大関・貴景勝の父親・佐藤一哉(59)は僕の母校・尼崎北高の10年後輩だった!
同窓会誌で知った。
その内容が面白すぎるので、要約する。
以前書いたが、貴景勝が大関になったとき「僕は芦屋のボンボンいうより尼崎(庶民の町)に近いですよ」と言っていた。
そうか、父親が尼崎出身だったのか。
以下、佐藤一哉のインタビュー要約。
自分の一番嬉しかったのは息子の誕生でした。
それから大関昇進など、すべて貴景勝絡みです。
私は所謂不良でしたが、尼北には何とか入れました。
でも勉強などしなかったので、授業にはついていけません。
高1のときプロボグサーになろうと思って家出して連れ戻されました。
唯一頑張ったのは、応援団で太鼓を担当し、昭和54年、55年に野球部がセンバツに出場してベスト8に入ったときです。
私は意外と人気があり、全校人気投票で3位になりました。
女子から手紙やチョコもたくさん貰いましたよ。
大学など行く気はさらさらなく、「関西スーパー」へ就職しました。
それから消費者金融の「武富士」へ。
実力主義の社風で「ここでのし上がてっやる」と朝から晩まで頑張りました。
500店舗ある支店でトップになり、全国最年少の22歳で店長になりました。
その後、不動産に転じて、バブルに乗じて大儲けし、カラオケ、キャバクラ、レンタルビデオ店を経営しました。
今はそれらをやめ、複数の保育園を経営しています。
何やかや好きなことやって、いい人生じゃないですか。
私は超スパルタで、息子をボコボコにしましたよ。
私は子育てに関しては自信満々です。
息子のために一生懸命やってきたし、その辺は息子も分かってくれてると思いますよ。
まるで昭和のガンコ親父ですね。
こんな破天荒のオモロい後輩から、大関・貴景勝が生まれたのか?
ますます貴景勝のファンになった。
貴景勝よ、横綱目指し頑張れ~!
スポーツ紙のエピではなく、週刊誌ネタになりそうですね(笑)