
高校に入ると山岳部に所属した。高校山岳部というのは競技登山の性格を持っていて、群馬で開催されたインターハイの山岳競技の補欠として参加し、草津白根を歩いたりしたが補欠なので採点の対象にはならなかった。子持山での新入生歓迎登山を経て、夏の谷川連峰縦走合宿など1年から2年にかけては山狂いの日々を送った。また、あの中学校時代の仲良したちと当時の副担任を交え、尾瀬沼から尾瀬ヶ原に出、アヤメ平を経る尾瀬の旅も楽しかった。
山岳部で遊んでいるうち成績が下がり、大学進学の見通しが無くなり、2年秋の上州武尊山の合宿を最後に退部、それからは受験勉強に精を出さざるを得なかった。私たちは、第一次ベビーブームの子どもで、受験競争は最悪の事態を迎えていたし、父親からは国公立以外は入学させないとのご託宣が出されていたのである。
高校三年間は、山への思いを熱くしながら同時に現実とのはざまで思い悩み、苦しんだ期間だった。それでも、歩いた山々は今でも心の中で、深い思い出を提供してくれている。
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