二本足の學者を目指して

賢を見ては齊しからん事を思ふ

平成三十年一月三十一日(水)先日の食事――牡蠣フライと蕗の薹の天麩羅

2018-01-31 11:51:22 | Have a meal
 先日の食事――牡蠣フライと蕗の薹の天麩羅

 冬と春の味覺。いづれも私の大好物である。

 文化と云へば、何だか高尚だが、それが生き甲斐だとして、季節の旨い物を食べるのが、生き甲斐の一つである。


牡蠣フライ


蕗の薹の天麩羅
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平成三十年一月三十日(火)學者馬鹿と學者馬鹿の本を讀むインテリ

2018-01-30 08:54:07 | Writing various things
 學者馬鹿と學者馬鹿の本を讀むインテリ

 以下は、此方のブログ記事からの引用である――。

 つい最近のこの欄にも書いたが、内田の政治論は讀むにたへない。笑つて讀みとばすこれが作法である。でも所どころに氣の利いた臺詞が出てくる。それがいいのだ。

 フランスのホテルやファストフードでの接客について。

「無償の笑顏は文字通り無償であり、彼らにさして良きことをもたらさない。それよりは、權限の範圍内で『いけず』をして、觀光客に屈辱感を味はゝせる方がまだしも氣分が晴れると考へる人々が少なくないのであらう。」

 かういふことは事實なのかどうか確かめようもないが、その直感は私には當つてゐるやうに感じた。

 ――何とも馬鹿馬鹿しい愚論である。「無償の笑顏」抔と云ふものが、それもサーヴィス業に於て、存在してゐると考へる事自體、學者馬鹿である内田樹の「面目躍如」と云つた處である。サーヴィス業に於ては、笑顏もサーヴィス料に含まれてゐるし、殊更、サーヴィス料をとらない日本に於ても、笑顏は、サーヴィスをする側の自衞手段として採用されてゐる。よく謂はれる、鏡の理論と云ふヤツで、「御客樣」は鏡だから、此方側が笑顏であれば、「御客樣」の顏も自然、笑顏になると云ふ考へである。サーヴィスマン(レディ)の笑顏は、自分の爲、自分に危險が及ばない爲に行つてゐるものであつて、「御客樣」の爲のものではない。詰り、「無償」なんかではない。鏡の理論が、現實に即してゐるかどうかは別として。勿論、サーヴィス業の接客に於てに限らず、自然と出る笑顏はあるにはあるが、それが「無償の笑顏」だとして、それが、どうして「さして良きことをもたらさない」と云ふ事になるのか。接客の笑顏は、計算されたものであるから、接客として行ふ笑顏は、「無償」なんぞではない。加へて、個人としての自然の笑顏が「さして良きことをもたらさない」なんぞと云ふ事もない。

 こんな學者馬鹿の本を有難がる讀者も讀者で、「事實なのかどうか確かめようもない」「直感」に就いて、どうして「當つてゐるやうに感じ」るのか、私には理解出來ない。まあ、人がどう感じようが自由なのだが、もう少し論理的になつてはどうか。
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平成三十年一月二十七日(土)けふの食事――麺屋やまひで(廣島市中區八丁堀)で臺灣まぜそば(台湾まぜそば)大盛

2018-01-27 15:04:25 | Have a meal
 けふの食事――麺屋やまひで(廣島市中區八丁堀)で臺灣まぜそば(台湾まぜそば)大盛

 土曜日の晝、國松の行列を横目に、裏手にある麺屋やまひでへ。汁なし擔々麺を食べるよりも、やまひでで臺灣まぜそばを食べたはうが、滿足する。――抔と書いてゐるが、實はけふ、この店を知つた。




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平成三十年一月二十四日(水)先日の食事――肉のますゐ(廣島市中區八丁堀)で上ステーキ&ライス&赤だし

2018-01-24 08:27:54 | Have a meal
 先日の食事――肉のますゐ(廣島市中區八丁堀)で上ステーキ&ライス&赤だし


上ステーキ

上ステーキ&ライス&赤だし
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平成三十年一月二十二日(月)土屋道雄著「福田恆存と戰後の時代」Kindle版

2018-01-22 07:07:07 | 文學、精神、そして魂
 土屋道雄著「福田恆存と戰後の時代」Kindle版

 亡くなつてゐた土屋道雄先生 - 言葉の救はれ・時代と文學 -

 土屋道雄著「福田恆存と戰後の時代」Kindle版

 遅れ馳せながら、上述の著書を讀んでゐる。ブログでも引用されてゐる福田恆存の言葉――。

 一般人が誤解してゐるのとは正反對に、ロレンスが生涯を賭けて求めつづけたことは結婚の永遠性といふことであります。そしてそのために、かれは性を解放しろなどといつてゐるのではなく、その反對に、性の愼しみを保てといつてゐるのであります。

 ――福田恆存を讀んで何年にもなるが、この大事に就いて、今の今迄知らないでゐた自分が耻づかしい。それにしても、是非とも若い人達に讀んで欲しい名著である。
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平成三十年一月二十一日(日)評論家の西部邁さんが死去 多摩川で自殺か - 朝日新聞デジタル -

2018-01-21 17:39:42 | Hyperlink
 評論家の西部邁さんが死去 多摩川で自殺か - 朝日新聞デジタル -

 2018年1月21日16時38分
 21日午前6時40分ごろ、東京都大田區田園調布5丁目の多摩川で、「人が川に入つた」と通行人の男性から110番通報があつた。警視庁と消防が男性を救出したが、約2時間後に搬送先の病院で死亡が確認された。

 田園調布署によると、亡くなつたのは評論家の西部邁さん(78)。遺書が殘されてゐたといひ、署は自殺の可能性があるとみてゐる。
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平成三十年一月二十一日(日)以前の食事――料亭稚加榮(福岡市中央區大名)で和定食

2018-01-21 13:06:39 | Have a meal
 以前の食事――料亭稚加榮(福岡市中央區大名)で和定食


和定食

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平成三十年一月十九日(金)神事と天皇

2018-01-19 13:44:35 | この世を概觀する
 神事と天皇

 何とはなしに晝のテレヴィを觀てゐると、フジテレビで、大相撲に就いてやつてゐた。何やら貴乃花親方が、自身のサイトで、コメントを公開したとの事。その中で、「神事」と云ふ言葉が槍玉に上がり、藝能人の司會者やコメンテイターが、疑義を呈してゐた。曰、神事とスポーツとは、兩立し得るのか、神事と云ひ、ルールを明確にしないのは、今の國際化の流れに合はない、との事。だが、抑、大相撲を國際化、スポーツ化する必要性はあるのか。番組では、國際化、スポーツ化は當然の流れと云ふ事になつてゐるが、この當然の流れとは、何時確定したのか。結局、一般の企業と同じで、相撲界は、人手不足だつたから、力士の成り手を海外に求めた訣だが、「外人」に日本の文化が分らう筈もない。そのやうな事も考へずに、安易に人手不足解消を求めた相撲界の自業自得と云ひたい處だが、大相撲の人達の中にも、相撲を國際化、スポーツ化したい手合はゐるのだらう。ゐる處か、それが大多數で、貴乃花は少數派なのかも知れない。

 日本では、神佛と人とのあひだには、明確な隔たりがないとされてゐるが、横綱は神のやうな存在だと云ふ。横綱は、チャンピオンではない。王座陷落はあるが、横綱陷落はない。そのやうな横綱であるからこそ、品格が求められ、陷落がないのであれば、相手の相撲を受けて立たねばならない。品格を定義せよ、スポーツのルールのやうにと云ふ手合もゐるが、品格とは文化に關る大事であり、これを定義する訣には行かない。ルールを定め、ルールどほりに試合を行へば、品格ありと云ふ事にはならない。品格がある事とスポーツのフェアプレイとは異なる。ルールに則りさへすれば、それだけでオートマチックに、品格があると云ふ事にはならない。明文化されない處にこそ、文化の要がある。

 天皇に就いても、血統に於て「萬世一系」と云ふ事と、その在り方に於て「天皇に私無し」と云ふ事と、この二つが求められる訣だが、これら二つの大事とは、フィクションであり、この大事に就いて、加へて、「現人神」と云ふフィクションに就いて、外國人が理解する事は不可能であらう。今の日本人でさへ理解してゐるかどうか怪しいし、日本國民ならぬ日本國市民は理解してゐまい。もし、皇室の人手不足と云ふ事で、(女性天皇ではなく)女系天皇を許可したら、どう云ふ事になるか。上述した三つのフィクションが崩れて了ふ事になる。それは日本文化の否定であり、「人の上の人」の最たる存在である天皇が存在しなくなれば、吾々日本人も日本人ではなくなる。因みに、「女性」と「女系」の違ひが分らぬと云ふ人もゐようから、少しく説明して置くと、愛子樣が即位されゝば、女性天皇になる訣だが、その愛子樣が、外から婿を貰ひ、その方との子供が生れ、その方が男子であつても、その方が即位されゝば、その方は女系天皇となる。この女系天皇は、外部の血が混じつてゐるがゆゑに、危險なのである。簡單に云へば、そのやうな天皇は、外部の(政治的)傀儡となる可能性がある爲である。マスコミやマスコミが重寶する識者達は、頻りに「開かれた皇室」と云ふ事を主張するが、大方、平和や友好の爲、支那邊の血を皇室に入れたい心算ではあるまいか。

 天皇が天皇である事のフィクションが否定されゝば、天皇は天皇ではなくなり、吾々は日本人ではなくなる。同樣、横綱にフェアプレイが求められるやうになれば、大相撲はスポーツ化、國際化され、相撲は相撲ではなくなる。何にせよ、神事とは、文化であり、文化には、國際化を拒む要素が存在してこそ、文化なのである。亦、文化とはフィクションであり、それは民族の理想であり、その大事を外人に理解させる事は不可能である。文化に就いては、T.S.エリオットによる定義を參考にすれば良い。その點、貴乃花は、民族派ではあるが、モンゴル人である愛弟子に、どれだけの事を理解させる事が出來るのか、抔と外から眺めてゐる私は思ふ。企業はこれから國際化の色合ひを濃くして行くのかも知れぬが、大相撲が國際化、スポーツ化して良いのか。皇室、天皇に就いては、勿論、國際化なんぞ言語道斷であるし、「開かれた皇室」抔になつてはならない。

 亦、頻りに國際化だの、スポーツ化だの云ふタレントやマスコミ人、識者達が、祿に英語も出來ないのには嗤ふしかない。
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平成三十年一月十九日(金)以前の食事――麺や兼虎(福岡市中央區赤坂)で限定と油そば

2018-01-19 08:53:22 | Have a meal
 以前の食事――麺や兼虎(福岡市中央區赤坂)で限定と油そば






限定

油そば
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平成三十年一月十八日(木)以前の食事――天麩羅だるま(赤坂、福岡市中央區大名)で盛合せ定食

2018-01-18 16:51:01 | Have a meal
 以前の食事――天麩羅だるま(赤坂、福岡市中央區大名)で盛合せ定食










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