5月連休明けより、「劇」基礎トレーニングを進めている。何も考えずに今まで通りのことを繰り返していればいいのだが、そうは問屋がおろさない。(イカのキンタマである!・・・わからん)
基本的には「役者の身体作り」をテーマに据えているのだが、理想的な役者像がある訳でもない。
言葉で言うのは簡単・・・「役者は舞台にスカッ!と立つ」。そんなことを稽古中に何度も吐いていたのだが、人によっては空振りする。つまり、違和感という奴だ。どうやら「理論」では太刀打ち出来ないのが「役者の身体作り」ではないだろうか。
だが、結果論として稽古のシステムはある。
私たちの劇団では「歩く」トレーニングを繰り返してきた。いわゆるウォーキングである。一歩間違えば流行の波に乗って大金持ちになっていたかもしれない。もっと外へ向けてウォーキングを発信すれば、今、「歩く」トレーニングで世界を飛び回っていただろう。あ~、口が滑った。
残念ながらダイエットや健康に良い「歩き方」ではない。あ~、口が滑った。ダイエットなどと言えば詐欺になるから、言わないだけのこと。痩せるためのウォーキングではない。狭い舞台の上で場面を転換したり、時間を運ぶ手段としてウォーキングと位置づけている。
☆
音楽を流す。日常感覚で「歩く」ことから始める。徐々にリズムを合わせる。ファッションショーのモデルになったつもりでポーズを決める。ターンする。・・・見られることが気持いいか。自己アピールできただろうか。問題は自分の歩く姿が「カッコいいか?」である。
カッコいいー!とは何だろう?・・・役者はお客さんに見られてナンボーの世界。男だったら女性から「キャー、ステキ!」と言われること。だが、夢桟敷の場合「変」である。「キャー、怖い!」と言われることがある。舞台は悪人も必要である。善人ばかりだと面白くない。
音楽を切る、off。歩く行為をスローモーションにする。身体が移動する際の細部の神経、筋肉を感じることが出来る。ヘタに緊張すると右足右手が同時に前に出たりする。ヘタに緊張していると不自然なことに気づかない。ヘタに気づくと笑える。・・・(注)ヘタがわかって、そのヘタさ加減を取り入れると客席が和むこともある。役者に余裕があればヘタも引き出しの一つにする貪欲さは必要。例えば、年長の座長、私、卓草四朗は見本のようなものだ。あ~、口が滑った。
ヘタな舞台俳優は個性派俳優として飽きられることがない。だから、ヘタを否定することはできない。うまい役者さんなら掃いて捨てる程いる。でも長続きはしていないような気がする。花の命は短くて・・・。
実は、スローモーションのステップは訓練を積み重ねないと危険な動作だということがわかる。重労働なのである。
体重移動を安定させていないと見る側からすると落ち着かない。アタマが揺れる。腰がふらついて見える。足が地に着いてない。
テレビや映画だとカメラワークでズームすることが出来るが、舞台だと役者の身体そのものがズームすることになる。
「歩く」こと、すなわち、身体を移動させることは劇にとって疎かにできないことだと確信しているのです。
欧米などの狩猟民族と我々農耕民族の文化の違いを「歩く」ことから考えてみる。
伝統的に日本の芸能は床を叩いて歩いたり、「すり足」のように足の裏を這わせて歩く。反面、欧米では跳ねたりする。生活習慣の違いにより、ここまで違うものかと驚いたこともあった。
今では日本人も肉食系に変わって、若者たちの身体つきは欧米化されてきている。歩く動作やリズムは欧米化されてきているようにも思える。
だが、眠っている血は農耕民族から受け継がれている。だから、欧米化された若者であっても日本の伝統的な「歩く」形は受け入れられ易い。
見本は歌舞伎や能にある。機会があれば接して欲しいと思う。同じことが出来なくても発見はある。新鮮に見えるだろう。血が騒ぎ始める。
☆
私たち夢桟敷は、スズキメソッド(鈴木忠志さんがシステム化した訓練法)と暗黒舞踏などの肉体訓練を劇作りの入り口として取り入れて来た。今、振り返ってみると、これは日本の伝統芸能に根っこがあるのだと気付く。
基本トレーニングは休みなく続けることが大切であり、その都度、新たな発見があれば修正することも大切。
情報としての理論は洪水のように氾濫しているが、理論だけでは進化していかないこともわかる。
要は実践!
興味のある方は、劇団の稽古場へ足を運んで来てみては如何でしょうか。今年は市民の方々へ「見学体験自由」とします。
基礎トレ以外にもダンスへの応用、表現方法のアレコレなども見られると思います。
基本的には「役者の身体作り」をテーマに据えているのだが、理想的な役者像がある訳でもない。
言葉で言うのは簡単・・・「役者は舞台にスカッ!と立つ」。そんなことを稽古中に何度も吐いていたのだが、人によっては空振りする。つまり、違和感という奴だ。どうやら「理論」では太刀打ち出来ないのが「役者の身体作り」ではないだろうか。
だが、結果論として稽古のシステムはある。
私たちの劇団では「歩く」トレーニングを繰り返してきた。いわゆるウォーキングである。一歩間違えば流行の波に乗って大金持ちになっていたかもしれない。もっと外へ向けてウォーキングを発信すれば、今、「歩く」トレーニングで世界を飛び回っていただろう。あ~、口が滑った。
残念ながらダイエットや健康に良い「歩き方」ではない。あ~、口が滑った。ダイエットなどと言えば詐欺になるから、言わないだけのこと。痩せるためのウォーキングではない。狭い舞台の上で場面を転換したり、時間を運ぶ手段としてウォーキングと位置づけている。
☆
音楽を流す。日常感覚で「歩く」ことから始める。徐々にリズムを合わせる。ファッションショーのモデルになったつもりでポーズを決める。ターンする。・・・見られることが気持いいか。自己アピールできただろうか。問題は自分の歩く姿が「カッコいいか?」である。
カッコいいー!とは何だろう?・・・役者はお客さんに見られてナンボーの世界。男だったら女性から「キャー、ステキ!」と言われること。だが、夢桟敷の場合「変」である。「キャー、怖い!」と言われることがある。舞台は悪人も必要である。善人ばかりだと面白くない。
音楽を切る、off。歩く行為をスローモーションにする。身体が移動する際の細部の神経、筋肉を感じることが出来る。ヘタに緊張すると右足右手が同時に前に出たりする。ヘタに緊張していると不自然なことに気づかない。ヘタに気づくと笑える。・・・(注)ヘタがわかって、そのヘタさ加減を取り入れると客席が和むこともある。役者に余裕があればヘタも引き出しの一つにする貪欲さは必要。例えば、年長の座長、私、卓草四朗は見本のようなものだ。あ~、口が滑った。
ヘタな舞台俳優は個性派俳優として飽きられることがない。だから、ヘタを否定することはできない。うまい役者さんなら掃いて捨てる程いる。でも長続きはしていないような気がする。花の命は短くて・・・。
実は、スローモーションのステップは訓練を積み重ねないと危険な動作だということがわかる。重労働なのである。
体重移動を安定させていないと見る側からすると落ち着かない。アタマが揺れる。腰がふらついて見える。足が地に着いてない。
テレビや映画だとカメラワークでズームすることが出来るが、舞台だと役者の身体そのものがズームすることになる。
「歩く」こと、すなわち、身体を移動させることは劇にとって疎かにできないことだと確信しているのです。
欧米などの狩猟民族と我々農耕民族の文化の違いを「歩く」ことから考えてみる。
伝統的に日本の芸能は床を叩いて歩いたり、「すり足」のように足の裏を這わせて歩く。反面、欧米では跳ねたりする。生活習慣の違いにより、ここまで違うものかと驚いたこともあった。
今では日本人も肉食系に変わって、若者たちの身体つきは欧米化されてきている。歩く動作やリズムは欧米化されてきているようにも思える。
だが、眠っている血は農耕民族から受け継がれている。だから、欧米化された若者であっても日本の伝統的な「歩く」形は受け入れられ易い。
見本は歌舞伎や能にある。機会があれば接して欲しいと思う。同じことが出来なくても発見はある。新鮮に見えるだろう。血が騒ぎ始める。
☆
私たち夢桟敷は、スズキメソッド(鈴木忠志さんがシステム化した訓練法)と暗黒舞踏などの肉体訓練を劇作りの入り口として取り入れて来た。今、振り返ってみると、これは日本の伝統芸能に根っこがあるのだと気付く。
基本トレーニングは休みなく続けることが大切であり、その都度、新たな発見があれば修正することも大切。
情報としての理論は洪水のように氾濫しているが、理論だけでは進化していかないこともわかる。
要は実践!
興味のある方は、劇団の稽古場へ足を運んで来てみては如何でしょうか。今年は市民の方々へ「見学体験自由」とします。
基礎トレ以外にもダンスへの応用、表現方法のアレコレなども見られると思います。