『守護霊との対話--中川昌蔵の世界』(小林正観著、弘園社、「未来の智恵シリーズ4、1998年)を読んだ。本来なら同シリーズ3巻目『こころの遊歩道』へすすむのだけどやっぱり自分は霊的なことに興味があるようだ、先にこの本を読み始めてしまった。
中川昌蔵とは知らない人だなぁと思って読み始めて読み終わって今、その感想を書こうとパソコンへ向かった時になんとなく履歴検索をしていたら「中川昌蔵 霊能者」でこのブログへ来ている人がいることが分かった。ということは僕がこの日記に書いたことのある名前だ・・・。
調べてみたら佐藤愛子さんの『私の遺言』中で彼女が相談した霊能者のお一人だった。今は手元に『私の遺言』がない(患者さんに貸している)のでどんな内容だったか分からないがやはりその筋では有名な方だったようだ。
なんでも中川昌蔵さんは大阪・日本橋電気街の「中川無線電機」の創業者社長であり実業の世界であるところまで達した方だったんだけど60歳前後に「臨死体験」をされてのち職を辞して「何のために人は生きるのか」「何のために企業があるのか」を説き始めたそうだ。
臨死体験以降、守護霊と交通ができいろいろなことで守護霊に示唆を仰いでいらしたとのこと。そんな彼は今までたくさんの出版社から「本を出さないか」と申し出を受けてきたのだけれども儲けるための商業主義的出版は守護霊からすべて断るよう指示されていたのが、小林正観さんとの対談としてのこの本の出版には守護霊から「これはのちのち非常に良いことが起こるから積極的にやったほうがいい」と言われ正観さんの5日間のインタビューに応えてこの本が出来上がったとのことだ。
この本もまたとっても示唆に富む本だった。内容的には同シリーズ2巻目の『波動の報告書--足立育朗の世界--』と比べるととてもシンプルで分かりやすい。以下自分にとって参考になったところを拾い上げてみる。
小林「最近、私達には選択肢がないのではないかと思えてきました。選択肢があるように思っているけれども、実はそれ以外には選択肢がなかった、ということの繰り返し、積み重ねのような気がするのです。」
中川「選択の自由はあるようですが、そこで本人の運命が決まってきます。金持ちになるか貧乏になるかなどは大きな運命ではありません。経済のほうへ進むか、政治家になるかとというのは大きな運命ですが、その中で会社の社長になるか会社が倒産するか、あるいは総理大臣になるか、選挙に落選ばかりしてしまうのか、などというのは個人の運命(本人が決めること)です。
例えば小林さんが文筆業を選んだ道筋は大きな運命で、その中でどういうものを書くかというのは自分で作る運命です。
→これは僕の場合で言えばサラリーマンでいるか治療師になるかの大きな選択の時があったのだけど、あれはここでいう“大きな運命”の分かれ道だったんだ。今回“癌専門”から“すべての疾患”に切り替えたんだけど“気付きを通して他者を助ける”という基本がぶれるわけではないからこれは小さな選択だったんだろう。同じように鍼灸から他のヒーリング技術に変えたとしても“人を癒したい”などという自分の信念、根底が変わっていなければ何でもOKということではないか。
中川「地球や人間の未来には、既に大まかな設計図がありますが、細かいところは空けてあるのではないでしょうか。神は人間の生理や思想、意識などというものを非常によく考えて作られたと思います。ですから人間の及ばない道筋はきちんと付いています。その広い道を斜めに行こうが外れてまた戻ろうがあるいは外れてしまおうがそれは個人に任せてあるようです。」
「ですから自分が何をなすべきかというのはこの設計図からあまり外れないようにしなければいけないでしょう。基本的設計図の上にいて、あとは自分の意識や要求などに応じた行動をするということです。」
ぼくもそう思いたい。自分の行動の一挙手一投足がすべて神によって決められているとは思いたくない。だってそれでは努力する気もなくなってしまうじゃん。いわゆる“定め”というものについて中川氏は次のように語っている。
中川「死ということに関しては確かに自分以外のものが握っていると思います。自分もお医者さんも決められない。突き詰めれば決まっているかもしれませんが、それでは人生が味気ない。死ぬ日も運命も決まっていると言われたら『どうせ何やっても同じだから面白おかしく生きていこう』と思う人が出るかもしれませんね。そうすると努力する人が減ってしまうかもしれませんね。ですから大筋は決まっているが細かいところは多少融通性があるということにしておきませんか」(笑)
あと面白かった話としては霊界での界層があるらしいんだけど、人間→守護霊や指導霊→諸天善神(韋駄天、弁天などの“天”、その上に愛染明王や不動明王などの“明王”。彼らがエンゼルという存在)→菩薩→如来と進むらしい。でモーゼ、釈迦、キリスト、空海といった“如来”たちは人間社会でいう国会議員にあたり霊界のルールつくりや重要事項決定をしていて、その下に位置する菩薩は人間社会でいう高級官僚に当たるらしい。会社での課長や中間管理職にあたるのが諸天善神で“光の天使”と呼ばれ日本では八百万神(やおよろずのかみ)と呼ばれる存在(笑)。
霊界の界層については真偽は分からないし他の霊能者では違う表現をされているけれども「如来などの大臣クラスの存在が人間の個々の願望の実現に手を貸すことはありません」と書いてあるのを見て、「薬師如来さまに真言を唱えて病気平癒を祈願しているんだけど実際に来て下さっているのは代理の方かな」などと不遜なことを考えたりしてしまった・・・。
オーラの泉などを見る人にはとてもよく分かりやすく頭に入っていけると思う。この本もお勧めだ。入手先は
弘園社既刊の著書一覧からどうぞ。