『ブルーアイランド』(エステル・ステッド著、ハート出版)という本をお貸しした方から「私、こういう本苦手なんです。怖い写真を見ると夢に見てしまって・・・」と言われてしまった。別に心霊写真が沢山載っているわけではないのだか、彼女はいわゆる幽霊の話と思ってしまったのだろう・・・。
残念である。“霊”という言葉から一般的に人々が連想するのは幽霊、お化けの類であろう。しかし私がお話したいのはそういう低級霊のことではない。私たちが今生きている時点で既に霊的な存在なのだということだ。
例えが適切ではないかもしれないが、ヤドカリを思い起こしてほしい。磯にいて貝をしょっているあのカニみたいなやつである。あのヤドカリの本体が霊であり、背負っている貝殻が私たちの肉体と考えてほしい。
ヤドカリ自身は貝殻を背負う前から存在している。実は私たちもそれと同じように、この世に生まれる前から実は存在していたのだと。ただ肉体(=ヤドカリの殻に相当)を持っていなかっただけというふうに。そしてヤドカリが殻を脱ぎ捨てても生きているように、肉体が機能を維持できなくなって私たちが死と呼ぶ現象を体験してもその後にまだ存在し続けているというふうに。
ヤドカリ自身は殻を背負っていなくてもいても変わらない。同じものである。私たちもそうなのだ。肉体を持っている“生きている今”も肉体を失った後の“死んでいる(とみなされている)未来”も同じ一人の人間なのだ。これを霊と呼んでいる。
霊的治療を説明する前提条件として、まずは「人間の死後存続」を理解していただきたい。
残念である。“霊”という言葉から一般的に人々が連想するのは幽霊、お化けの類であろう。しかし私がお話したいのはそういう低級霊のことではない。私たちが今生きている時点で既に霊的な存在なのだということだ。
例えが適切ではないかもしれないが、ヤドカリを思い起こしてほしい。磯にいて貝をしょっているあのカニみたいなやつである。あのヤドカリの本体が霊であり、背負っている貝殻が私たちの肉体と考えてほしい。
ヤドカリ自身は貝殻を背負う前から存在している。実は私たちもそれと同じように、この世に生まれる前から実は存在していたのだと。ただ肉体(=ヤドカリの殻に相当)を持っていなかっただけというふうに。そしてヤドカリが殻を脱ぎ捨てても生きているように、肉体が機能を維持できなくなって私たちが死と呼ぶ現象を体験してもその後にまだ存在し続けているというふうに。
ヤドカリ自身は殻を背負っていなくてもいても変わらない。同じものである。私たちもそうなのだ。肉体を持っている“生きている今”も肉体を失った後の“死んでいる(とみなされている)未来”も同じ一人の人間なのだ。これを霊と呼んでいる。
霊的治療を説明する前提条件として、まずは「人間の死後存続」を理解していただきたい。
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