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辻潤とは~ただし多面的な相のうちの一部分のみである

2022-09-23 17:07:46 | 日記
野枝が出ていけば
「可哀そうに捨てられて」
と周りから同情されて生きていた辻潤。
現代になってもあの伊藤野枝に捨てられた夫でしょう?
というような認識しかされない。
だが彼は自分に嘘がつけず
文壇で好きな事を書き狂い、文化人名簿から外された。

ところで辻潤がテーブルに乗りくわっくわっと言ったという有名エピソード
がある。その目撃情報である。

↑三人の会とスカラー・ジプシー 岡本潤(読みずらいです)

いわゆる集会で、一触即発の騒ぎになった時に辻潤がこの奇妙な行動をとった…そして騒ぎは静まったらしい。
「彼独自の意思表示かもしれない」と岡本潤氏が書いている。

 もしかしたら場の高揚と酔った勢いが重なった結果
そうなっただけかもしれないが…
岡本潤は、辻潤おもしろいやつという感じで交流をする。

また、斉藤昌三が辻潤の事を「聖者の出来損ない」と言っていたらしいが
辻潤は「癡人の独語」という随筆で
「それは贔屓の引き倒しというものでまことに微苦笑ものである。
尤も「聖者」も見方によれば一種の変質者であり狂人でもある。
私の場合には於いてはもはや改めて説明の必要のない程正札つきなのである」
と書いている。
自分は聖者っぽく見えるかもしれないけれど聖者ってものはね~~~
だから自分も、そうも見えるんだろうという言い方である。
注:この後も辻の言葉は続きますが省略します。

尚この文を斎藤昌三が知り今度は
「生ける遺書」かと言ったところ
「ひでえこというな、然しまあそうかもしれない」
と辻潤が笑ったそうである。


天狗騒動について



↑本人は「貧困と過度の飲酒によるものだ」と回想をする。

その日の事を覚えている知人がいて、本に寄稿していた。
「辻さんと水酒」という章だ。
その日いつものように
片柳忠男という知人宅に辻が現れた。
辻潤は持ってきたひょうたんを見せ、
「片柳君、すばらしい酒を飲ませてやろうと思うんだ…
これはね、天狗様に頂いたお酒だよ」
と言い辻潤が飲み、片柳氏の杯にそそぐので飲んでみた。
するとそれは酒なんかではなく水だった。
「これは水ですよ」
と片柳氏は言ったのだが、辻潤はひょうたんの水を最後まで飲み
満足そうに帰ってしまった。
片柳氏は「いったい何の冗談なんだ」と思ったが
その10分後に辻の息子のまこと?が走って来たらしい。
(まことか別の家人かもしれないが、そこだけ記憶が曖昧らしい)
そして現場に行くともう辻潤は道路にうずくまり何やら大声を張り上げていた。
二階から辻潤が飛び降りたと家人が言うのである。


「辻潤との思い出」  玉生清(小川きよ)
にその間の出来事が書いてあった。

雨の降る夜。酔った辻潤が清さんのいる家に来た。
2~3日ぶりで辻潤は帰ってきて
トイレに入り手を洗い…急にウオッと叫び外に走り去り・・・
10分ほどしたらまた入ってきて二階に上がる。そして
「いつもより狂暴に唇を求め」
「彼は私の首を絞めつけようとするのです」
なので怖くなった清さんは階下に逃げる。
すると、
「俺は天狗になったぞ」
というどなり声がして辻潤は飛び降りた。
道路に出ると「酒を飲ませろ」と辻潤がなお怒鳴り続けるのであった。

「古谷栄一様は佯狂じゃないかと思うとおっしゃいますがお酒浸りが結局
頭脳の調子を狂わせたのではないかと思われます。
なにしろ〇チガイ水ですから」
と清さんは回想する。
佯狂とは、狂人の真似事で本当は正常という意味です。
当時の愛人、清もそういうのだからそうなのでしょう と思います。
戦前の治療はどうなっているのか分からないが
辻潤は北杜夫の父である斎藤茂吉のいる病院で診てもらったそうである…


晩年は病院に入ったり、出ては僧の恰好をして放浪していた
のだそうである。

ところで辻潤の息子さんがやはりこの本に寄稿している。

「世間並にいえばみじめな晩年だった。しかし本当にそうなのか?
私の知るかぎりの日本人のなかでたった一人、一人の人間としてけっして
負けなかった人間だった。彼の死は、一つの魂の勝利だったと感じている。
               辻まこと」


「風よあらしよ」のドラマ版2 よいところ残念なところ

2022-09-23 15:12:28 | 日記
🙇‍♀️⇩自分のNoteからコピペです。

女はみんなに決められた事を文句も言わずに従えば幸せになるんだよという
押し付けの文化に抵抗したひとりの女の抵抗物語として見れば最高に良かった事です。

死ぬ間際にあそこまで言いきるなど……
相手は武器を持ってるのですからね?
人数だって相手の方が多い。
(ドラマでは、甘粕と1対1なのですが、部下はいるんですよ。
しかもあのおじさんに普通の男だったら、口答えさえ出来ないでしょう…)
もう、負けるに決まってるのだ。
その場であの魂からの叫びは、見ている者をドキドキさせる勇ましさを感じる。
実際に伊藤野枝は、内務大臣に「あなたは」「あなたは」と、直訴状に書き
罪の無い夫を返して下さいという無鉄砲な事をやっている
↓という事は、記念館に残されている手紙で分かっている。

©️後藤新平記念館 所蔵品より


負けん気の強さ。
絶対に風の中、嵐の中で立ってやるという野枝の意気込みが画面から伝わってきた。



辻潤について


ところで…辻潤は…なにもしない男として…
ドラマで終わってしまった事は残念な事に思う。
辻潤は、極貧ゆえに中学に通えず中退をし
それでも尺八と語学を学び
学習能力が高かったのだろう。
一般的な学校には行かずに英語を習得し、
次いでフランス語、ドイツ語を学んだ。
そして日本では貴重な海外の本を次々と翻訳する。
辻潤は翻訳家としての仕事が本業だった。
英語が出来るので学校の教師や家庭教師はやっていましたが…
これはうまくいかなかった。

❬辻潤年表 「ニヒリストー辻潤の思想と生涯」より❭

↑ 野枝は産まれたばかりの子供は連れて出ていった。
(しかし、里子に出している)
辻はよく、残された息子まことを連れて友人と飲みに行った。
後に、小島きよという女性と出会い同棲をする。最後の恋人は松尾とし子という女性。



そして辻潤は朝日、読売、雑誌数社に頼まれて随筆も書いている。
随筆は、世の中に迎合せず牽制するような茶化すような、更に自虐的な内容だった。
スティルナー的唯一論から老子の虚無、親鸞で更に思想を深める。
全国に辻潤ファンはいる。

大杉は正義のヒーローとして輝かしく生きてそしてあっさり死んでしまった。
ヒーローらしい生き方だ。

だが、辻潤の生き方は違った。
だが、だからといって大杉とは違い情けないやつだとは言えない反骨の物書きだったのだ。

戦争前に読売の特派員としてパリに行き仕事をしている。(Wikipediaではそのような説明が無かった)
そしてそこで日本の文化の良さに急に気がつき、
そういう意味で洋行して良かったと辻潤は言っている。
そして日本では、独裁者と組んで戦争をする愚かさを戦前から文筆で訴えている。
また、ブルジョアを貶す一方、プロレタリアの事も非難していたりする。
そこが大杉達とは違う
辻潤の哀切さがある。
*そんな辻潤も実は大杉栄のように
思想警察から尋問を何度もされているのだが
大杉のような真面目な応答など最初からするつもりは無く
「僕は〇〇主義だ」とふざけて「なんだこいつ、ただの〇〇か」
と思われ連行はされなかったそうだ。
→〇〇は、本を買って読めば分かる事です。


ドラマのあの辻潤像は、あまりにも可哀想だなと思いました。

追記:ニヒリストというと、現在でいえばドラマの感じのイメージなのかと
思いますが、文章は世の中の人々がびっくりするほど辛辣だったりするのに
普段の辻潤はユーモラスで温厚だったそうだ。
←悪酔いしていない場合。

それに飲み友達は何人もいて、そういう人達に…
辻潤は酒を奢ってもらっていたそうです。
神近市子の家にもふらっと下着姿で訪れ
「変な人が来た!」
と子供達に囲まれ騒がれ、気づいた神近市子は子供を叱ったそうです。
で、何なのかと思ったら「酒をくれないか」という事で市子は
酒やつまみをあげたそうです。

そして市子は「心で涙を飲んで」と思いながら「辻潤は職業につこうとしなかった」「この不幸な(辻潤)」
とか最後まで決めつけて書いている。
そういうところが何か…
野枝に敗れた理由のような気がするが
大杉についていたら、市子のその後の安定した暮らしは無かったと思うので
良かったですね…ちなみに刑期が終わり結婚をして子供も何人かお産みに
なって議員さんにもなっている。
辻が愚行と書くような人生なのですが
一方でまた、辻は個人の形而上的自由は最も重要で
思想、宗教全てひとりひとりが好きに
唯一無二としてやって行けば良いという
おおらかな思想でもあるので、それはそれで良いのでしょう。

辻潤が虱に喰われ餓死した事のみがWikipediaに載っておりますが
当時日本は敗戦色が漂う戦時中
(九ヵ月後に戦争が終わる1944年11月24日)
ほとんどの人間が食うや食わずで生きていた。
餓死なんて日常的にある絶望の時代である。