![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/8d/3bb961ffd95c7371977ce1b0bacfe619.jpg)
1882(明治15)年「山口県防府市」に生まれ、1940(昭和15)年「愛媛県松山市」で59年の生涯を閉じるまで、僧形乞食の風体で放浪漂白に徹した「種田山頭火(たねだ さんとうか)」は、「尾崎放哉(おざき ほうさい)」(1885/明治18年~1926/大正15年)とともに「荻原井泉水(おぎわら せいせんすい)」(1884/明治17年~1976/昭和51年)門下の自由律俳句を代表する俳人だ。
◇ ◇ ◇
ともに酒癖で生活を持ち崩した二人でもあったが、晩年の日記に「無駄に無駄を重ねたような一生だった、それに酒をたえず注いで、そこから句が生まれたような一生だった」と山頭火は記す。
◇ ◇ ◇
1930(昭和5)年8月2日の日記には、「樹明兄が借して下さつた『井月全集』を読む、よい本だった、今までに読んでゐなければならない本だった、井月の墓は好きだ、書はほんとうにうまい」と記し、また「私は芭蕉や一茶のことはあまり考えない、いつも考えているのは路通や井月のことである。彼等の酒好きや最後のことである」とも記している。
◇ ◇ ◇
山頭火は、傾倒する酒と漂白の俳人「井上井月(いのうえ せいげつ)」(1822/文政5年~1887/明治20年)の墓参を目的に、1934(昭和9)年4月14日「木曽谷」から「清内路峠」を越えて「伊那谷」に入ったという。
◇ ◇ ◇
「飯田町」(現在の「長野県飯田市」)に着到した山頭火は、「今宮風越館」(現在の「丸山公民館」)で行われていた句会に突然現れたが、峠越えで雨に打たれたことから、発熱し倒れてしまったという。
◇ ◇ ◇
同町内の東新町「太田蛙堂」宅で献身的看護を受け静養したが、容体は悪化し肺炎と診断されて、「川島病院」へ緊急入院したという。危うく一命を取り留めた山頭火は、2週間後の28日に、目的の「井上井月」の墓参を果たすことができないまま、「飯田線」経由で「山口県」に帰ったという。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/16/c87322c65eff7f81fba7608ad47e0d19.jpg?1601470071)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/4d/c3db424bdf8e99f26aff891724feb706.jpg?1601470130)
この行脚での「清内路から飯田町へ」と題した一連の句から、五基の句碑が建立されている。「飯田市丸山公民館」に「山しづかなれば笠ぬいでゆく」の句碑が、またその初稿句と思われる「山しづかなれば笠をぬぐ」が、国道256号線沿い「一番清水」に建立されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/16/c87322c65eff7f81fba7608ad47e0d19.jpg?1601470071)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/4d/c3db424bdf8e99f26aff891724feb706.jpg?1601470130)
この行脚での「清内路から飯田町へ」と題した一連の句から、五基の句碑が建立されている。「飯田市丸山公民館」に「山しづかなれば笠ぬいでゆく」の句碑が、またその初稿句と思われる「山しづかなれば笠をぬぐ」が、国道256号線沿い「一番清水」に建立されている。
◇ ◇ ◇
「一番清水」とは、清内路に入って一番目の清水だからとも、清内路で一番美味しい清水だからとも言われ、旅人の喉を潤してきた湧水で、近年「信州の名水・秘水」に認定され、遠方からも水を汲む人が訪れるという。
◇ ◇ ◇
また、国道256号線は、「南木曾町」で国道19号線から分かれ、「清内路峠」を越えて「阿智村昼神」で国道153号線に通じる「伊那谷」と「木曽谷」を結ぶルートだが、明治時代に工事が開始され、大正時代に県道へ、昭和38年に国道に昇格したものの、道幅が狭く、急勾配と急カーブが連続する困難な道だったという。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/d1/5babf7585298eec6a5d00033c3d5b80f.jpg?1601470170)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/5b/3fc7f39950841f9446b9903d59ad6e57.jpg?1601470183)
その国道256号線沿いで、やや蕪雑な趣の「句碑公園」に、「山なみ遠く信濃の国の山羊がなく」の句碑が、そのすぐ脇「平瀬橋」に「飲みたい水が音たててゐた」の句碑が建つ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/d1/5babf7585298eec6a5d00033c3d5b80f.jpg?1601470170)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/5b/3fc7f39950841f9446b9903d59ad6e57.jpg?1601470183)
その国道256号線沿いで、やや蕪雑な趣の「句碑公園」に、「山なみ遠く信濃の国の山羊がなく」の句碑が、そのすぐ脇「平瀬橋」に「飲みたい水が音たててゐた」の句碑が建つ。
◇ ◇ ◇
また、「阿智村清内路上清内」のやはり国道265号線脇で、現在は閉店しているが、清内路峠にあって五平餅とおでんが看板メニューだったという茶屋「七七平」敷地内に、「山ふかく蕗のたうなら咲いてゐる」の句碑が建っている。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/da/8078c400ae2647fd6510e96cc73d6c3f.jpg?1601528963)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/da/8078c400ae2647fd6510e96cc73d6c3f.jpg?1601528963)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます