乳がん☆乳ガン☆乳癌☆日記

●05年5月乳癌左乳房全摘腋郭清手術●13年6月再発 失くしたモノより今を見つめ前に歩くナリ♪  再発しちゃいましたぁ~

渋さんへ

2009年03月20日 21時02分28秒 | 乳がん4年生
渋さんへ

あいたいです もう 逢えない事がわかっているからよけいに逢いたいです。

今日、タクシーの中で渋さんの遺灰と一緒に出発した。
旦那さんと話ながら綺麗な桜色の布に包まれた渋さんに手を添え。その途端に涙が零れ落ちた。その最初のひとしずくを旦那さんが指で拭ってくれた。我慢できずに泣きました。渋さんに向かっていっぱい話した。それは、言葉に出したり、ここの中で話しかけたり。
旦那さんにはもう以前から泣きますと伝え済みで・・・・お許しを頂いております。なので遠慮なく泣かせていただきました・・・

渋さん、私はめがねちゃんが羨ましかった。
最後まで渋さんといることができた めがねちゃんにチョット嫉妬していた事を御墓の前でも告げました。
私も 傍にいたかったんだよ。
こんなふうに
最後まで愚痴っちゃう駄目な私を大切に想ってくれてありがとう。
でも
 その想いが。。。。。嬉しくも、悲しくも、あるんだと・・・・知りました。

どんな言葉も飲み込んでしまう悲しみが人生にはあるんだね。


夫婦は最初から夫婦じゃなくて、長い年月で夫婦になるんだよね。皆が言っているよ。渋さんが惚れぬいただけある旦那さんだと。
渋さんと旦那さんが通った大好きな中華に連れて行ってもらいましたよ。 旦那さんは、食事の席についた時、変な汗をかいていて・・・・具合が悪そうでした。献杯後に席を立ち吐いてしまいました。何も食べることが出来ずに・・・・。
でもね、清さん、向さん、佐さんが お世話してくれて温かい飲み物、卵粥を用意してくれたんですよ。
朝の薬も飲むのも忘れて・・・・どんなにここ数日用意を整える事の大変だったかがわかりました。お子様がいませんから、どうしても全て、心臓の(ワーファリンを服用している程に)悪い旦那さんのご負荷。パンパンに張り詰めていた気持ちが伝わってしまう。渋さん どうかチカラをかしてあげて下さいね。(今まで以上に)
いつも、いつも、渋さんが小分けして用意していたお薬・・・・ 

お店の店長さんは、ご夫婦をご存知でしたから・・喪服を着て、渋さんのいない旦那さんをみて泣いてしまったそうです。帰りに美しい白い花をご主人に渡していました。優しくて可愛い店長さんでしたよ。卵粥も店長さんの気持ちがいっぱい入った極上品でしたよ。

渋さんは、何処に行っても友達をつくっちゃう人なんです。不思議な人なんです。人の中にある『 眼に見えない垣根(本人も気がつかないモノ) 』を飛び越えちゃうんです。本人はとっても繊細なのですよ。旅先でもどっからか知り合いになって楽しんでいる人だと、渋さんのお姉さんも懐かしそうに仰っていましたよ。
私達もその中のひとり、ひとり、なんですね。
渋さんと知り合えて本当に嬉しかったです。みんな 気持ちは同んなじよ。

渋さん
お姉さんは気丈に皆さんにご挨拶をされていましたよ。
旦那さんと上手く付き合いが出来るように見守っていてね。
お墓が立派でビックリしました。眼鏡をお骨の上にのせる時、渋さんの御骨をみて・・・・渋さんの頑張りが伝わりました。本当に 本当に 長い間頑張ってきたんですね。でも、もっと もっと 生きたかったんだね。旦那さんより1日でもながく生きていたかったんだよね。

     渋さんの頑張りは
     自分の為だけではなく 
     相手を想う気持ちで頑張ったんだね


そんな渋さんだから皆の気持ちの中にいるんだね
 渋さんが守りたい人を
   私達も守りたいと皆が想っているんだよ
 優しい人達で泣けてしまう・・・・渋さんの友だよ

渋さんとの約束を守れなかったと旦那さんは口にしていたけど・・・これは私が悪いのでありますから、旦那さんを怒らないでね。これからも生きていく旦那さんを優先しちゃいました。私がそっちに行った時に叱ってね(お手柔らかに!)。

本日夕方に電話して調子を確認。
翌日には電話をもらい、気力がないからとにかく寝ますとの事です。ちゃんと薬も飲みますと言っていました。気になさらないのであれば毎日電話下さいとお伝えしました。

渋さん 
 みんなに沢山の勇気と愛情を与えてくれて
            ありがとうございました
 この恩は忘れません。
 私をみんなに会わせてくれてありがとう
 みんなは 私の宝です。
 
           あなたの ぼうず・・・・・より