今日は、沖縄が本土に復帰し40周年の記念日なそうな。私が岩手大学で1年目はワンゲルで山狂い(マージャン狂いでもあった)から抜け出し、2年生から平和と自由を求めて学生運動に参加するようになった。当時、沖縄はアメリカの占領下にあり、ベトナムへB52戦略爆撃が飛び立っていた。若い情熱を持てあましていた私は、ベトナム反戦やそれと連動する沖縄の本土復帰を求めるたたかいに参加するようになった。
「固き土をやぶりて
民族の怒りに燃ゆる島
沖縄よ
我らと我らの祖先が
血と汗をもて
守り育てた島沖縄よ
我らは叫ぶ沖縄よ
我らの島だ沖縄は
沖縄を返せ
沖縄を返せ」
あの時代、集会があるたびに何度も歌った歌である。
その時代、「オペラ沖縄」が上演され、歌声サークルに所属していたN君はバックコーラスに参加していたが、その世界と無縁の私は客席で観賞するだけだった。でも、アメリカの支配から抜け本土に復帰したいという沖縄人民の熱い願いを感じ、本土の一角で私たちもがんばったつもりである。
あれから40年、アメリカ軍の支配は依然として続いている。あの頃、アメリカ帝国主義の支配から脱するという展望は、今こそ実現されるべき時がきていると思う。当時のような「アメリカ帝国主義」ではなく、アメリカいいなりから抜け出し、安保条約を廃棄すれば沖縄の米軍は1年後には全面的に撤退するのだから、あの頃沖縄の人々が求め、現在も求め続けている「基地のない沖縄」が確実に実現できると思う。
「固き土をやぶりて
民族の怒りに燃ゆる島
沖縄よ
我らと我らの祖先が
血と汗をもて
守り育てた島沖縄よ
我らは叫ぶ沖縄よ
我らの島だ沖縄は
沖縄を返せ
沖縄を返せ」
あの時代、集会があるたびに何度も歌った歌である。
その時代、「オペラ沖縄」が上演され、歌声サークルに所属していたN君はバックコーラスに参加していたが、その世界と無縁の私は客席で観賞するだけだった。でも、アメリカの支配から抜け本土に復帰したいという沖縄人民の熱い願いを感じ、本土の一角で私たちもがんばったつもりである。
あれから40年、アメリカ軍の支配は依然として続いている。あの頃、アメリカ帝国主義の支配から脱するという展望は、今こそ実現されるべき時がきていると思う。当時のような「アメリカ帝国主義」ではなく、アメリカいいなりから抜け出し、安保条約を廃棄すれば沖縄の米軍は1年後には全面的に撤退するのだから、あの頃沖縄の人々が求め、現在も求め続けている「基地のない沖縄」が確実に実現できると思う。
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