乳がん☆乳ガン☆乳癌☆日記

●05年5月乳癌左乳房全摘腋郭清手術●13年6月再発 失くしたモノより今を見つめ前に歩くナリ♪  再発しちゃいましたぁ~

運命の人

2009年03月10日 03時00分00秒 | 乳がん4年生
 

平成21年2月28日金曜日 夜8時45分頃
     渋さんが逝ってしまいました


24日火曜日朝、

会社へと歩きながら、渋さん宅に電話しました。

3月に入ったら病院で合うために。

その時は、渋さんは寝ていて

ご主人が電話を切ろうとした時に起きてくれて

話しをしました。

来月逢いたいから何時が病院の日か訊いたら、

まだわからないとの事でしたので

また電話しますねって・・・・・ 

また電話頂戴ねって・・・・・  

渋さんの声はとても辛そうで、

私がしゃべるから返事するだけでいいよって感じの

会話をしたくらい 本当に辛そうな声でした。

     元気かい? 心配していたんだよ。
       あんたも元気で頑張って

いつも いつも 人の心配。そんな私も同じです。

電話を切った後 

道路で携帯を握り締めながら涙が止まらなく泣いてしまった

渋さんの声から・・・・状態の酷さが伝わったから。

会社で社長に心配で・・・・恐い・・・・と泣きながら話した。



    あいたい あいたい 頭から離れない
 
だから27日から毎日電話した

今度病院に行く日をご主人に聞く為に。

でも何時電話してもいない。

だから、私は・・・小康状態のときに出かけているんだと思っていた。

毎日電話しながら不安で・・・・不安で・・・

胸がつまって苦しくて・・・

不安はつのる

・・・・それは渋さんの命がながくないと感じたから

内さんや向さんに連絡とってみたり・・・・・ 

誰かと話したかった・・・・



5日 やっとご主人とつながってホッとした。

『 今日は具合が悪くて寝ているんだよ だから電話に出られないんだ ごめんなさいね 』

『 いえいえ いいんです。この前も辛そうだったから。今度の病院の日だけを教えていただければ 』

『 何時だったかな・・・・今チョットわからないんだよ 』

『 じゃぁ また電話しますね 渋さんに無理しないよう伝えて下さいね 』

『 ・・・・実はね もうながくないって言われて後2ヶ月位なんだよ だから病院にはもう行かないんだよ あんたの精神病が悪くなると困るから 』

『 ・・・・! 渋さんに会いたい お願いします 精神病が酷くなってもかまいません どうか渋さんに訊いてくれませんか? 迷惑でなければ御自宅まで伺います せめてひとめでもあいたい 駄目なら我慢します だからどうか訊いて下さい 』

思わず、失礼を承知で懇願していました 涙声で

    『 ・・・・ 来ても もう会えないんだよ 』

絞り出す様なご主人の か細い声が僅かに聞こえた

        『     』

『 あんたの精神病を心配して 悪くならないように 絶対に言うなってあいつが言っていたから 納骨が終わるまで誰にも言わないつもりだったんだよ 』

私は声をあげて泣いてしまった

『 病気なんて酷くなってもかまわないから 渋さんが 渋さんが 大好きだから 私の心配なんてしなくていいのに・・・・ 』

『 悪いけど これは誰にも言わないで お願いだから  納骨が終わるまで皆には元気だと伝えてくれる あいつの意志なんだ ・・・・・ あんたがこんなに想ってくれるから私も我慢できずに言ってしまったけれど、絶対に言わないでね 』

『 はい 言いません 納骨式が終わったら・・・御参りさせて下さい 宜しくお願いします ご主人の体調のよろしい時でかまいませんから 』

『 うん だからくれぐれも他言無用でお願いしますね 』

         絶対に言わない約束
これは とてもつらい約束
ご主人は・・・・どんなにつらいか・・・
私は、どんなに苦しくても守ろうと誓った 
ごめんなさい 御意志にそむかせてしまって





8日 日曜日 午後7時
            ご主人からの電話

『 あれからずっと考えていたんだよ。
  皆さんがよければ納骨式に来てもらおうかと。
  あいつの気持ちを考えて、
  あいつだったらどうしたいんだろうって。
  そんな風に考えていたら、
  また別の日に行くよりも、
  あいつがお墓にはいる姿をみて欲しいと思って
  だから一緒に逢いに行かないかい
  そのかわり 香典関係は一切持ってこないでね』

『 はい ありがとうございます皆に連絡します 』

『 それと卒塔婆に名前を入れたいなら3千円なんだけど
  入れたければ名前を教えて下さいと伝えてくれるかな 』

『 渋さんらしいですね 』

『 うん くれぐれも金銭供物は駄目だからね 』

それからの時間は連絡です。
皆の気持ちは一緒です。
本当に 本当に 皆に感謝の気持ちでいっぱいです
私は・・・・
どうしてもこんな性格だからこんな時は泣けません
皆さんが涙を堪えている様子が電話越しから感じて・・・
胸が締め付けられます


本日(3月9日)
打合わせでご主人と、内さんと、あいました
大体の話が進み、半泣き状態になりそうな三人
何故、私に話してしまったか!
ご主人いわく
「 言わないと家に乗り込んできそうな勢いだったから 」・・・・だ そうです。面目ない自分で御座いますが・・・後悔はしていません。(反省はしています)




人生は偶然と必然とが入り混じっています。

渋さんとの出会いは、私にとって救いでした。

今、お付き合いしている癌友の繋がりの

   「 核は、渋さんです 」 

病室での渋さんは、主治医の先生をつかまえては

「心臓の悪い御主人よりも先に逝けないからね!」
これが口癖で、

1日でも長く生きられるよう

主冶医の山ちゃん先生に手をこすって拝んでいました

「 先生に命をあずけてるから、どうか生かしてちょうだい 」

「 駄目だよ先生 私を生かしてくんなくっちゃ 」


         患者さん同士では

「 そうかい そうかい 辛いよね でも治療出来るうちは頑張んないといけないよ 」

研修医の先生を「若!」と銘々して苦笑させていました

でも、いつも いつも

苦学して頑張っている志のある若者だと褒めていました。

    渋さんは、

      渋さんの行動や

      渋さんの言動には

        『 慈愛の心がありました 』


最初は、ガラッパチな大きな声の恐い人に感じていた私です。(←・・・・私って結構失礼な奴なのです。自分の事は棚に上げてます!)

彼女のいる病室は素敵でした。

カーテンを全員が全開にして、

他の病室とは全然空気が違います。

閉めたい時は適度に閉めて、開放感のある空間です

自然と御喋りがはずみます。正直、楽しかった。

ある患者さんは「 あ~~~楽しかった♪入院がこんんなに楽しいなんて思わなかったわ 」と言って退院していきました。

こんな病室だから、他の病室の人も遊びに来ます。

そこでまた知り合えた方々がいます。



渋さんにしか出せない優しさが溢れ出した病室です
    笑ったり
    泣いたり
    心配したり
    励ましたり
互いに苦しみながら 病と向き合う為の時間
私は、見失っていた自分を取り戻せた病室
大切な人達を得た病室


 あなたがいたから
 あなたのおかげで
    私達は笑いあえました

また 20日にはあえますね

何処にいても あなたに逢えるのはわかっているけど

弱虫な私は あなたがいない世界で泣いています

きっと 怒っていると思うけど

あなたを想って泣くことは・・・・幸せなのです

感謝の気持ちで泣きます

愛する気持ちで泣きます

恋しい気持ちで泣きます

あなたが私の心の中で生きているから泣きます



人は何時か死にます。

      だからこそ命が尊いのです。

万人に合う事は無いけれど

      自分に合う事は出来ます。

知る事は出来るけれど

  その知った事を行動に起こさなければなりません

行動に起こした人は 
       
          孤独と闘うのです


孤独を超えた時に 観得る世界があります

      私はその世界をみたい


  慟哭の中に真髄があるからです