シルバーウィークなる連休も終わった。
只今、ミュージカル公演受け入れと次回公演計画などを同時進行で取り掛かっているため、浮き足立っている。
まっ、足が地に着いていないことは日常茶飯事ではあるが・・・。
さて、近況の徒然日記です。
■9月16日(水)
秋の夜風は快眠ですね。最近、寝不足で今夜こそは寝なければ!と思い布団に潜ると・・・ぶんぶぶんぶ。
蚊が一匹、耳元でうるさい。力一杯叩くと耳がキーンとなって目まいがした。まさに、自虐行為である。
夏も終わって蚊取り線香も切らしている。
「世の中に蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶというて夜も寝られず」
これは寛政の改革を風刺した狂句ですが、民主党の組閣もうるさいねえ。・・・わたしゃ、それどころではない。蚊だ。秋の蚊は強い。
政治家も官僚も無縁の存在。無縁仏みたいなものだ。蚊がいかん。
一時間近く、一匹の蚊と格闘する。なかなか叩けない。こうなったら部屋ごと爆破すると気持ちいいだろーなー。と、思っていたら手のひらに噛みついてきた。血を吸っている。
じっと眺めていると蚊の奴、体中が私の血で真っ赤に膨れていく。
美味いか、そうだろうね。満足したか、栄養たっぷりだからね。
人生楽ありゃ、苦もあるさ。
「パチン!」である。
南無阿弥陀仏。合掌。
■9月17日(木)
デスクワークが昨夜から続いている。
完全な「ひきこもり」という訳ではないが、PCに向かい合う時間に費やした。
お陰で、目がチカチカ、ヒンガラモンジャラ、チョウチョガイッパイトンデイルヨ状態。
集中力が弱くなった故か、時々、TVをみて「民主党鳩山政権」のニュース等も眺める。
TVを見ながら独り言を言うようになって30年。
自分でも危ない!と自覚している。
「日本の政治家はユーモアーがないな。」と何回も言っていた。
「ブツブツブツブツブツブツブツブツ・・・」である。
ひきこもっていてもTVやインターネットなどで洪水のように情報は舞い込んでくる。耳を塞いでもダメ。
「みて、みて。」が多すぎる。
35年前の学生時代は官能エロ青春「変」愛小説を書くのに完全に山籠りしていた。誰とも会わない時間があった。下界で何が起こっているのか、さっぱりわからない。世捨ての時間である。
今はそれは不可能に近い。
もし、一ヶ月も山籠りしたらどうなるだろうか。
今、世捨て人にはなれない大人になったもんだ。
気になる。他者=社会の関係は断ち切れない。
■9月18日(金)
am4 熊本発-北九州
am10 北九州発-宮崎
pm3 宮崎発-熊本
走行距離=900km
■9月21日(月)
熊本市の秋祭りは「藤崎八旛宮秋季例大祭」で大騒ぎである。今日は「随兵(ずいびょう)」と「飾り馬(かざりうま)」の奉納行列で骨折者が二名。・・・それでも昔に比べるとおとなしくなった方だ。
1971年の時に私は、この祭り=「ボシタ祭り」(注:今では「ボシタ」と呼称することは禁じられている。)を初めて見た。
その年は下関から大学へ熊本にやって来た年である。
熊本市内の繁華街を「ボシタ!ボシタ!」と叫びながら、ラッパと太鼓などで馬を追う。馬は酒を浴びるように飲まされ、目がつり上がり狂ったように暴れる。屋台に突っ込み破壊される。破壊された屋台や傷ついた人々が大勢いた。
「暴動のような祭りだ!」と私は、興奮して見ていた。
これは民衆の不満が爆発する、一種の内乱かとも思って見ていた。
この祭りの起源は歴史的背景があり、加藤清正が朝鮮出兵して無事に帰還した際に神前に感謝したいわれがある。
清正軍が朝鮮に戦争に出かけて行き、勝ったものと思われていたようである。
一説には「ボシタ」は「滅ぼした」という理由から、この祭りの俗称がついたと思われる。
史実は清正軍は朝鮮から追い返されたのである。清正軍の負け戦であった。
「ボシタ」の由来にはもうひとつ俗称があるが、これはあまり知られていない。
「ボボシタ!」である。熊本弁で「ボボ」とは「オメコ」や「おまんこ」を意味する。
こちらの掛声は色っぽい。大らかでもある。
馬上の飾りは「陽陰(ひのかげ)」と呼ばれ男女の性器を模った作りになっている。
「子孫繁栄」のお祭りだ。・・・「ボボシタ祭り」。
私の三番目の息子はこの祭りに参加するために、この数カ月、太鼓叩きの練習をしていた。
祭りのために髪型も変え、粋な兄ちゃんになった。
内乱や暴動好きの私の血を受け継いでいるのではないだろうか。
お祭りと劇は似ている。
只今、ミュージカル公演受け入れと次回公演計画などを同時進行で取り掛かっているため、浮き足立っている。
まっ、足が地に着いていないことは日常茶飯事ではあるが・・・。
さて、近況の徒然日記です。
■9月16日(水)
秋の夜風は快眠ですね。最近、寝不足で今夜こそは寝なければ!と思い布団に潜ると・・・ぶんぶぶんぶ。
蚊が一匹、耳元でうるさい。力一杯叩くと耳がキーンとなって目まいがした。まさに、自虐行為である。
夏も終わって蚊取り線香も切らしている。
「世の中に蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶというて夜も寝られず」
これは寛政の改革を風刺した狂句ですが、民主党の組閣もうるさいねえ。・・・わたしゃ、それどころではない。蚊だ。秋の蚊は強い。
政治家も官僚も無縁の存在。無縁仏みたいなものだ。蚊がいかん。
一時間近く、一匹の蚊と格闘する。なかなか叩けない。こうなったら部屋ごと爆破すると気持ちいいだろーなー。と、思っていたら手のひらに噛みついてきた。血を吸っている。
じっと眺めていると蚊の奴、体中が私の血で真っ赤に膨れていく。
美味いか、そうだろうね。満足したか、栄養たっぷりだからね。
人生楽ありゃ、苦もあるさ。
「パチン!」である。
南無阿弥陀仏。合掌。
■9月17日(木)
デスクワークが昨夜から続いている。
完全な「ひきこもり」という訳ではないが、PCに向かい合う時間に費やした。
お陰で、目がチカチカ、ヒンガラモンジャラ、チョウチョガイッパイトンデイルヨ状態。
集中力が弱くなった故か、時々、TVをみて「民主党鳩山政権」のニュース等も眺める。
TVを見ながら独り言を言うようになって30年。
自分でも危ない!と自覚している。
「日本の政治家はユーモアーがないな。」と何回も言っていた。
「ブツブツブツブツブツブツブツブツ・・・」である。
ひきこもっていてもTVやインターネットなどで洪水のように情報は舞い込んでくる。耳を塞いでもダメ。
「みて、みて。」が多すぎる。
35年前の学生時代は官能エロ青春「変」愛小説を書くのに完全に山籠りしていた。誰とも会わない時間があった。下界で何が起こっているのか、さっぱりわからない。世捨ての時間である。
今はそれは不可能に近い。
もし、一ヶ月も山籠りしたらどうなるだろうか。
今、世捨て人にはなれない大人になったもんだ。
気になる。他者=社会の関係は断ち切れない。
■9月18日(金)
am4 熊本発-北九州
am10 北九州発-宮崎
pm3 宮崎発-熊本
走行距離=900km
■9月21日(月)
熊本市の秋祭りは「藤崎八旛宮秋季例大祭」で大騒ぎである。今日は「随兵(ずいびょう)」と「飾り馬(かざりうま)」の奉納行列で骨折者が二名。・・・それでも昔に比べるとおとなしくなった方だ。
1971年の時に私は、この祭り=「ボシタ祭り」(注:今では「ボシタ」と呼称することは禁じられている。)を初めて見た。
その年は下関から大学へ熊本にやって来た年である。
熊本市内の繁華街を「ボシタ!ボシタ!」と叫びながら、ラッパと太鼓などで馬を追う。馬は酒を浴びるように飲まされ、目がつり上がり狂ったように暴れる。屋台に突っ込み破壊される。破壊された屋台や傷ついた人々が大勢いた。
「暴動のような祭りだ!」と私は、興奮して見ていた。
これは民衆の不満が爆発する、一種の内乱かとも思って見ていた。
この祭りの起源は歴史的背景があり、加藤清正が朝鮮出兵して無事に帰還した際に神前に感謝したいわれがある。
清正軍が朝鮮に戦争に出かけて行き、勝ったものと思われていたようである。
一説には「ボシタ」は「滅ぼした」という理由から、この祭りの俗称がついたと思われる。
史実は清正軍は朝鮮から追い返されたのである。清正軍の負け戦であった。
「ボシタ」の由来にはもうひとつ俗称があるが、これはあまり知られていない。
「ボボシタ!」である。熊本弁で「ボボ」とは「オメコ」や「おまんこ」を意味する。
こちらの掛声は色っぽい。大らかでもある。
馬上の飾りは「陽陰(ひのかげ)」と呼ばれ男女の性器を模った作りになっている。
「子孫繁栄」のお祭りだ。・・・「ボボシタ祭り」。
私の三番目の息子はこの祭りに参加するために、この数カ月、太鼓叩きの練習をしていた。
祭りのために髪型も変え、粋な兄ちゃんになった。
内乱や暴動好きの私の血を受け継いでいるのではないだろうか。
お祭りと劇は似ている。