ミネルヴァの梟

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ことば探査
読書好き

ことば探査 - 虚構が虚構たるゆえん

2025-02-22 23:56:01 | 日記

安藤宏著『「私」をつくる』(岩波新書)を読み始めたところ、次の箇所に出会う。

「おそらくはこうした矛盾するシグナルにこそ、虚構が虚構たるゆえんが隠されているのではないだろうか。」(演技する「私」)

ミスプリントでなければ、「虚構」と「虚構たるゆえん」とがともに「隠されている」にかかり、文脈を辿るうえで混乱を読者に与えている。読解を阻む要因は意味レベルの違う要素の並列であり、理解を図るためにはどのように言い換えるべきか。

「虚構が虚構たるゆえん」であるはずもなく、「虚構が」の格助詞「が」を「の」に置き換えることで文脈は正しく通るようになる。
「虚構の虚構たるゆえんが隠されている」という言い方に改めることができる。

あるいは「虚構が」を贅語として削除することで読解の障壁は排除できる。
「おそらくはこうした矛盾するシグナルにこそ、虚構たるゆえんが隠されているのではないだろうか。」

書き言葉としては「虚構の虚構たるゆえん」という言い換えが妥当であると思われる。
岩波新書担当者のチェックミスであると考えるべきか。

追記 - 比較考察
ことばを入れ換えて考えてみる。
・反安保が反安保たるゆえん
・反安保の反安保たるゆえん
表現意図の追尋が可能なのはどちらか。「反安保が反安保たるゆえん」では了解不能に陥ってしまう。
なぜなら「反安保たるゆえん」が問題化されているのだから。


ことば探査 - 手強い相手

2025-02-11 23:33:15 | 日記

報道番組の視聴中、経済評論家として紹介されていた加谷珪一がトランプ大統領を交渉を進める上で「てづよい相手」だ、という言い方で解説を加えていた。

「てごわい相手」ではなく「てづよい」と言及したことは「手強い」という漢字表記を記憶の中にとどめていたことが引き起こした言い間違いであり、子供の頃に日常生活の中で習得した語彙ではなかったいえる。

言い間違いは若い世代だけの問題ではなく、五十代の経済評論家にも見られる現象であり、ことばの獲得が普段の会話の中で得られたか、どうかにかかっている、と言える。

漢語「強」には強い意味だけでなく堅い意味もあり、日本語の「こわい」に漢語「強」を当てたもの。「強飯」は「こわいい」、「強面」は「お」母音の脱落が起こり「こわもて」に当てられた漢字表記であり、意味は「強面」と異なるけれど「強持て」という漢字表記も使われている。

言い間違いは気づけば上等、それ以下でもなく単純な知識レベルの問題でしかなく、話し言葉の中で語彙は身につけていきたい、と思う。


ことば探査 - 検索エンジンの選択

2025-02-11 22:04:15 | 日記

検索エンジンの結果表示の違いに触れて Google 検索に愛想が尽きた。
ことの次第は、

「癩王のテラス」は(中略)運命悲劇である。遺作「豊穣の海」を自己のバイヨンだとしていた三島由紀夫の運命を象徴する作品である。(長谷川泉「増補戦後文学史」)

という解説にみられる「バイヨン」の意味の見当がつかず、検索に頼ることとした。
Google 検索の音声入力を利用したところ、「バイヨン」という店舗名を持つところだけが候補にあがり、意味の解説に辿り着けなかった。広告至上の誘導だとは納得。

「意味」という語を付加して、ゆっくりと音声入力を試みたところ、Google 検索の音韻修正が入り、「倍音の意味」という結果を表示、繰り返し「バイヨンの意味」と問いかけたけれど、結果は同じだった。

やむを得ず、Firefox 起動後、DuckDuckGo で検索をかけたところ、一発で Wikipedia の「バイヨン」を表示。ことばの解説に辿り着くことができた。原語に従えば意味は「美しい塔」だった。

Google 検索はことばの意味ではなく、ことばに因む店舗が表示されるように仕組まれまている。
Google 検索に愛想が尽きる所以であり、DuckDuckGo の検索結果は商業主義の環を断つことができる。ことば探査だけでなく有効な検索エンジンだ、と思われる。


ことば探査 - かちこち

2025-02-06 15:00:06 | 日記

報道番組の視聴中、天気予報のコーナーを担当する小野裕子気象予報士の発言に新鮮な印象を受けた。
「水がかちこちに凍っていました」という言い方に個人の言語感覚の違いをハッキリと確かめることのできた瞬間だった。

一般的な言い方である「かちかちに凍る」と言われた場合と比べてみれば、その新鮮さは納得できると思われる。なにが新鮮か、「かちこち」といえば凍った氷の状態は薄氷ではなく、厚氷である印象がより際立つことになる。

ちなみに国語辞書の見出し語には「かちこち」は収録されておらず、小野裕子気象予報士の個人語彙であることはあきらか。

個人的な語彙は日常生活の中で極めて自然に習得されていく。「極めて自然に」とは言語的抵抗感がなく身についていく、ということであり、たとえば宮沢賢治のオノマトペ由来の多様な副詞の使い方はその典型と言える。

ある状態を印象鮮明に言い表すことの困難を思えば、特異な語彙使用は創意や工夫の結果でなく、個人の言語感覚の獲得の過程で身につくものと捉えるべきだろう。その個人的な語彙感覚の特異さが新鮮な印象を人びとに与えることになる。