ぱらぱらと台本を読み返し、これまでの稽古を振り返ってみた。
詰まるところ、「透明人間」は在る。在ることにしなければ劇が成り立たない。
ところが劇では登場しない。だから「透明人間」なのである。
結果として登場していたことになる。それが恐怖であり、この劇の陽気なエネルギーになる。カッコわらわら。
子供の頃、一番怖いモノはお化けや幽霊だった。
あまりの恐さのため、1人では便所に行くこともできず誰かに付き添ってもらっていた。
便器の奥底から手が出てきたら気が狂うか、死ぬだろうと思ってドキドキしていた。
今はそれが懐かしい。あのドキドキはなくなってしまった。
大人になるとトイレこそ1人になれる解放区=自由空間になっている。ここで振り絞って出る快感。
実は劇の構成や筋立てを思いつく場所がトイレである。
便器から手が出てきたら嬉しくなるだろう。シュールが好き。
笑えないことがある。それよりももっと怖いものがある。
結果、「透明人間」は登場したことにしなければならない。
その仕掛けを作る。
詰まるところ、「透明人間」は在る。在ることにしなければ劇が成り立たない。
ところが劇では登場しない。だから「透明人間」なのである。
結果として登場していたことになる。それが恐怖であり、この劇の陽気なエネルギーになる。カッコわらわら。
子供の頃、一番怖いモノはお化けや幽霊だった。
あまりの恐さのため、1人では便所に行くこともできず誰かに付き添ってもらっていた。
便器の奥底から手が出てきたら気が狂うか、死ぬだろうと思ってドキドキしていた。
今はそれが懐かしい。あのドキドキはなくなってしまった。
大人になるとトイレこそ1人になれる解放区=自由空間になっている。ここで振り絞って出る快感。
実は劇の構成や筋立てを思いつく場所がトイレである。
便器から手が出てきたら嬉しくなるだろう。シュールが好き。
笑えないことがある。それよりももっと怖いものがある。
結果、「透明人間」は登場したことにしなければならない。
その仕掛けを作る。