【Amazonで註文してゐた「#中原中也 全詩集」(角川ソフィア文庫)が屆く】
詩がちやんと正假名遣(歴史的假名遣)の表記であるのが嬉しいです。文學、就中、詩は「かたち」こそが生命ですからね。
【Amazonで註文してゐた「#中原中也 全詩集」(角川ソフィア文庫)が屆く】
詩がちやんと正假名遣(歴史的假名遣)の表記であるのが嬉しいです。文學、就中、詩は「かたち」こそが生命ですからね。
【批評とは「詩の散文的表現」である】
中村(光夫)は小林(秀雄)の先驅者として #北村透谷 に註目してゐたのはすでに見た。詩集「蓬莱曲」を書き、「内部生命論」を書いた透谷は、高次な意味における魂の詩人であり、批評家だつた。中村は、近代日本における批評の確立とは、透谷以來の「詩の散文的表現」の復權であり、批評家とは散文によつて詩を書かうとする者の異名であると指摘する。
(#若松英輔 著「第十三章「文學界」の創刊―― #中村光夫 と #中野重治」/「#小林秀雄 美しい花」文春文庫※原文は略字新假名)
【#若松英輔 著「第十章 すばらしい失敗―― #堀辰雄(二)」/「#小林秀雄 美しい花」(文春文庫)※原文は略字新假名】
#ハムレット は苦しんでゐた。彼の苦しみは、叔父の殺害といふ宿命の呪縛に生きることにだけあつたのではない。自分の力では、生涯にわたつて #オフィーリア を守り續けることができないであらうことを、彼はどこかで感じてゐたのである。一人の女性を守ることのためにささげなくてはならない勇氣は、宿命を前にしたそれに勝るとも劣らないことをハムレットも感じ、その相克のなかで懊惱するのだつた。
【堀辰雄著「聖家族」】
扁理。――この亂雜の犠牲者には今まで自分の本當の心が少しも見分けられなかつたのだ。そして何の考へもなしに自分のほんたうに愛してゐるものから遠ざかるために、別の女と生きようとし、しかもその女のために、もうどうしていいか分らないくらゐ、疲れさせられてしまつてゐるのだ。
【足るを知ると云ふ事】
何年かまへ、 #留守晴夫 先生が慥か「この世が舞臺」にて、あれは #鴎外 を取上げた際だつたらうか、人間、足るを知ると云ふ事が大事である、と書かれてゐた。
然し、當時の私には足るを知ると云ふ事に就いては、納得出來ずにゐた。生涯、向上を求めては駄目なのか、と思つてゐた。 #福田恆存 さんが云ふ處の生産的なエゴイズムを持してゐれば、向上は可能なのではないか、何時迄も、と私は考へてゐた。
たゞ之も慥か #小林秀雄 は還暦を迎へて、みづからの青春はをはつたと書いてゐた。
私も、もし東京での行先が決まれば、それに感謝して、足るを知ると云ふ事を心掛けるべきだと考へ始めた。たゞ今はその行き先が未定で不安な毎日である。
太陽の近くにゐて、耐へられるだけの強度が、今の僕にはない。ない處か、今の僕の心身はボロボロである。だから、廣島から東京へ「逃げたい」と思ふのだ。それぐらゐの物理的精神的距離が、今の僕には必要だと感ずる。
【茲數ヶ月の収穫】
以前、詩に就いて、少し許り書いたが、茲數ヶ月の収穫と云へば、詩人は何故詩を詠むのかに就いて、解つた事、感じ入る事が出來た事である。
私自身はちやんとした詩を詠む事はむつかしいかも知れないが、詩人の心に就いては感じ入る事が出來たと思ふ。
長い人生、捨てたものではない訣だ。殊に #小林秀雄 とその周邊の詩人達に就いて、感じ入る事が出來たと思ふ。
私はこの歳になつて、やうやく、 #中原中也 や #富永太郎 が詩を志した頃に追ひついたと云ふ感じである。矢張り、彼等は特別な存在なのだ。