二本足の學者を目指して

賢を見ては齊しからん事を思ふ

【Amazonで註文してゐた「#中原中也 全詩集」(角川ソフィア文庫)が屆く】

2024-05-07 17:22:43 | 文學、精神、そして魂

【Amazonで註文してゐた「#中原中也 全詩集」(角川ソフィア文庫)が屆く】

詩がちやんと正假名遣(歴史的假名遣)の表記であるのが嬉しいです。文學、就中、詩は「かたち」こそが生命ですからね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【批評とは「詩の散文的表現」である】

2024-05-05 12:08:39 | 文學、精神、そして魂

【批評とは「詩の散文的表現」である】

中村(光夫)は小林(秀雄)の先驅者として #北村透谷 に註目してゐたのはすでに見た。詩集「蓬莱曲」を書き、「内部生命論」を書いた透谷は、高次な意味における魂の詩人であり、批評家だつた。中村は、近代日本における批評の確立とは、透谷以來の「詩の散文的表現」の復權であり、批評家とは散文によつて詩を書かうとする者の異名であると指摘する。
(#若松英輔 著「第十三章「文學界」の創刊―― #中村光夫 と #中野重治」/「#小林秀雄 美しい花」文春文庫※原文は略字新假名)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【#若松英輔 著「第十章 すばらしい失敗―― #堀辰雄(二)」/「#小林秀雄 美しい花」(文春文庫)※原文は略字新假名】

2024-05-02 08:33:59 | 文學、精神、そして魂

【#若松英輔 著「第十章 すばらしい失敗―― #堀辰雄(二)」/「#小林秀雄 美しい花」(文春文庫)※原文は略字新假名】

#ハムレット は苦しんでゐた。彼の苦しみは、叔父の殺害といふ宿命の呪縛に生きることにだけあつたのではない。自分の力では、生涯にわたつて #オフィーリア を守り續けることができないであらうことを、彼はどこかで感じてゐたのである。一人の女性を守ることのためにささげなくてはならない勇氣は、宿命を前にしたそれに勝るとも劣らないことをハムレットも感じ、その相克のなかで懊惱するのだつた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【堀辰雄著「聖家族」】

2024-05-01 08:44:17 | 文學、精神、そして魂

【堀辰雄著「聖家族」】

扁理。――この亂雜の犠牲者には今まで自分の本當の心が少しも見分けられなかつたのだ。そして何の考へもなしに自分のほんたうに愛してゐるものから遠ざかるために、別の女と生きようとし、しかもその女のために、もうどうしていいか分らないくらゐ、疲れさせられてしまつてゐるのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【足るを知ると云ふ事】

2024-04-30 16:26:00 | 文學、精神、そして魂

【足るを知ると云ふ事】

何年かまへ、 #留守晴夫 先生が慥か「この世が舞臺」にて、あれは #鴎外 を取上げた際だつたらうか、人間、足るを知ると云ふ事が大事である、と書かれてゐた。

然し、當時の私には足るを知ると云ふ事に就いては、納得出來ずにゐた。生涯、向上を求めては駄目なのか、と思つてゐた。 #福田恆存 さんが云ふ處の生産的なエゴイズムを持してゐれば、向上は可能なのではないか、何時迄も、と私は考へてゐた。

たゞ之も慥か #小林秀雄 は還暦を迎へて、みづからの青春はをはつたと書いてゐた。

私も、もし東京での行先が決まれば、それに感謝して、足るを知ると云ふ事を心掛けるべきだと考へ始めた。たゞ今はその行き先が未定で不安な毎日である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【感ずる事】

2024-04-29 23:46:36 | 文學、精神、そして魂

太陽の近くにゐて、耐へられるだけの強度が、今の僕にはない。ない處か、今の僕の心身はボロボロである。だから、廣島から東京へ「逃げたい」と思ふのだ。それぐらゐの物理的精神的距離が、今の僕には必要だと感ずる。

【茲數ヶ月の収穫】

以前、詩に就いて、少し許り書いたが、茲數ヶ月の収穫と云へば、詩人は何故詩を詠むのかに就いて、解つた事、感じ入る事が出來た事である。

私自身はちやんとした詩を詠む事はむつかしいかも知れないが、詩人の心に就いては感じ入る事が出來たと思ふ。

長い人生、捨てたものではない訣だ。殊に #小林秀雄 とその周邊の詩人達に就いて、感じ入る事が出來たと思ふ。

私はこの歳になつて、やうやく、 #中原中也 や #富永太郎 が詩を志した頃に追ひついたと云ふ感じである。矢張り、彼等は特別な存在なのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【「快樂と幸福」/福田恆存著「私の幸福論」(ちくま文庫)】

2024-04-28 11:24:27 | 文學、精神、そして魂
【「快樂と幸福」/福田恆存著「私の幸福論」(ちくま文庫)】

標題の章から文章を引用します(原文は略字新假名)――。

といふのは、將來、幸福になるかどうかわからない、また「よりよき生活」が訪れるかどうかわからない、が、自分はかうしたいし、かういふ流儀で生きてきたのだから、この道を採る――さういふ生きかたがあるはずです。いはば自分の生活や行動に筋道たてようとし、そのために過ちを犯しても、「不幸」になつても、それはやむをえぬといふことです。

 私はいま「自信」と申しましたが、それは結局は、自分より、そして人間や歴史より、もつと大いなるものを信じるといふことです。それが信じられればこそ、過失を犯しても、失敗しても、敗北しても、なほかつ幸福への餘地は殘つてゐるのであります。この信ずるといふ美徳をよそにして、幸福は成り立ちません。もちろん、自分を「不幸」な、あるいは「不快」な目にあはせてゐる人間を、私たちは直接に信頼することはできない。ですから、私たちはかれらと戰ふでせう。が、それで敗北しても、あるいはその「不幸」な状態をすこしも改良できなくても、人間といふものを信じてゐなければならない。といふのは、最後には神を信じることです。私は別に何々教といふものを意味してはをりません。が、特定の宗教に歸依できなくても、さういふ信仰は誰しももてるものではないでせうか。

 自分や人間を超える、より大いなるものを信じればこそ、どんな「不幸」のうちにあつても、なほ幸福でありうるでせうし、また「不幸」の原因と戰ふ力も出てくるでせう。もし、その信仰なくして、戰ふとすれば、どうしても勝たなければならなくなる。勝つためには手段も擇ばぬといふことになる。しかし、私たちは、その戰ひにおいて、始終、一種のうしろめたさを感じてゐなければならないのです。なぜなら、その戰ひは、結局は自分ひとりの快樂のためだからです。あるいは、最後には、勝利のあかつきに、自分ひとりが孤立する戰ひだからです。さういふ戰ひは、その過程においても、勝利の時においても、靜かな幸福とはなんのかかはりもありません。

 まづなによりも信ずるといふ美徳を恢復することが急務です。親子、兄弟、夫婦、友人、そしてさらにそれらを超えるなにものかとの間に。そのなにものかを私に規定せよといつても、それは無理です。

――引用をはり。超自然の存在である絶對者に關する信仰が私達日本人にはないとしても、部分である私達一人一人も、全體に通じてゐると云ふ實感は持ち得る筈です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【若かりし頃の私】

2024-04-28 08:48:29 | 文學、精神、そして魂
【若かりし頃の私】

之から語るやうな事を書くと、今の私を少しでも知つてゐる人は、笑ふと思ひます。

茲何日も #福田恆存 著「 #私の幸福論 」( #ちくま文庫 )を讀みなほしてをり、今朝も少し讀みました。この名著にて述べられてゐる人間の性慾、男女の違ひ、戀愛論、結婚觀に就いて、私は今でこそ、實感と云ふものを伴ひ、得心する事が出來ます。

同書を始めて讀んだ十何年かまへには、實感と云ふものが伴はず、福田恆存さんの本だから讀んだと云ふ感じでした。

抑、私は若かりし頃と云ふのは、殊に早大生時代と云ふのは、何に就いても、一種冷淡な態度を取つてゐました。それは受驗戰爭に疲れ果ててゐた爲でもありませうが、何にしても積極的にかゝはる事を止して置けば、失敗はないと云ふ一種の保身的態度、みづからにも世間にも期待をしない態度にもとづくものでした。

大學生であり、然も早大生であり、(かう云ふ事をみづから云ふのははづかしいですが)早稻田で一番二枚目だとさへ云はれる事があつた私ですから、性慾だの戀愛だのに就いて、その氣になれば、それこそ愉しむ事が出來た筈です。

が、大學一年の基礎演習にて、同じグループに決まつた女の子が、「きやあ!」と叫んで喜んだり、碌に話した事がない女の子が、教室内で「それあ、坂田君は格好良いから、中々附合へないよね」といきなり泣き崩れたりするのを見ては、ひいてゐた當時の私です。

何故ほゞ初對面の相手に對して叫ぶ事が出來るのか、何故碌に話した事がないのに、附合ひたいと思ひ、思ひ詰めて泣き迄するのか、私には理解出來ませんでした。

そして、私の母方の祖父は二枚目で有名ではありましたが、五十代で亡くなる頃には髪はなくなつてゐたので、その祖父によく顏立ちが似てゐると云はれる私は、頭髪に關しても祖父と同じやうになるだらうと豫感してをり、外見を襃められる事に關しては虚しさを感じてゐました。

成程、外見が衰へる事はまぬかれない、それならば、歳月の經過と共に磨かれるものはないだらうか、と私は考へ、それは精神ではないだらうか、畢竟、魂ではないだらうかと思ひ至りました。それで私は、早大では社會學專修でしたが、社會學の勉強などは殆どやらずに、古今東西の文學を讀み漁りました。

が、四十九歳の今、自分は精神的に立派になれたかと云へば、全くそんな事はなく、寧ろ、幼いと痛感するぐらゐです。勿論、 #小林秀雄 が云ふやうな魂の境地なんぞとは程遠いです。

話が逸れました。兎に角、若かりし頃の私は、性慾はあるにはありましたが、それを誰かを相手に積極的に滿たさうとは思へなかつたし、惚れられる事はあつても、惚れると云ふ事は一切ありませんでした。池袋パルコの中華レストランで初めてアルバイトをした時、歳下の女の子にかう云はれた事もあります。「何で附合つて呉れないの? 私、もうハタチだし」と。

兎に角、みづからが誰かに惚れるなどと云ふのは、之程面倒な事はないので、出來るだけ避けるに限る……。さう決めて來ました。要は人間らしい苦しみと云ふものを、私は長年、極力、避けて來たのです。だから、福田さんの「私の幸福論」を十何年もまへに讀んだ際も、實感が伴ひませんでした。それが今日、實感を伴ひ、我が事として理解出來るやうになるとは……。私も良い歳して、少しは人間らしくなつたと云ふ事でせうか。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【 #福田恆存 著「 #私の幸福論 」( #ちくま文庫 )※追記あり】

2024-04-27 16:48:06 | 文學、精神、そして魂
【 #福田恆存 著「 #私の幸福論 」( #ちくま文庫 )※追記あり】

同書の「ふたたび戀愛について」迄を讀みました。十何年もまへに讀んだ時と違ひ、その内容に實感が伴つてゐると感じました。

特に戀愛に於ける分離作用と結合作用に就いての福田さんの説明は、あゝ福田さんと云ふ人は知識人である事にとゞまらず、こゝ迄に男女の事柄を解つてゐるのかと感心した私です。

こゝでは内容を引用しませんし、詳述もしませんが、分離作用に就いては女が男から教はり、結合作用に就いては男が女から教はると云ふのにも、得心しました。

分離即ち戀愛のをはりではなく、更なる強い結合を實現する爲の準備期間が分離だと云ふ事、諦めないと云ふ事、かう云ふ事を語れる福田恆存さんだからこそ、戲曲を書けたり、芝居の演出を行へたのかも知れません。

追記です――。之が #三島由紀夫 の戀愛小説だと、分離を伴はない「いちやつき」に過ぎず、不潔なのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【天を信ずると云ふ事】

2024-04-25 08:06:59 | 文學、精神、そして魂
【天を信ずると云ふ事】

サイエンティストである方も、全力を盡くした上で、天を信ずるのだなと云ふ事を、今朝、Facebookで知つた。天に據る配置と私の願ひとが、極力一致するやうに努めるしかないのだらう。

長い人生、願ひが叶はぬ事もある。之はその方も仰有つてゐるやうに、其處は君の次の場所として相應しくないと云ふ天に據る判斷なのだらう。きつと天さへもが認めざるを得ない場所がある筈だと信ずるしかない。

小林秀雄に「信ずることと知ること」と云ふ有名な講演があるが、知る事よりも、信ずる事のはうが大事である事は、歳を經る毎に實感する。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする