KAGUYA・大阪公演
ご来場頂きました皆さまに感謝申し上げます。
大阪から劇団員一同、無事に熊本へ帰り着きました。10月30日。
公演の10月28日(金)29日(土)両日共に野外劇日和。秋晴れの夜、大阪市谷町9丁目にある高津宮特設野外劇場で「大阪野外フェスティバル」「演劇エクスプレス」がおこなわれました。
競演した大阪の劇団☆流星群さんには並々ならぬ努力と公演の成功に感謝致します。又、舞台美術の夢宙屋さん、照明さん、ビデオや写真の記録スタッフさん、会場の高津宮さん他、協力頂いたすべての方々にお礼申し上げます。
【膝栗毛☆大阪への珍道中】
■10月26日(水)の夜。
最終通し稽古を終えて車へ道具を積み終えたのが夜中の11時半になった。陸送車組の5名は夜中の3時発の予定だから2時間くらいは眠れるだろうと思っていたのだが、それが大間違い。車中で眠れば良いと徹夜の旅支度となった。一方、飛行機組の7名は昼発だから余裕あり。ここに格差はあったが車組からの不平不満は出なかった。熊本ー大阪の陸送はそれはそれで旅の醍醐味を味わえると思っていたのだった。
■10月27日(木)
夜中3時に車組は集合出発した。まるで夜逃げの一座のように・・・。夜だから九州を上る景色は闇ばかり。朝が待ち遠しい。おっとっと、熊本のお土産を買うのを忘れていたことに気付き第一回目の休憩所「めかり」で買う。海の向こうは本州下関。私のフルサト。今は異国だ。若かりし頃の悪行を思い出したが振り払った。
二回目の休憩が広島県の入口「宮島」。あれだけ望んでいた朝だったが、差し込む光で目が痛い。朝食はおにぎりとコーヒー。このあたりで腰が重くなった。最終休憩が岡山県の「吉備」。腰に激痛を覚える。ヤバイ!眠れない。吉備団子を食べて痛みを誤魔化す。桃太郎の子分になって鬼退治かい?・・・違う。
高速道路の宝塚インターを出て伊丹の冬馬のマンションへアンプを受け取りに行く。この頃、飛行機組が大阪伊丹空港到着の連絡有り。移動スケジュールは計画通りである。
午後2時には予定通り、会場(高津宮)近くの宿泊所(ウィクリ―マンション)で各自個人荷物などを置くために部屋へ分散する。
公演会場である高津宮は前日に照明や舞台美術などのセットが組まれており、わが劇団は照明合わせと音響の確認などをおこなう。それにしても明るい内の照明合わせは初体験。想像以上に手間取ったが「独断と偏見」が役に立った。結果オーライである。
流星群さんたちとバカ話をしながらもゲネプロ体制は進んでいた。・・・今回は野外公演とあって両劇団共、火を使うことになっている。ゲネプロ前に火の実験をおこないメドは立ったが危険物ではある。気が抜けない。神経は集中する。
午後6時~9時半までの2劇団ゲネプロは終了したが、現地での変更を余儀なくされた。夢桟敷は一部ナマ演奏があり、楽器を置く場所を変更する。連動して役者たちの入退場も若干の変更あり。ちょっとした変更が連鎖する。
ゲネプロ終了後、中華料理屋で流星群さんたちとの「団結式」という名のもとに吞み会。ビールが美味い。昨年の暮れ以来の再会で劇団員たちは打ち上げの席のように盛り上がっていた。まだ始まっちゃあいない。これからだ。
■10月28日(金)
朝10時に会場集合。名古屋からの客演=矢野健太郎さんが境内の掃除をしていた。板についていた。
夢宙屋さんから舞台美術の使用を許可され、劇団員一同大喜びである。打ち合わせなしで流星群さんとの共通する場面などもあり、二つの劇団の公演が重なる意味がアト出しでわかる。
こちらは裏スタッフも出演することになっており、急遽、照明・音響(卓さん⇔はる君)を入れ替える。席が離れている故、出ハケにも問題があった。キュー出し、強弱に課題はあったが信頼することができた。いい加減と言われるか、臨機応変と言われるか、いずれにしても海千山千である。
本番前、新人まなみ~が緊張していた。「笑って舞台に立て。」と最後の注文をつける。笑っていれば通用する役柄なのだ。ブーイングや石が飛んできたら演出責任だと開き直ればよし。
開演前は本堂でお祓いをして頂く。気が引き締まると同時に毒が抜けきらないように息を殺す。
知り合いの劇団さんも来てくれた。大阪で働いているご存知ましまんも公演途中より駆けつける。まさか、明日はましまんが出演や裏スタッフ(照明)になろうとは誰が想像しただろう。私は腹黒いのである。
前の桟敷席に空白もあったが、後ろでは立ち見のお客さんがいた。
初日公演の評判は上々。
初日打ち上げも盛り上がった。境内の楽屋は大宴会場と化す。本打ち上げは明日。まだ、終わちゃあいない。
■10月29日(土)
午前中より、道頓堀に遊びに出掛けた肥後丸、犬彦、まなみ~。川に放り投げられたのではないかと心配ではあった。妄想だった。
この日で楽日。・・・ましまんを客席よりオドリの場で引っ張り出すことにした。冬馬もヘラヘラしながら顔を出した。新妻が出産直前だというのにヘラヘラしている。男はどっしりしたいものだ。
流星群さんたちはケータリング(自炊)の準備で大わらわである。何から何までお世話になり恐縮するばかり。
小島さん(大阪事務所)から頂いた腰のシップ薬が効いていた。まだ大丈夫。
やまなみ「先生」を訪ねて来ている人がいる、という。「え?先生?」・・・「先生」と呼ばれることに不思議さを覚えつつ出てみると知人のあこさんとよっこさんだった。お友達も連れてきてくれてありがたい限り。東京からも新幹線で来てくれた。遠くは長崎から作曲したのわーるさん。近畿大学の先生の顔も見えたが挨拶が出来ずじまい。
オドリを褒めてくれたり、劇団は美男美女揃いだと持ち上げてくれたが、一体、誰が美男だ?わからん。
流星群さんはレーザー光線を使ったり、お客さんの目を驚かせていた。
共通する「みんなでオドル」場面では砂埃が舞いつつ、これも照明効果としては面白かった。劇場では味わえない。
夜の境内に火。溶け込んだ。火は演劇の原点に思えた。神様が宿っている。劇場で適用できないものか。危険神話を変えたい。
ダンサーのまみちゃん、大輔さんは客演だったが、これを機会に身内、劇団員ファミリーにもなった。はる君もこきつかった。
公演後のバラシ、道具の積み込みを終えてからの楽日打ち上げ。改めて「何故、演劇を?」に戸惑いなく「美酒」の答えが返る。流星群さんの手作り料理が並び、両劇団スタッフさんたちとの楽しい宴は宿泊所の二次会まで続いた。
私は車の運転があるため夜中零時には切り上げたが、朝の4時まで続いたと後から聞いた。
■10月30日(日)
車組は朝8時出発。道路には警察が総動員されて並んでいた。私たちを逮捕するつもりか。否、この日は大阪マラソンだった。ベトナムから来られて日本での生活が長い流星群さんの日本名・愛川春希さんも走るそうである。え?
小雨が降り始めた。主宰の岩倉さんが朝から送って頂く。涙もろくなったもんだ。笑顔が歪んでしまった。
来年、これだけのことが熊本でおこなえるだろうか。
熊本の劇団が野外劇で参加できるところがあるだろうか。石橋を叩いても渡らない風土に一石を投げてみおうと思う。
クドシンとまみちゃんは大阪から札幌へ飛ぶ。はる君は大阪で遊ぶためもう一泊。犬彦は大阪でのウンチが気持良かったとの感想。矢野健太郎さんは京都に寄って名古屋に帰ると。帰りはバラバラになりつつも、車組の5人(座長、サキ、田中、肥後丸と私)は雨の高速を走る。飛行機組は揺れたそうだが、無事に熊本へ帰り着いた。
夜8時、家は劇団の道具が散乱している。
次は11月5日の子ども劇「キッズミュージカルかぐや姫」と12月3日の鹿児島指宿公演へ向かう。
皆々様、お疲れ様でした。
ご来場頂きました皆さまに感謝申し上げます。
大阪から劇団員一同、無事に熊本へ帰り着きました。10月30日。
公演の10月28日(金)29日(土)両日共に野外劇日和。秋晴れの夜、大阪市谷町9丁目にある高津宮特設野外劇場で「大阪野外フェスティバル」「演劇エクスプレス」がおこなわれました。
競演した大阪の劇団☆流星群さんには並々ならぬ努力と公演の成功に感謝致します。又、舞台美術の夢宙屋さん、照明さん、ビデオや写真の記録スタッフさん、会場の高津宮さん他、協力頂いたすべての方々にお礼申し上げます。
【膝栗毛☆大阪への珍道中】
■10月26日(水)の夜。
最終通し稽古を終えて車へ道具を積み終えたのが夜中の11時半になった。陸送車組の5名は夜中の3時発の予定だから2時間くらいは眠れるだろうと思っていたのだが、それが大間違い。車中で眠れば良いと徹夜の旅支度となった。一方、飛行機組の7名は昼発だから余裕あり。ここに格差はあったが車組からの不平不満は出なかった。熊本ー大阪の陸送はそれはそれで旅の醍醐味を味わえると思っていたのだった。
■10月27日(木)
夜中3時に車組は集合出発した。まるで夜逃げの一座のように・・・。夜だから九州を上る景色は闇ばかり。朝が待ち遠しい。おっとっと、熊本のお土産を買うのを忘れていたことに気付き第一回目の休憩所「めかり」で買う。海の向こうは本州下関。私のフルサト。今は異国だ。若かりし頃の悪行を思い出したが振り払った。
二回目の休憩が広島県の入口「宮島」。あれだけ望んでいた朝だったが、差し込む光で目が痛い。朝食はおにぎりとコーヒー。このあたりで腰が重くなった。最終休憩が岡山県の「吉備」。腰に激痛を覚える。ヤバイ!眠れない。吉備団子を食べて痛みを誤魔化す。桃太郎の子分になって鬼退治かい?・・・違う。
高速道路の宝塚インターを出て伊丹の冬馬のマンションへアンプを受け取りに行く。この頃、飛行機組が大阪伊丹空港到着の連絡有り。移動スケジュールは計画通りである。
午後2時には予定通り、会場(高津宮)近くの宿泊所(ウィクリ―マンション)で各自個人荷物などを置くために部屋へ分散する。
公演会場である高津宮は前日に照明や舞台美術などのセットが組まれており、わが劇団は照明合わせと音響の確認などをおこなう。それにしても明るい内の照明合わせは初体験。想像以上に手間取ったが「独断と偏見」が役に立った。結果オーライである。
流星群さんたちとバカ話をしながらもゲネプロ体制は進んでいた。・・・今回は野外公演とあって両劇団共、火を使うことになっている。ゲネプロ前に火の実験をおこないメドは立ったが危険物ではある。気が抜けない。神経は集中する。
午後6時~9時半までの2劇団ゲネプロは終了したが、現地での変更を余儀なくされた。夢桟敷は一部ナマ演奏があり、楽器を置く場所を変更する。連動して役者たちの入退場も若干の変更あり。ちょっとした変更が連鎖する。
ゲネプロ終了後、中華料理屋で流星群さんたちとの「団結式」という名のもとに吞み会。ビールが美味い。昨年の暮れ以来の再会で劇団員たちは打ち上げの席のように盛り上がっていた。まだ始まっちゃあいない。これからだ。
■10月28日(金)
朝10時に会場集合。名古屋からの客演=矢野健太郎さんが境内の掃除をしていた。板についていた。
夢宙屋さんから舞台美術の使用を許可され、劇団員一同大喜びである。打ち合わせなしで流星群さんとの共通する場面などもあり、二つの劇団の公演が重なる意味がアト出しでわかる。
こちらは裏スタッフも出演することになっており、急遽、照明・音響(卓さん⇔はる君)を入れ替える。席が離れている故、出ハケにも問題があった。キュー出し、強弱に課題はあったが信頼することができた。いい加減と言われるか、臨機応変と言われるか、いずれにしても海千山千である。
本番前、新人まなみ~が緊張していた。「笑って舞台に立て。」と最後の注文をつける。笑っていれば通用する役柄なのだ。ブーイングや石が飛んできたら演出責任だと開き直ればよし。
開演前は本堂でお祓いをして頂く。気が引き締まると同時に毒が抜けきらないように息を殺す。
知り合いの劇団さんも来てくれた。大阪で働いているご存知ましまんも公演途中より駆けつける。まさか、明日はましまんが出演や裏スタッフ(照明)になろうとは誰が想像しただろう。私は腹黒いのである。
前の桟敷席に空白もあったが、後ろでは立ち見のお客さんがいた。
初日公演の評判は上々。
初日打ち上げも盛り上がった。境内の楽屋は大宴会場と化す。本打ち上げは明日。まだ、終わちゃあいない。
■10月29日(土)
午前中より、道頓堀に遊びに出掛けた肥後丸、犬彦、まなみ~。川に放り投げられたのではないかと心配ではあった。妄想だった。
この日で楽日。・・・ましまんを客席よりオドリの場で引っ張り出すことにした。冬馬もヘラヘラしながら顔を出した。新妻が出産直前だというのにヘラヘラしている。男はどっしりしたいものだ。
流星群さんたちはケータリング(自炊)の準備で大わらわである。何から何までお世話になり恐縮するばかり。
小島さん(大阪事務所)から頂いた腰のシップ薬が効いていた。まだ大丈夫。
やまなみ「先生」を訪ねて来ている人がいる、という。「え?先生?」・・・「先生」と呼ばれることに不思議さを覚えつつ出てみると知人のあこさんとよっこさんだった。お友達も連れてきてくれてありがたい限り。東京からも新幹線で来てくれた。遠くは長崎から作曲したのわーるさん。近畿大学の先生の顔も見えたが挨拶が出来ずじまい。
オドリを褒めてくれたり、劇団は美男美女揃いだと持ち上げてくれたが、一体、誰が美男だ?わからん。
流星群さんはレーザー光線を使ったり、お客さんの目を驚かせていた。
共通する「みんなでオドル」場面では砂埃が舞いつつ、これも照明効果としては面白かった。劇場では味わえない。
夜の境内に火。溶け込んだ。火は演劇の原点に思えた。神様が宿っている。劇場で適用できないものか。危険神話を変えたい。
ダンサーのまみちゃん、大輔さんは客演だったが、これを機会に身内、劇団員ファミリーにもなった。はる君もこきつかった。
公演後のバラシ、道具の積み込みを終えてからの楽日打ち上げ。改めて「何故、演劇を?」に戸惑いなく「美酒」の答えが返る。流星群さんの手作り料理が並び、両劇団スタッフさんたちとの楽しい宴は宿泊所の二次会まで続いた。
私は車の運転があるため夜中零時には切り上げたが、朝の4時まで続いたと後から聞いた。
■10月30日(日)
車組は朝8時出発。道路には警察が総動員されて並んでいた。私たちを逮捕するつもりか。否、この日は大阪マラソンだった。ベトナムから来られて日本での生活が長い流星群さんの日本名・愛川春希さんも走るそうである。え?
小雨が降り始めた。主宰の岩倉さんが朝から送って頂く。涙もろくなったもんだ。笑顔が歪んでしまった。
来年、これだけのことが熊本でおこなえるだろうか。
熊本の劇団が野外劇で参加できるところがあるだろうか。石橋を叩いても渡らない風土に一石を投げてみおうと思う。
クドシンとまみちゃんは大阪から札幌へ飛ぶ。はる君は大阪で遊ぶためもう一泊。犬彦は大阪でのウンチが気持良かったとの感想。矢野健太郎さんは京都に寄って名古屋に帰ると。帰りはバラバラになりつつも、車組の5人(座長、サキ、田中、肥後丸と私)は雨の高速を走る。飛行機組は揺れたそうだが、無事に熊本へ帰り着いた。
夜8時、家は劇団の道具が散乱している。
次は11月5日の子ども劇「キッズミュージカルかぐや姫」と12月3日の鹿児島指宿公演へ向かう。
皆々様、お疲れ様でした。