昨晩、塚口会の幹事AからLINEで「突然の話で恐縮やけど、明日5時から新年会をやるから来ませんか」の誘いが来た。
僕は躊躇した。
能登があんなことになってるのに、騒ぐなんてできないな、の心境だ。
だけど若い頃みたいな正論男でもない。
暫く返事を保留してたらAから電話があった。
「ちょっと今回は体調不良でパスするわ」とやんわり断った。
そんで暇になったので、ウォーキングしながら、阪神大震災の頃の事とか思い出している。
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(阪神大震災)
あの時は突然でホンマにビックリした。
当時、何か知らないが、関西では地震は起きないみたいな神話?があった。
東京に出張した時など、東京はよく揺れるなと思ったもんだ。
僕は阪神大震災の時、岡山に「美女紀行」という企画で車で出張していた。
取材を終え、翌日が休みだったので、岡山の温泉旅館で作家気取りで、6本の原稿を書き上げようと泊まった。
同行したカメラマンはすぐに帰ったが。
翌日の明け方、地震で目が覚めた。
テレビを点けると、僕の住む阪神地区で大きな地震があったと言っている。
「へえ神戸で地震か~」くらいに見ていたら、いきなり阪神高速道路が倒壊しているシーンが映された。
僕は仰天し、すぐ帰らねばと愛車に飛び乗った。
しかし、道路はどこも不通になっており、国道2号線だけが辛うじて走れるということだった…。
それから僕の悪戦苦闘が始まる。
それは、もう書きたくないな。
思い出したくもない。
兎に角、普段なら3時間で帰れるところが、2車中泊の3日掛かった。
会社では僕は「行方不明」になってたそうだ。
死ぬ思いで、やっと尼崎の家に帰り着いたら、僕の部屋はグチャグチャになっていた。
スチール製の天井まであった本棚が2つとも倒れていた。
そこで寝てたら、死んでたかも、と思う。
その意味では不幸中の幸いやったかな。
武庫川を挟んで西宮まで酷い被害が出たが、尼崎はそれほどでもなかった。
暫く断水はしたが。
わざわざ大阪のサウナまで風呂に入りに行った。
あれ以来、日本列島は大地震期に入ったようだ。