【言葉は教師である】
石丸や蓮舫のやうに相手の氣持や立場を全く考へない輩は論外だが、昨今のまはりに於ける氣持や立場を氣にし過ぎる風潮も、それはそれで問題だと思ふ。その爲に使ふ事が憚られる言葉が少からず存在するのは不自然である。が、ならば何が自然かと云へば、その定義はむつかしい。
福田恆存さんの言葉に從へば、抑、「言葉は教師」なのであり、吾々が言葉を使へるだの、この言葉は使ふべきではないだのと主張する事自體、人間の傲慢なのである。言葉とは過去から現在まで存在して來た私達の先輩である。その言葉から學ぶと云ふ姿勢こそを私は堅持して生きたい。