きょうのエンゼル会は、マリアさまのおはなしでした(^o^)
5月がマリア月だからということで、いつものプログラムからちょいと脱線です。
「みなさん、マリアさまというとどんなイメージですか?
カトリックの女子高とか通ってた人なんかは、
マリアさまは上品で清楚でゆりの花にかこまれてて…なんて思い込んでる人がほとんどなんですけどね、
今日はそういうんじゃないマリアさまの話しますからねッ。」
…と、いきなり辛口ではじまった神父サマのお話。(^^;)
聖書の中でマリアさまが登場する場面の中からいくつか読んでいきます。
●シメオンの予言(宣告?)……ルカ2-34
「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするたけにと定められ、
また、反対を受けるしるしとして定められています。
あなた自身も剣で心を刺し貫かれます。
多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」
●エジプトに避難……マタイ2-13
「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。
ヘロデがこの子を探し出して殺そうとしている。」
●十字架につけられる……ヨハネ19-26
「イエスは、その母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、
「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です。」と言われた。
それから弟子に言われた。
「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。」
●聖書の中で最後に登場する場面……使徒言行録1-14
「彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。」
マリアさまは、子供がうまれてすぐ、喜びのうちにあるそのとき、見知らぬ老人から
「子供はたいへんな最期を遂げるし、自分も険で刺し貫かれるような思いをする」と宣告されます。
その予言はまったくそのとおりで、息子は生まれた直後から「全国指名手配者」となり、
息子一人のためにベツレヘム周辺で産まれた男子は皆殺しにされ、
(ベツレヘムの親たちはよっぽどマリア親子を呪ったことでしょう!!)
自分の国には居場所がなく「難民」となって身一つで出国し、
成人した息子は「政治犯」「死刑囚」として国民の非難を一身に受け十字架につけられ……
そんな人生だったのです。
ただ聖書を茫洋と読んでいるだけではいまいちピンときませんが、
こうしてマリアさまの書かれた部分だけ抜き出してみると、なんという人生か!!
過酷な運命を粛々と受け入れ、最後まで信じて祈る姿にあらためて心をうたれます。
自分の子供がどうやら人とは違うらしい。
もしかするとほんとうに神の子なのかもしれない。
ときに疑心暗鬼に陥ることもあったかもしれない。
……や、フツーの人間ならそうなるでしょう?!
うちの子ちょっと人と違うんじゃないかしら…と。
それでも、神様のなさることだからきっとだいじょうぶ…と信じて粛々と生活してきた姿。
「なんでワタシがこんな目に?!」と思うことはなかっただろうか?
なかったとはいいきれなかったと思うんですよ。
……や、きっと、あった。
でも、信じて祈った。
まさにそこが、マリアさまがここまで崇敬されるゆえんだということです。
はぁ……デカイわ……
自分の洗礼名を決めるときに、
「マリアだけはぜったいない!無理だから!一生がんばっても足元にもおよばないから!」
と思ったものでしたが、
(まわりの人、けっこう「マリア○○○……」ってつけてる人おおいんですよ。)
きょうのお話聞いて、あ~この選択はまちがってなかったと改めておもいました(笑)
祈る姿勢。がんばります。できることからコツコツと。
5月がマリア月だからということで、いつものプログラムからちょいと脱線です。
「みなさん、マリアさまというとどんなイメージですか?
カトリックの女子高とか通ってた人なんかは、
マリアさまは上品で清楚でゆりの花にかこまれてて…なんて思い込んでる人がほとんどなんですけどね、
今日はそういうんじゃないマリアさまの話しますからねッ。」
…と、いきなり辛口ではじまった神父サマのお話。(^^;)
聖書の中でマリアさまが登場する場面の中からいくつか読んでいきます。
●シメオンの予言(宣告?)……ルカ2-34
「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするたけにと定められ、
また、反対を受けるしるしとして定められています。
あなた自身も剣で心を刺し貫かれます。
多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」
●エジプトに避難……マタイ2-13
「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。
ヘロデがこの子を探し出して殺そうとしている。」
●十字架につけられる……ヨハネ19-26
「イエスは、その母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、
「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です。」と言われた。
それから弟子に言われた。
「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。」
●聖書の中で最後に登場する場面……使徒言行録1-14
「彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。」
マリアさまは、子供がうまれてすぐ、喜びのうちにあるそのとき、見知らぬ老人から
「子供はたいへんな最期を遂げるし、自分も険で刺し貫かれるような思いをする」と宣告されます。
その予言はまったくそのとおりで、息子は生まれた直後から「全国指名手配者」となり、
息子一人のためにベツレヘム周辺で産まれた男子は皆殺しにされ、
(ベツレヘムの親たちはよっぽどマリア親子を呪ったことでしょう!!)
自分の国には居場所がなく「難民」となって身一つで出国し、
成人した息子は「政治犯」「死刑囚」として国民の非難を一身に受け十字架につけられ……
そんな人生だったのです。
ただ聖書を茫洋と読んでいるだけではいまいちピンときませんが、
こうしてマリアさまの書かれた部分だけ抜き出してみると、なんという人生か!!
過酷な運命を粛々と受け入れ、最後まで信じて祈る姿にあらためて心をうたれます。
自分の子供がどうやら人とは違うらしい。
もしかするとほんとうに神の子なのかもしれない。
ときに疑心暗鬼に陥ることもあったかもしれない。
……や、フツーの人間ならそうなるでしょう?!
うちの子ちょっと人と違うんじゃないかしら…と。
それでも、神様のなさることだからきっとだいじょうぶ…と信じて粛々と生活してきた姿。
「なんでワタシがこんな目に?!」と思うことはなかっただろうか?
なかったとはいいきれなかったと思うんですよ。
……や、きっと、あった。
でも、信じて祈った。
まさにそこが、マリアさまがここまで崇敬されるゆえんだということです。
はぁ……デカイわ……
自分の洗礼名を決めるときに、
「マリアだけはぜったいない!無理だから!一生がんばっても足元にもおよばないから!」
と思ったものでしたが、
(まわりの人、けっこう「マリア○○○……」ってつけてる人おおいんですよ。)
きょうのお話聞いて、あ~この選択はまちがってなかったと改めておもいました(笑)
祈る姿勢。がんばります。できることからコツコツと。