つかったニュースを流していた。

家に帰ってテレビを点けると、1975年に爆弾事件を起こした過激派の桐島聡(70)が、50年ぶりに見つかったニュースを流していた。
ネットなどを見ると若い子達は「身勝手なジジイ。理解できない」などとボロクソに書いてるが、僕の酔った頭は、彼に哀れさを感じた。
あの時代、桐島みたいな男は僕の周りには普通にいた。
ノンポリ、ノンセクトラジカル、党派に入る者いろいろいたが、学生の多くが反体制だった。
しかし全共闘運動が下火になると、学生達は就職活動に勤しむようになった。
「『いちご白書』をもう一度🎵」の世界だ。
僕も髪を切って、東スポに就職した。
尤も入社1か月後から髭を伸ばし始めたら、戦争帰りの編集局長から怒鳴り付けられたが。
革命運動を捨てられない桐島のような連中は、より過激になり、連続企業爆破事件、浅間山荘事件、日航機乗っ取り事件、テルアビブ乱射事件などを次々に起こした。
僕も一歩間違えば、あの中にいたとは思わないが、同世代として複雑な思いで、モーレツ社員になっていた。
そして、時代も変わり無事退職してのんびり暮らしているところに、このニュース。
まるで亡霊が現れたような。
桐島は50年間、ずっと逃亡生活をしてたのか。
癌で余命も尽きようとしているので、最期は本名で死にたいと自首したという。
批判は承知で、哀れな一生だなと思った。
そんなことありません。僕のブログでお分かりのように、ジジイなりに頑張ってます。
そうですね。こういう時に若者に声を上げて欲しいですね。今の若者は大人しすぎます。
それでも50年・・・
昨今の政治や企業などに見られる不祥事の数々・・・
詭弁、強弁、権謀術数、合従連衡、野合、裏切り、論証も実証も通じない非合理的な現実の組織・・・
「お前らなんかとは違うぞ!」
なんてね。
さあそれはどうかな?18歳で広島から上京して、20歳での犯行。どこまで、確信していたのかな?
分かりませんね。
むしろ筋金入りですよね。
何か50年ぶりに現れた亡霊みたいで。しばし、あの渾沌とした時代を思い出しました。
そしたら、広島の田舎から出てきた若者が、オルグされて、洗脳されて、とんでもない事件を起こして50年も逃亡生活。そして死にかけている。
もうよしましょう。ええ天婦羅美味しいですよ。カラッと揚がってて。
好きです。
桐島、と出た時、部活やめたって、を思い、(笑)
聡という名も妻夫木聡の聡。公を取ると恥で、妻夫木が、そう書いてくるファンもいた( 一一)を思い出しました。
危篤状態みたいですね。
三菱重工、友人が内定を受け迷い、結局別の社にはいり、このテロ。
もしかしたら・・と話すことがあります。