乳がん☆乳ガン☆乳癌☆日記

●05年5月乳癌左乳房全摘腋郭清手術●13年6月再発 失くしたモノより今を見つめ前に歩くナリ♪  再発しちゃいましたぁ~

(2)焦る・・・・

2006年12月19日 23時14分16秒 | 心筋梗塞
2006.11.14 早朝 バクン・・・・となった 胸の「動悸」で目が覚める。乳がんになってから、抗癌剤、ホルモン治療・・・・・と、こうした化学治療をおこなっているため、胸の動悸なんていっつもだから・・・・ 正直『 またか! 』っておもいました。暫くジィ~~ッとしていれば治まるから。・・・・そう思っていました。でも でも 変なんです!!!!!  治まらない??????
『大丈夫?』
母が気づいて様子を心配そうに見てくれている
『うん。。いつものことだから・・でもチョット変かな。。』
『 ・・・・・・・・ 救急車呼ぼうか?』
『そこまでしなくても治まるかもしれないから・・』
だめ だめ 焦っちゃダメ! 落ち着いて! 過呼吸にならないようにゆっくりと息をして! 楽に 楽に 気持を切り替えて! そう そう 焦っちゃダメよぉ~~心の中でいつものように唱える!(対処法はバッチリ)そう。。。。いつもしているように・・・・。でも変だ、あれ?あれ?息が出来ない!おかしい いつもと違う! (過去の母の状況が脳裏をかすめた!)
  やばい!
『おかあさん おかあさん 変!  私・・・・変! フロントに電話して・・・・』母が飛び起きてフロントに電話をしようとするが、フロントが何番かわからない!!焦る母。適当にボタンを押し、出た人に緊急を告げる!すぐに救急車とホテルの総支配人が部屋に来た。私は意識はある。しかし、息が苦しくて身動きがとれない。こうなってしまっては、ホテルの人に、とにかく残された母の状態を伝えたくて、『母は心臓が悪いから宜しくお願いします。気を配ってやって下さい。お願いします』 お願いしていた・・・・。心配は母のカラダだ! おいらはなんとかなる!(本気でそう思っていたから・・・・)ボ~~~ッとした意識の中で私は救急隊の人に 『左腕からは何もしないで! 乳癌で郭清していますから!』『母も心臓が悪いんです。だから、母をひとりにしないで下さい!』必死で何度も、何度も繰り返していたことを今でも強烈に覚えている。一緒に救急車に同乗していた母を目で何度も確認しては安心していた。そして・・・・・救急車で病院に運ばれることとなった。

(1)胸の違和感・・・

2006年12月19日 22時32分35秒 | 心筋梗塞
心筋梗塞、狭心症・・・・・まさか自分が! そう・・・・そのまさかが、自分の身におきてしまいました。事の起こりは 2006.11.13(月)~の 母娘旅行からです。
11.10(金) 母が循環器科を受診時、不整脈が発覚。旅行には差し支えがないモノだが、旅行から戻ったらすぐに受診しましょうね・・・ということで、次回の予約を 11.17(金)に入れました。(戻りが16日の木曜だから)やはり、母は心臓の術後、初めての遠出となることに負担があるのだろう。余分に処方された薬を出されたことでもわかるように、旅行中、母の状態に気を付けなければならないと肝に銘じる。
11.11(土) 出社
11.12(日) 午前中出社
メグのサロン行き、仕上げ後は会社に送り届けてもらう約束。
列車の予約をしチケットを受け取る。午後は自宅に戻る。母の旅行の準備。(自分のは既に完了)動き回る母がとにかく心配・・・・・たった3泊4日なのにぃ~ とにかく動いている母をなだめすかしてサボらせようと努力してみる。
11.13(月) 移動 とにかく時間に余裕をもって、焦らないですむように手配。自分のパニックも回避できるようにフンパツしてスーパーシートにしてみた。

母も嬉しそうにゆったりと食事して気分も落ち着いている様子。機内で出された食事も楽しんで会話も弾みました。



私も楽チンでしたわん。沖縄に到着。空港に一番下のとも叔母(母の兄弟姉妹の末っ子)が迎えに来てくれていた♪

叔母の運転でホテルに向かう。夕食をとも叔母と、とみ叔母(母の直ぐ下の妹)と取るために待ち合わせる。ホテルにてみんなで食べる。お風呂に入って就寝。明日は一日ノンビリ過ごすので、叔母や叔父達と会うのを母は楽しみにしている。
そして・・・ 明け方・・・ 私は倒れた・・・