この世で、「食育」という言葉を最初に唱えた「食育の元祖」は、
医師で薬剤師でもあった石塚左玄です。
まだ、日本に栄養学ができる前に、食養(学)として、
食事で様々な病気を治していました。
そのことは、「食育」や「栄養学」を知っている人にとっては、少なからず
ご存知だと思います。
ただ、その石塚左玄と一緒に「食養会」をつくり、こんにちの
「食育」の基礎をつくった人物の存在は、ほとんど知られていません。
その人物こそ中原市五郎です。
中原市五郎は、歯科医師です。
つまり、現在で云うところの医療の「三師会」、医師・歯科医師・薬剤師の3師が
協力して、「食育」の礎を築いたのです。
その後、栄養学が世に出てきて、長い間、食養学と栄養学は、対立することになりました。
そんな中、歯科医師の中原市五郎は、「食養道」を貫き、
私たち後輩に、次のような言葉を残しました。
歯科医師の職務については、歯牙口腔の疾病を治療し、歯牙の保存補綴を行なうばかりでなしに、
歯科衛生を主宰しなくてはならない。
歯科衛生は、歯を保存保護するだけでなく、食物の品質良否を鑑別するのも歯科衛生の領域なのだ。
だから食物に関する知識は、歯科衛生学上習得すべき学問である。
歯科医は、食物に関する知識を習得して、自身それを実践し、これを広く社会に知らしめ、
個々の人々を指導する義務がある。
それはまた、歯科医の権威でもあると、述べています。
「自身それを実践し」の部分は、なかなか難しいところは、ありますが、
石塚左玄と中原市五郎の「食育」「食養学」「食養道」の
意思は受け継ぎ、そこに、現代人が抱えた「食」以外の大きな問題である
噛めない、噛まない、うまく飲み込めない、口呼吸や姿勢や発音の改善のために
「狭窄歯列」を是正することと「食」とをリンクさせて、病気の予防や治療を
医科歯科連携で行っています。
その活動を飲食業や農業従事者にまで広まるようにも、しています。
健康、未病、病気についての答えは、もうすでに100年も前に出ていたのです。